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古川柳十篇④ 歌がるた仲間へ息子まぎれこみ 柄井川柳の誹風柳多留

 歌がるた百人一首のこと。何度も川柳に詠まれるように、百人一首は江戸の町の庶民にも一般的だった。
 江戸時代に柄井川柳からいせんりゅう(1718~1790)が選んだ川柳をまとめた「誹風柳多留はいふうやなぎたる」を紹介している。全5回の④。
 読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、そして七七のお題(前句まえくという)をつける。調子に乗ったら、自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。 



歌がるた仲間へ息子まぎれこみ


462 歌がるた仲間へむす子まぎれこみ  見へわかぬこと見へわかぬこと

 「歌がるた」は百人一首の遊びのこと。当時の人々は百人一首をよく知っていた。
 かるた遊びは女の人の遊びだと思われていて、実際、女の人がよく遊んでいた。その女のグループに男である息子が入り込んだ。前句の「見へわかぬ」は、区別がつかない、見分けがつかない、という意味なので、女の中に男が一人。女の人が好きな男を百人一首に誘うこともあるが、この息子は自分からわざと入り込んだのだろう。

ただ一人女性グループに入り込む
これも一つの才能という

 ちなみに男たちは、百人一首で博打ばくちをしていた。
 かるた自体が、江戸時代になって印刷されるようになったので、大量生産された。ひらがなで書いてある短歌は、習字のお手本として女の子が練習をしていたので、庶民にはなじみのものだった。


私の百人一首記事のまとめは、

 


大道だいどうへ二汁五菜を吐いて


447 大道だいどうへ二十五さいをはいてゐる  きびしかりけりきびしかりけり

 当時のちゃんとした食事は二汁五菜、汁物二つにおかずが五品だった。本膳と二の膳に汁とおかず二品をそれぞれつけ、さらに焼き物をつける。こういうちゃんとした料理が出る場に行ったのはいいが、ちょいと飲み過ぎて、帰り道でゲーゲー吐いているという汚い句。
 「二汁五菜」ではなく、原本の字のごとく「二十五菜」もあるごちそうだとも考えられる。どっちにしても厳しい(きびしかりけり)ことだ。 



ふき味噌を子になめさせてしかられる


468 ふき味噌を子になめさせてしかられる  きびしかりけりきびしかりけり

 「ふきのとう」の入った「ふき味噌」は、ちょいと苦くて大人の食べ物。それを子どもに食べさせた父親が、母親にしかられている。なぜか子どもに大人の食べ物を少しだけ味あわせたくなる。
 うわあ、幼児虐待だ。……そんな冗談が冗談ではなくなった現代社会。次の句は、私の実話。

喫茶店パセリ子どもに食べさせた
今でもパセリはついているかな
 



倒れ者おとといった医者にかけ


581 たおれものおとゝいそった医者にかけ  つきぬことかなつきぬことかな

 「倒れ者」は、行き倒れの者のこと。誰かもよくわからない相手だから、ちゃんとした医者ではなく、おととい医者になったばかりの者にみさせた、という句。
 当時の医者は、頭を丸めて坊主のような頭をしていた。また、倒れ者は町内で面倒をみなければならなかった。

先生の指示を受けてる若い医者
それ聞き手術の麻酔で動けず

 これまた私の実話。数年前の泌尿器科の手術。



 次回に続く、 

 


誹風柳多留はいふうやなぎたる」のまとめは、



 タイトル画像は、長沢芦雪ろせつ(1754~1799)の作品の模写。
 当時の画家は、虎の絵を多く描いているが、江戸の町に虎がいたわけではないので、全て想像画になる。動物を多く描いた芦雪ろせつは、「猫」を観察して虎の絵を描いたようだ。猫の動きのような虎の絵が多くある。
 この時期の表現は、師匠の円山応挙まるやまおうきょ(1733~1795)の影響を受けたもの。

虎図部分


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