見出し画像

草双紙年代記②~江戸絵本の歴史を挿絵からたどる

 草双紙くさぞうしの歴史を、挿絵さしえ浮世絵師の画風を並べることによって描いた、「草双紙年代記くさぞうしねんだいき」、岸田杜芳きしだとほう(?~?)作、北尾政演きたおまさのぶ(1761~1816)画、天明三年1783和泉屋いずみや市兵衛いちべい刊の上下二巻の黄表紙、下巻の現代語訳。
 挿絵を描き分けた浮世絵師の北尾政演きたおまさのぶは、後の大作家山東京伝さんとうきょうでんの画家としての名前である。

 


下巻
 丸屋小兵衛まるやこへい発行の丈阿じょうあ作の青本あおほんをまねる

 浅草あたりに丸屋小左衛門こざえもんという者あり。もとは小野家に勤めし者なるが、この浅草で貧しく暮らしけるに、少将しょうしょう、小町に出会い、おおいに驚く。
 少将しょうしょう、小町はけ落ちして、ここへ来たりて、小左衛門に会い、おおいに喜びたまう。
小町「やれ、小左衛門、久しや久し」
小左衛門「まあまあ、こちらへおあがりなさいませ」

 


 恋川春町こいかわはるまち黄表紙きびょうし金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775)をまね、当時流行の髪型をえが

 小左衛門こざえもんの家に二人をかくまいしが、あまりにかっこうが古くさくて目立つので、となり金々きんきん先生たのみ、少将しょうしょう大通だいつうに仕立て上げる。
床屋とこや「よくお似合いです。これから吉原へ行くばかりだ。このかっこうなら、れた客に見えますよ」
 金々先生の女房も、同じく、小町を大通に仕立てる。
女房「これからは『大和物語』のような古い本はおやめになって、流行の洒落本しゃれぼんをお読みなさいませ。宮中きゅうちゅうはかまもやめて、流行の袴になさいませ」
作者「月代さかやきらない総髪そうがみから、月代を大きく剃った野郎やろう頭になるとは、ケチなやつが散在さんざいするようなものだ」
 般若はんにゃ五郎も金々となる。

 


 伊庭可笑いばかしょうの作品によく出る鬼を鳥居清長とりいきよながの絵をまねて描く

 少将しょうしょうは、あんまりヒマなので、近所の雷門かみなりもんかみなりを呼んで、いろいろ相談をする。
少将「こうしていてもつまらねえもんだ。なんぞ、商売でもないかな。芸能人がせんべい屋をよく出しているけど、おれもせんべい屋でもしようか」
雷「なにもいい案はごぜえせんが、聞きゃあ、おめえ、雨乞あまごいを失敗してクビになったそうだね。雨を降らせたら、元の公家くげ商売にもどれそうなもんだ。やっぱりれた商売がいいさ。雨を降らせるなら、ちょいとかみなりのわっちがどうにかしやしょうから、雨を降らせる計画を立ててみなせい」
小町「また二人して、遊郭ゆうかくへ遊びに行く相談じゃねえかい」

 


 芝全交しばぜんこう初期の作品をまね、北尾重政きたおしげまさ挿絵さしえをまねる

 さてもかみなりの計画で、少将しょうしょうも雨を降らせる気になって、まず、消火用の竜吐水りゅうどすいをたくさん集め、小町雨乞あまごいの短歌をよむのを合図あいずに、雷が太鼓たいこをドンドン打ち終わると、少将が鏡を両手に持ってポーズを決める。
 おおぜいの人をたのんで竜吐水りゅうどすいを押さすので、大雨となって降りそそぐ。
 また、おおぜいの人に、火吹竹ひふきだけを持たせ、空に向かってフーフーと吹かすので、大雨、大風、大雷、今までにないくらいの雨乞あまごいなり。雷ばかりホンマもんなので、素人芝居しろうとしばいの中にベテラン俳優が入るようなものなり。
 雷の招待しょうたいで、少将しょうしょうは、なれない雲に乗って、稲妻いなづまの役目をする。
 色男を光源氏ひかるげんじのようだというのは、このときよりはじまった。また、公家くげのことを雲の上の人、というのも、このときよりはじまった。ホンマかいな。
ガラガラガラ、ゴロゴロゴロ、ドロドロドロ、ビシャビシャビシャ、バシバシバシ、スッテンドーンドン
雷「どうだ、この太鼓たいこの打ち分け方」
少将「この雲は、かなりでこぼこしている。しかし、雨雲なのに黒くないから、足が汚れねえ」

 


 南陀伽紫蘭なんだかしらん作品の挿絵さしえに多い北尾派の絵をまねる、といっても本作挿絵さしえ北尾政演きたおまさのぶ北尾重政きたおしげまさ弟子でしで北尾派の浮世絵師うきよえしだけど

 小野小町おののこまちは、自分がんだ雨乞あまごいの歌、

ことわりやもとなれば照りもせめ
さりとてはまたあまが下とは

は、もう古いと、歌手の声マネで、

ことわりや日の本なれば照りもせめ
洒落しゃれたとてまた雨が降らねば

聞いていた観客「古い古い」
 大雨が、ウソのように降りかかる。

 


 教訓きょうくん市場通笑いちばつうしょうの作品をまね、色っぽい鳥居清長とりいきよながふうの絵でえが

 この雨乞あまごいのおかげで、少将しょうしょうも昔のように、天皇に呼び戻されるとのことで、それを見こして金を貸す人もあれば、少将も調子にのって、毎晩、吉原の遊郭ゆうかくへ通うので、小町の乳母うばが、このことを小町告げ口つげぐちする。
 小町は、姿も美しいが、心も美しく、このことを聞いても、少しも怒らず、
「もしや、途中でケガでもしなければよい」
という。女というものは、こうでなくっちゃね……というのは江戸時代の作者が言っていること。くわばらくわばら。
小町「この手紙を遊郭ゆうかくへ届けておくれ。夜遅く帰ると危ないので、夜が明けてから帰るように書いておいた」
乳母「あい、かしこまりました」
少将、これを立ち聞きしてから、女郎じょろう買いをピタッとやめる。

 


十一 朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじ作品の北尾重政きたおしげまさふうの絵、といってもあんまりそんな感じはしない

 大友黒主おおとものくろぬしも、昔のような野暮やぼはやめて、年老いた身ではおとなしくなり、少将しょうしょう、小町とも仲も良く、めでたき春をむかえたる。そのあらましを取り込んで、書き集めたる、らくがきもどう全交ぜんこう同然どうぜん芝全交しばぜんこう)の本を、見るも喜三二きさんじ朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじ+気散じ=気晴らし)、おや通笑つうしょう市場通笑いちばつうしょう+どうしよう)と、笑わば笑え、南陀伽紫蘭なんだかしらん(何だか知らん)、正月の春町はるまちたる(恋川春町こいかわはるまち+春待ち)最新刊、うやまって申しあげます。
めでたしめでたし

 


 赤本、黒本、青本という草双紙くさぞうしの歴史の中で、恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775刊)は、今までとは内容の違う、大人の読み物となったので、黄表紙きびょうしと呼ばれた。春町に続き、多くの作者が生まれ、黄表紙はおおいに栄え、江戸土産みやげともなった。そんな歴史を、挿絵さしえを通して描いているのが本作品である。

 そんな黄表紙について、最近はドラマでも紹介されているが、もっともっと多くの人に知ってほしい。
 文字の読める多くの町人や武士、吉原の遊女も読んでいた。江戸土産として地方でも読まれた。江戸時代を知るには黄表紙も知らなければならないだろう。

 


黄表紙の始まりといわれる「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

この後半部分に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。

 

 

作者岸田杜芳とほう(生没年不明)は、町人であり、黄表紙や狂歌の作者として知られている。
江戸時代に武士と町人が作り流行した狂歌についてはこちらも、

 

いいなと思ったら応援しよう!