江戸の町の月と太陽~江戸の黄表紙、山東京伝「天慶和句文」~そのダジャレ生活
コロナ禍の現代と同じように、江戸時代にも人々を恐怖に陥れる事態はたくさんあった。
1780年、金銀星と称された二星が夜空に光り輝いた(アンタレスと金星と思われる)。1782年、天文台が浅草に移転。江戸時代に天文台があり天体観測をしていたのだ。1782年と1783年には江戸に大地震が起こり、1783年には浅間山の大噴火も起こる。江戸の町は天変地異に襲われていた。噴火の1ヶ月後には満月の月食が起きた。人々は天体に興味を持っており、個人で望遠鏡を使って天体観測する人もいた。
「天経或問」は1730年に発刊された天文書。星の動きや、日食、月食について書かれている。その題材を借り、災害を笑い飛ばす。江戸に生きる放蕩息子の話としてダジャレを中心に描く、山東京伝作画の黄表紙が「天慶和句文」。本のタイトルからして同音異義のダジャレとなっている。
上巻
一
天道様は人間とは違い、日食という持病がある。少しずつ欠け、全部欠けた後に回復する。日輪を背負った病床の天道様の周りには、ひまゆく駒、光陰の矢、日のネズミ、月のネズミが擬人化される。薬を調合するてるてる坊主とカラスもいる。
黄表紙では、絵のセリフには、ストーリーとは関係ない時事ネタやダジャレがちりばめられる。
光陰の矢「天道様が見てござると言いながらウソをつくヤツがいる」
日のネズミ「暦屋が13軒ある」
月のネズミ「大道芸のケシの介がお茶を持ってきた」
関係ないセリフをつぶやく。当時の人々には、それぞれが意味のある話題の言葉だったのだろう。
二
雷と風の神は、月・日・星の三つの光の神を亡き者にし、自分たちの天下にしようと企む。まずは、お月様をどら息子にしようと、太鼓持ちの村雲に頼んだ。
村雲「月に村雲というように、月のことならわっち(俺)さ」
雷の妻は稲妻。仲間の霰もいる。
三
天道様の一人息子をお月様という。今年ちょうど二十歳にて(「お月様いくつ、十三七つ」で13+7の合計20歳)、年は若いが、風流な生まれで、詩歌誹諧にばかり心を寄せる。霞も風流者で、お月様と仲が良く、一緒に遊里にも行くので、「月に霞はどうでごんす」と言われる。
画面には月のうさぎと月水天(生理の神!)もいる。月水天は、「最中の月で煮花(お茶)をあがれ」と、当時人気のスイーツ、「最中」の話題をしゃべっている。
四
織女・牽牛は、一年に一夜の契りなので「一夜牽牛」というが、これをひっくり返して、逢わない夜を一年に一度と決めて、天の川のほとりに料理茶屋を出す。そこへお月様がやってくる。
五
明けの明星(金星)は天の川の岸へ水茶屋(喫茶店)を出す。女房は器量がよいの明星で、金銀星などやってきて、はやりの店となっている。その店の前で、村雲が、お月様を無理無体に月の都の遊里通いをすすめる。お月様の供のうさぎもいる。
村雲は、「うさぎ殿をば、先にお帰しになるがよかろう」と言う。
六
お月様は、村雲の悪巧みとは知らず、雲の駕籠に乗って月の都へ急がせる。駕籠の先棒は時鳥、後棒は夜這い星。雲の駕籠なので、これより駕籠かきを「雲助」という。
ここまでが上巻。
下巻
七
なよ竹のかぐや姫は、しばらく地上で竹取の翁の娘となっていたが、今では月の都へ帰り、夕上王という花魁となり、今日が初めて客を取る月出しで、にぎやかなことだ。
八
夕上王(かぐや姫)は、お月様のかお月、め月、はな月(顔つき、目つき、鼻つき)のよいところに惚れて、お月様も相惚れ(両思い)で、たいそう気に入った。
天道様の使いのカラスは、お月様の帰りが遅いので、「大旦那がお腹立ちだ」「遅い遅い」と言いながら迎えに来た。
お月様の横には村雲もいる。
九
お月様は夕上王に首ったけだが、一晩で帰ろうと思っていた。ところが、雷が雨を降らせ、風の神が風を吹かすので、十五夜の居続けとなり、代金が足りなくなる。
太鼓持ちの村雲のすすめで、風の神と雷から金を借りる。そのやりとりを、うさぎが耳を長くして聞いている。
うさぎ「はて、何か変な雲(村雲)の様子だなあ」
十
お月様は、月末払いの約束で雷の金を借りたが、月末になっても金の工面が出来ない。雷は日々催促するが払ってもらえず、もとよりはかりごとなので、お月様の家へ怒鳴り込む。
雷「金を払わなければ縛って月だそうか。このうそ月め」とダジャレる。
十一
お月様はどうにも工面ができず、雲の中に隠れ(月食)、吉原までが闇の世界となる。
お月様はいつまでも雲隠れしているわけにもいかず、北極星、南極星に頼み、父親の天道様に借金を払ってもらうつもりで使いに出す。
十二
北極星、南極星の取りなしで、天道様の腹立ちをなだめ、雷、風の神を呼び、金の日輪、銀の月輪を与える。
雷、風の神は計画通りにいかなかったが、日輪、月輪を手に入れ、これより心を改める。
天道様は、剣でお月様をしたたかに打つ。こらしめのため足で踏みつける。今なら虐待だ。うさぎは、村雲がそそのかしたことを告げるが、天道様は全てご存じだった。
これより「月に村雲(花に嵐)」は今もいきていて、一緒にいない方がいいたとえとなる。
十三
お月様はおとなしくなり、八月十五日(旧暦)になれば、満月といい、名月といい、地上では月見をする。
うさぎは若旦那が光るのをうれしがり、飛び跳ねて尻餅をつく。「十五夜お月様見て跳ねる」とはこのことなり。
ストーリーを並べるだけでは何のこともない話だが、中に描かれるイラスト、ダジャレで笑わせる。
これが江戸の黄表紙。
黄表紙の現代語訳は、