奇事中洲話③~死者と生者の三角関係、山東京伝の黄表紙
近松門左衛門『冥途の飛脚』の梅川、忠兵衛の物語に、当時、事故死した遊女高尾と歌舞伎役者八重桐の幽霊をからめて物語が展開する。
黄表紙「奇事中洲話」(1789刊)山東京伝(1761~1816)作、北尾政美(1764~1824)画、全三巻の現代語訳、下巻最終回の紹介。
下巻
十二
八重桐は、荻江八重蔵と名を改め、長唄で座敷を勤めれば、本当の人間が「不景気だ不景気だ」という世の中に、幽霊の身ながら、ちゃんと生活ができる。梅川改め花袖は、長唄が好きなので、八重蔵を贔屓にして、たびたび座敷へ呼ぶ。
八重蔵「♪乱れ鳥、二人乱れた夜の朝、チッチッ」
新造「ひとつ、おあがりなんし」
客「おっと、ありがた有馬の人形筆」
十三
八重桐、高尾は、それなりに生活していたけれども、かんじんの家賃がとても高く、だんだん借金をするようになり、家賃も滞り、毎日毎日、借金取りと大家が催促に来たりけれども、
「主人は外出中で留守でござります」
と言い訳するまでもなく、幽霊のありがたさ、大家や借金取りの顔が見えると、たちまち夫婦同時に消え失せる。
高尾「あんた、待たしゃんせ。わたしは、まだ半分消えてないわ」
八重桐「早く消えろ消えろ。腰から下がないくせに、てめえはどうもだらしない。とかくおいらは、大家と借金取りに責められる因縁がありそうだ」
借金取り「これはどうだ。くじ引きでハズレを引いたみたいだ」
大家「今までいたのに、逃げたの井桁の住友グループ」(井桁は住友のシンボルマーク、挿絵上部参照)
十四
花袖(梅川)は八重蔵(八重桐)を贔屓にして、たびたび座敷に呼びければ、忠兵衛は焼きもち焼きゆえに、花袖と八重蔵がえっちしているのではないかと思い、また、花袖は花袖で、忠兵衛と高尾が、隣どうしで仲良くしているから、えっちしているのではないかと思い、たがいに考えすぎて、忠兵衛は八重蔵を憎み、花袖は高尾を憎みければ、なんと花袖が生霊となって高尾にとりつき、さまざま恨みを述べる。生霊がとりつくとは、なんともいえない世の中なり。
八重蔵「梅川、そこ離せ。われには、もうかまわぬ」
高尾「忠兵衛さん、おめえは恨みな人だよ」
娑婆だけに鬼はいず、近所の人が看病してくれる。
大家「とかく近所でもめごとはごめんだよ」
祈祷師「のうまくさばんだ、ばさらんだ。にょうぼがはらんだ、またうんだ」
十五
大坂中之島の八右衛門は、お芝居で皆様ご存じの通り、忠兵衛、梅川を罪に落としけれども、「江戸へ行って暮らす」と聞き、まだ腹の虫が治まらず、わざわざ江戸まで行き、中之島の役人まで連れて中洲へ行き、そこここと尋ねれば、とある茶屋の障子の内から、忠兵衛の声がするではないか。
中之島の役人渋井顔右衛門「横領犯を見つけたとは、でかしたでかした」
家来は、苦井面平。
八右衛門「あれ、お聞きなされませ。いまいましいやつらでござります」
影を見れば別人だとはすぐにわかるが、作者はていねいに、「高尾」「八重桐」と、梅川、忠兵衛とは別人だとわかるように書き込んでいる。
高尾(梅川の生霊)「この梅川を捨てるとは、ほんにつれないお方じゃのう」
八重桐(忠兵衛の生霊)「それはこっちの言うことぞ。この忠兵衛がいるというのに、なんで浮気をしてたのじゃ」
十六
渋井顔右衛門は、八右衛門の案内で家に踏み込み、二人を捕らえ、よくよく見れば顔が違い、不思議に思う。
八重桐、高尾は思わぬことに、消えてしまおうと思えども、忠兵衛、梅川の生霊がついているので、消えることができず、おおいに困ってしまう。
かかる折節、歌舞伎でおなじみの土手の道鉄(道哲)、ここへ来かかり、持っていた金を、八重桐、高尾に与え、
「これにて地獄へ立ち帰れ」
と、忠兵衛、梅川の生霊を払えば、高尾、八重桐は、もとが幽霊なので、たちまち消え去り、後には縛った縄ばかり残りけるこそ、まるで手品のようなり。
顔右衛門「おいおい、おまえが逃がしたのだろう」
道鉄「まったくの人違いさ。これは、先年、この中洲で身を果てた高尾、八重桐の幽霊でござります」
八右衛門「さっきの声は、なんでも梅川と忠兵衛に違いござりませぬが、はて、面妖な」
十七
その後、忠兵衛、梅川はご詮議にあいけれども、実は八右衛門が横領した罪を二人に着せたのだということがわかり、忠兵衛、梅川はご赦免あり、おおいに喜び、両国柳橋のかどに料理茶屋を出し、夫婦仲良く、行く末までも栄えける。
めでたしめでたし。
北尾政美画
京伝作(印は「宝山」)
江戸時代前期に活躍した近松門左衛門(1653~1724)の「冥途の飛脚」は、人形浄瑠璃の作品だが、それをもとにした歌舞伎がたくさん作られた。
「冥途の飛脚」は、
大坂の飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛が、遊女梅川に恋し、武家屋敷に届ける金三百両を横領し、梅川を身請けして自由の身にする。そこから二人の恋の逃避行が始まる。
このストーリーに「奇事中洲話」発行当時(江戸時代後期)の話題、遊女高尾と歌舞伎役者八重桐の死亡事件をからめて物語が展開する。
読者は、歌舞伎の話も知っているし、当時のゴシップ記事の内容も知っている。そうしてウソと現実の混じり合った物語を楽しんでいた。ウソの話の中に現実を入れ込む、こういう作品が黄表紙である。
日本のマンガ文化の源流ともいえ、マンガ文化の基礎となっているともいえる江戸の黄表紙を楽しんでほしい。