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ワンピース考察と日本の神話

 ワンピースの物語は佳境に入り、ルフィは「太陽の神ニカ」に変身し、テレビアニメでもそろそろニカの姿になりそうな展開となっている。マンガの方では「火の傷の男」というワードが出て、謎が謎を呼びわくわくする。
太陽はお日様=「」だ。火の傷は「」だ。
 小さな子どもはいまだにウタの歌をわくわく歌っているし、若者はわくわく「少年ジャンプ」やテレビアニメの続きを待っている。YouTubeでは展開の考察が盛んだ。子どもや若者だけじゃない。体力的にもう冒険のできない年代の私もわくわく見ている。

 そんなときに日本の歴史を見ると、天皇家には「日継ひつぎ」あるいは「日嗣ひつぎ」というものがある。天皇の皇位を継承することだ。天皇家の祖先は太陽の神、天照あまてらす大神といわれるのだから、「」を継ぐ「日継ぎの儀式」が行われる。
 そして出雲大社の宮司が交代するときには出雲国造家こくそうけでは、同じ「ひつぎの儀式」でも、「日」ではなく「」を使う「火継ぎの儀式」が行われる。
 「」と「」。
 出雲大社には大国主命おおくにぬしのみことが祭られているが、大国主は出雲では大穴牟遅おおなむち命と呼ばれる(「風土記」等で)。大国主は「」の国「ヤマト」に、国を差し出せと言われ、国を譲った敗軍の将だ。その大国主を祭る神社に「」の儀式がある。


 「日」と「火」と文字は違えど、どちらも神代の昔から「」の儀式を行っている。
 「ヒ」というものは、「」を表しているとの考えもある。 「霊」というものを「」と言っていたのだ。「日」も「火」も、もともとは「ヒ」として「霊」という文字で示されていたのだろう。同じものを別の儀式にしている。
 太陽の神(日)ニカのルフィと火の傷の男は対になる存在ではないだろうか。

 そもそも日本の「」というものは、人智を越えた存在を全て「神」としていたので「八百万やおよろずの神」が日本には存在する。神の枕詞が「ちはやぶる」=荒々しい、というように、神は本来恐ろしいものだった。時には恵みも与えてくれる存在が「神」だった。荒々しいだけのものは「」となった。つまり、神も鬼ももともとは同じものだった。


 今、「もの」と書くと、PCが勝手に「モノ」と変換した。「モノ」というのも人智を越えた存在を指している。神霊も鬼もモノであり、正体のわからないモノは「モノ」なのだ。
 悪魔の実が、使う人間によって悪にも正義にもなるように、人智を越えた存在はにもにもなる。
 ルフィの敵、カイドウは鬼のツノをつけ、ツノをつけた仲間を持っている。その息子(娘)のヤマトはツノを持っていてもルフィの仲間になり、「大口真神おおくちのまかみ」として正義の味方となった。


 そんなことを考えていると、昔わくわくしながら読んだ、半村良はんむらりょうの伝奇小説「産霊山むすびのやま秘録」を思い出した。確か「ヒ一族」が出てきた。ここでも「」だ。日本の歴史を陰から動かしてきた「ヒ一族」。
 物語の「ヒ」は「日」であり「非」であった。「ヒ一族」は超能力が使える。
 うーん。ワンピースの悪魔の実じゃないか。
 確か、月面探検隊が月に行くと、地球からテレポートして月で死んだヒ一族の死体を発見したはずだ。ヒ一族はワンピースのエネルのように月で呼吸はできなかったのだ。空気のない月へ行くと死ぬしかない。
 ワンピースでも「」が大きな謎として描かれる。

 そうだ。昔は「産霊山秘録」や他の伝奇小説にわくわくした。江戸時代の「南総里見八犬伝」も岩波文庫で10巻あったので、次回どうなるかとわくわくしていた。楽しかったなあ。



 わくわくがどんどんなくなっていくけど、ワンピースはまだしばらくわくわくを続けさせてくれそうだ。
 作者も目の手術をしてコンディションを整えるようだ。
 日本神話の日と火の違いも出てくるか。そんな予想をしながら、考察も楽しみながら、物語の次の展開を楽しみに待っている。



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