ご存じの商売物①~山東京伝描く江戸の町の出版事情
「御存商売物」(北尾政演作画)の紹介。
江戸の出版事情を、書籍を擬人化して描いた山東京伝(浮世絵師としての名は北尾政演)(1761~1816)の黄表紙の現代語訳。
「源氏物語」や「徒然草」の時代は、一冊一冊手で書き写していた「本」は、江戸時代になると木版印刷で大量に出版されるようになった。
黄表紙は、黄色っぽい表紙の、絵と文が一体となった絵本。青みがかった黄色のため、青本とも呼ばれる。子ども向けだった絵本、黒本、赤本の流れを組み、大人向けの絵本(つまり内容がちょっとえっちになる)。
黒本、赤本、青本など、絵と文字が一緒になった絵本を草双紙という。
御存商売物(1778刊)は、北尾政演作画と書かれており、まだ作家としては名の売れていなかった京伝が、浮世絵の師匠、北尾重政(1739~1820)の名を借りて、その弟子として描いた作品。この作品が評価され、後の快進撃につながる。
全三巻を、三回にわけて紹介する。
上巻
一
まかり出たる者は、春ごとに出版する戯れ草子(絵本のこと、新春に出版された)の画を描く某にて候。いまだお子様方のなじみが薄く候ほどに(大人向けの本なのだが、もともとは子ども向けだったのでこう言っている)、なにか良い方法はないかと思い、ご覧にいれようと考え、今年の初夢に、怪しきことを見候ほどに、これはかの出版社、なにがし方へ参り、物語ろうと思い、急ぐほどに、これは早くも出版社の門に到着し候。
「頼みましょう、頼みましょう」
カゲの声「早く早く、さっさと始め候えや、始め候えや」
二
上方(関西)からやってきた八文字屋の文章の多い読本が、貸本屋の風呂敷から現れ出でて、柳原の店に並んでいる行成表紙の絵本のところに来て言う、
「さてさて、貴公もわしも、上方からやって来て、江戸の町で人気となった身の上だが、近頃青本(=黄表紙)が流行り、さらに洒落本(遊里を描いた物語)なぞというたわいもないもののために人気がなくなり、いかにも口惜しきことなり。どうにかして、青本その他の江戸の本どもにケチをつけん」
と謀る。
行成表紙(模様入りの紙の表紙)の、上方からの下り絵本、うち笑いて、ほこりをはらいながら、
「これはとかく、わしにまかせ候え」
と言う。額へ八の字を寄せて話す。
下り絵本「こう店ざらしになってはいけねえ」
作者「ぐうぐうZZZZZZ」と寝た夢の中で物語が始まる。
下り絵本は、あるとき、赤本、黒本を招き、酒をふるまうが、赤本はちっと飲むだけで赤くなるので、どらやきを出し、四方山話のあとに、去年の春に出版された青本(黄表紙)の評判記を出し、
「おのおの方の不繁盛は、青本が出版されたからのことなので、ケチをつけたまえ」
と、自分は手を汚さぬ工夫、上方者には油断はならず。
両人、評判記を見るより、むっとして、青本をそねむ。
三
青本は、貴賤の別なく人の目をよろこばせ、世渡りもうまく、粋をもっぱらとし、世の中の穴をさがし、俳句気分も少しあって、毛ほども抜け目なく、雨の日の暇つぶしには、おやつと肩を並べ、女子どものごひいきもあり、新しい出版の工夫には新しい趣向をこらし、しかれども、その身はおごることもなく、やっぱり安物の紙を使っている。青本は、月ごとの集まりをし、洒落本、袋ざし(袋入り本)、一枚刷り(一枚物の浮世絵)、その他の当世流行りの本を集め、新しい趣向の相談をする。
青本「去年の評判記はなかなかよかったものです」
洒落本「芝全交の作はよく作られております。朋誠堂喜三二の作品も出版されています」
一枚絵「恋川春町氏の作品もおかしくてよかった。南陀伽紫蘭先生の作品もおもしろかった。市場通笑、伊庭可笑の作品にもすごいのがあるぞ」
柱隠し(縦長の浮世絵)は、青本の妹なれど、ちゃらちゃらした娘ではなし。
柱隠し「わしがひいじいさんのころ、桃太郎が島へ渡り、浦島太郎が若いころには、漆絵と呼ばれる浮世絵が流行って、人がうるしがったげな」
四
青本の妹、柱隠しは、同じ浮世絵である一枚絵の姿に惚れて、くどきにくどく。指を切って思いを伝えようとする。
一枚絵も、さすがに据え膳食わぬは男の恥と、大色事となり、互いに絵の具の色がさめぬようにと、二人の行く末を案じる。
柱隠し「このとおりでござんす」(刀で指を切ろうとする)
一枚絵「これは短気な」
五
青本は、徹夜で楽しむ日待の日なので、仲間を呼び、料理をふるまい、笑い話を集めた咄本が、さまざまのダジャレを言って、みんなで笑い合う。仲間のうち、黒本、赤本が来たらぬゆえ、どうしたわけかと思う。
六
青本は、妹柱隠しと一枚絵のことを知り、末は一緒にさせてやろうと、日頃親しくしている洒落本に相談しようと出かけ、途中で石碑などの文字を写した石摺に会い、連れだって観音参りに行こうとする。お参りは口実で、その後吉原の遊郭へ行くものと見えたり。
江戸時代の文化は、前半は上方中心だったが、江戸後期になると江戸の町に文化の中心が移り、江戸発行の本や浮世絵がちやほやされる。
江戸の本も、最初は黒本、赤本が人気だったが、黄表紙(青本)が出版されると、そちらが人気を博した。
本は、風呂敷に入れて各家庭に持って行く貸本屋を中心に多くの人に読まれた。
古い本たちが、黄表紙などの新しい本に嫉妬するという物語のはじまりはじまり。
次回へつづく、
御存商売物は、以前にも「原本」を紹介した、
山東京伝の代表作、「江戸生艶気樺焼」の現代語訳はこちら、
黄表紙の始まりといわれる「金々先生栄花夢」の現代語訳はこちら、
これらの中に、他の黄表紙の現代語訳紹介ページのリンクをはっている。