火星のプリンセスの星が近づき新たな物語が始まる
火星のプリンセス、デジャー・ソリスをめぐるジョン・カーターの火星での冒険を描く冒険活劇SF。かつて創元推理文庫(現在は創元SF文庫)で次巻を楽しみに夢中になったものだ(シリーズは全11巻)。「ジョン・カーター」のタイトルで映画にもなっている(2012年)。
火星は「赤い惑星」ともいわれ夜空に赤く輝いている。他の星に比べて明るく、赤く光っているのですぐわかる。
とはいうものの、地球が明るくなり、夜に見える星の数が減ってきた。天の川なんて全く見えない。昔は本当に川のようにたくさんの星が見えたのに。
それでも「一番星見~つけた♪」という金星は夜空で光る。
季節によって見える時間が違い、夕方、一番星としてみえるのは宵の明星と呼ばれる。今頃の金星は宵の明星。南西の低空に位置している。
明けの明星は、夜明けころに見えるもの。夜が明けても、最後まで光っている。今年の9月頃までの金星は明け方に見えていた。
(バローズには、カースン・ネイピアを主人公にした「金星シリーズ」もある)
火星は、2022年は12月1日に、地球に最接近する。日が沈んだ頃、東の空に見える。だんだん上に昇り、真夜中には頭の上近くに見える。(この時期でのこと)
地球と同じように太陽の周りを回っている星たちは、地球との関係で、他の星とは違った動きをする。それがまたおもしろい。自然の不思議。
先日11月8日の皆既月食も、不思議でおもしろかった。
テレビやネットではいくらでも綺麗な映像を見られるが、冬の風が吹く冷たい空の下で、そんなに大きくはない赤い月を見ていると、自然の神秘を感じるとともに、何か物語が浮かんでくるようだ。外へ出て本当の自然を見つめよう。
「火星のプリンセス」(1917年刊)ではインディアンとの闘いの後に火星へ行くことになる。100年前の物語だ。
南北戦争に騎兵隊にインディアン。インディアンを残虐非道の悪役として描くなど、差別表現がたくさんある。でも、当時としては当たり前に描かれていた。
最近の映画は、黒人がヒーローになるものが多い。現代物や未来物ならそれでもいいが、歴史的な物語では、欧米では黒人は常に奴隷だった。ヒーローにはなれない。そんな奴隷制度があったのは歴史的事実で変えようがない。新大陸アメリカに上陸した人々が、もともと住んでいたインディアンの土地を略奪したのも事実だ。それを忘れてはならない。事実をなかったものとして新しい物語を作ってはならない。
かつての日本においても、アメリカによる残酷な歴史がある。
若い男は兵士として出兵し、老人と女子どもしか残っていない日本。そこに無差別な空襲をし、笑いながら機銃掃射をして、ヒロシマ、ナガサキには実験用の核兵器を落としたアメリカ。それは歴史的事実。韓国や中国だけが被害者ではない。その事実を隠すことはできない。
そんな差別表現があるものの、それでも物語はおもしろい。大きなストーリーがおもしろいのだ。わくわくどきどきしながらページをめくる。
「火星のプリンセス」を読んでいると、次巻「火星の女神イサス」が読みたくなってきた(その次の「火星の大元帥カーター」までが、ジョン・カーターとデジャー・ソリスの三部作となっている)。
夜空に浮かぶ赤い星。
夜空を見つめていると雄大な物語が浮かんでくる。
作者バローズは、未開の地を冒険するターザンの物語も書いている。当時の人々にとっては、ターザンの活躍する地は未知の世界だった。他に金星シリーズや地底世界シリーズも書いている。日常とはかけ離れた世界の物語を描く。
さりげない日常の物語にもおもしろいものはあるが、スケールの大きな物語もおもしろい。当たり前の日常がひっくりかえった時に物語が生まれる。
100年前の火星シリーズもおもしろいし、1000年前の「古事記」もおもしろい。ストーリーがおもしろい。絵空事の物語に心がわくわくする。
非日常だからこそおもしろい物語がある。
赤い火星を見ながら、次の新しい物語が生まれるだろうか。
まずは外へ出て、空を見上げてみよう。