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山の色が変わる~杜甫の絶句が春を詠う

 人間が植えたソメイヨシノは公園や道路で咲くが、自分で種から芽を出したヤマザクラは山々をピンクに染める。山の色を変える。
 桜の前に、冬の葉を落とした木々が山を緑に変える。
 現代の我々が目にするような山の色の変化を1000年以上前の中国の詩人が詠っている。


絶句  杜甫

こうみどりにして鳥はいよいよ白く
山は青くして花はえんとほっ
今春こんしゅんみすみすまた
いずれの日か帰年きねんならん


 詩仙と呼ばれた李白(701~762)と並ぶ、詩聖と呼ばれた杜甫(712~770)。
 安禄山の乱(安史の乱)で戦場となった都を離れた杜甫は「春望」という詩を作り、また「絶句」を作った。

江碧にして鳥いよいよ白く
山青くして花燃えんとす

こんな読み方(訳し方)もある。

揚子江(長江)は深緑色をして流れ、そこに浮かぶ白い鳥は、その白さをますます引き立たせる。
山は青々と緑が茂り、花は燃えんばかりに赤い色をしている。
こんな鮮やかな今年の春もまた過ぎていく。
いつになったら故郷へ帰ることができるのだろうか。
故郷の春は、こんなに川の水の色が鮮やかではない。こんなに赤い花は咲いていない。それでも私は故郷の春の景色がなつかしい。


 この詩は五言絶句と呼ばれる形式。4行、4句からなる詩を絶句という。1行に中国語で漢字5文字のものを五言絶句という。
 中国語は漢字だけで書いてあるので、昔の日本人はそれに送り仮名をつけ、読む順を日本語に合わせた。


江ハ碧ニシテ鳥ハ愈白ク
山ハ青クシテ花ハ然エント欲ス
今春看又過グ
何レノ日カ是レ帰年ナラン


 元の詩は以下の通り。


江碧鳥愈白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年


 これを見ると、2行目と4行目の最後の文字は「然」「年」とnenと読む文字で終わっている。中国語で同じ響きを持つ言葉にそろえることを押韻おういんという。五言絶句では2句末と4句末に同じ響きの言葉を置くことが決まっている(日本語にしたときには同じ音にはならない)。
 1句目と2句目は、「江・山」「碧・青」「鳥・花」「白・然(赤)」と対になる句を並べる。これを対句ついくという。

 昔の日本人は、ただ中国の漢字の技術を学ぶだけでなく、歌の「心」やそれをよりよく表現する文学的技法まで学んでいた。中国の詩を学び、それを日本の文学に生かしていた。


 港町神戸は、海の近くに六甲山系がある。その山が季節によって色を変える。
 冬が終わると、山は緑になり、桜が咲く。山の桜が散った後には、山の所々が白くなる。桜のピンクとは違う白さ。コブシの花が咲くのだ(六甲山系ではコブシより小さいタムシバが咲く)。そして次は紫のツツジが咲く(六甲山系ではコバノミツバツツジか)。山が次々色を変えていく。別の山を見れば紫のフジが巨木を覆っている。ツツジとは違う、まさに藤色の紫で山を覆う。

 何年も見てきた美しい景色だ。だが、これは私が生まれ育った景色ではない。田舎の山は、こんなに色鮮やかではなかった。

 毎年、神戸の春を楽しみ、かつ、田舎の山がなつかしく思い出される美しい春の日もだんだん過ぎてゆく。
 今年の春もまた過ぎていく。

 


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