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「ことわざかるた」を作ろう① いろはにほへとちりぬるを

 江戸時代には「いろはがるた」が遊ばれた。今でいう「あいうえお」順のかるただが、内容はすべて「ことわざ」で作られている。子どもたちは(大人も)遊びながらことわざを覚えた。生きていく上で参考になることわざも多いが、それを遊びながら身につけていた。

 今、道徳教育が叫ばれるが、道徳の授業って何をするんだろう。子どもたちに考えさせる教材を準備しているけれど、考える前に、「これはこうだ!」と言い切ることわざも必要だろう。子どもたちが頭の中であいまいに感じている思いに、言葉でスパッと言い切ることも大切だろう。とはいうものの、「旅は道連れ世は情け」と言った後で「人を見たら泥棒と思え」と言う。この世には両面があることも「ことわざ」が教えてくれる。
 うまくいかない、気にくわないからと、特に理由もなく短絡的に人を殺そうとするのではなく、人生には別の面もあるのだ、別の考え方もあるのだと「ことわざ」が教えてくれる。
 ネットゲームを一人でするのとは違い、かるたをしながら別の話もする。ニュースの話題もことわざにつなげられる。AIによって一方的な考えだけ教えられ、AIが選んだ一方的な考えの人たちとばかりつながって、別の面を知らないのは不幸だ。人と人とのつながりをつくるのも「かるた」だろう。
 当時のいろはがるたは、江戸のもの、上方のものなど、地域によってことわざが変わっている。多様な考えを教えている。ことわざかるたを作ろうとしたら、江戸時代のかるたから内容を変えてよい。

 子どもたちに覚えてほしい「いろはがるた」を考えてみた。これもいくらでも変えたらいい。取り札は子どもたちに絵を描かせたらおもしろいものができるだろう。その試作例を今から考える。



一寸いっすん先はやみ

 先のことは何があるかわからない。「一寸」は約3㎝だが、ここではほんのすぐ先のこともわからないという意味。
 しょっぱなからネガティブになるけど、人生は楽しいことだけではない。それをことわざで教える。災害大国日本に住んでいるだけでなく、人生でも大変なことはたくさんある。それをことわざで教える。これから何があるかわからないから「転ばぬ先のつえ」を用意する。
 「一寸先は闇」という言葉がマイナス思考でいやなら「石の上にも三年」でもよい。三年間は辛抱せよ。いやならすぐに仕事をやめてしまう今の子に、我慢ということを教える。自分が次世代に伝えたい思いをことわざにたくすのが「ことわざかるた」だ。


ろんより証拠しょうこ

 ああだこうだと議論するより、「はいっ」と証拠を見せれば一発で解決する。
 「ことわざなんか覚えてどうなるんだ」と言う子もいる。理屈ばっかり言うな。論より現実だ。「ことわざ」をしっかり覚えている子を皆の前でほめてやれば、「私も覚えてみよう」と思う子がいる。覚えるのが楽しいと思えてくる。本当にそうなるのかなと考えるよりも実際に子どもをほめてみよう。そういう子を増やして、「ことわざ」を覚えるのはおもしろいという考えを広げていこう。


花より団子だんご

 きれいな花より、食べられるダンゴの方がいい。名前よりも実利をとること。
 いくら言葉で理屈を言っていても、現実にあるものの方がいい。「論より証拠」と同じように、昔から口先だけの人が多かったのだろうか。子どもたちも口先の理屈をよく言う。「子どもの意見を聞かなければ」と耳を傾けるのはいいが、訳のわからない屁理屈にまでつきあう必要はない。「なぜ人を殺したらいけないのですか」という子どもには、「ダメなものはダメ」と言わなければならない。


二兎にとを追うものは一兎いっと

 欲張って二つ をしようとすると、どちらもうまく行かない。2匹のウサギを捕まえようとすると、結局は1匹も得られない。
 「一石二鳥いっせきにちょう」で両方手に入るのがいいのだけど。これまた両面のことわざがある。


ほとけの顔も三度

 やさしい仏様も、心の広い人でも、三度目には怒り出す。
 同じ失敗を繰り返す子どもに、毎回同じ対応をしていてはいけない。三度目には違った注意の仕方をしなければマンネリになり、子どもも「たいしたことではない」と思うようになる。「二度あることは三度」で、同じ失敗を繰り返すこともある。改善をしなければならない。また、「三度目の正直」という言葉もある。二度であきらめずに、もう一度チャレンジすることの大切さも教えたい。


下手へた長談義ながだんぎ

 何かの会議に参加すると、説明する人の長い話にうんざりすることがある。何が言いたいのかわからない説明を長々とする。まさに「下手の長談義」。説明が下手な人ほど、わかってもらおうと長々と話す。すぱっと説明できないからだ。「人のり見てり直せ」と思い、下手の長談義を聞くことも多い。長い説明はやめたいけれども、どうしても長々とした説明になってしまう。


灯台とうだいもと暗し

 自分のことや身近なことは気がつきにくい。
 「灯台」は、船の航路を照らす「灯台」ではない。昔の灯り、台の上に皿を乗せて、そこに油やローソクで火をともす。皿の下は影になって暗い。遠くは見えても自分の足下あしもとが見えない。
 かるたの「と」を「時は金なり」にして、時間を大切にしようと教えてもよい。


ちりも積もれば山となる

 ゴミも集まれば山のようになる。少ない金額でも集まれば大金になる。募金やクラウドファンディングもそうだ。
 「塵も積もれば山となる」という言葉を覚えておけば、なにかにつけて使える。ほんの少しの募金が大きな金額になる。ほんの少しの献血が人の命を救う。そんな想像力が働く人になるだろう。


良薬りょうやくは口ににが

 良い薬は苦い。今は甘い薬がほとんどだが、正露丸や改源の苦みが、なんか効いてる気になる。んっ、今は正露丸も改源も甘くなってるのか。耳に痛い忠告は、自分のためになる。甘い言葉ばかり聞いていてもプラスにはならない。
 パソコンやスマホを開けば、AIが自分にとって心地よい情報だけを並べてくれる。口に苦い良薬はなく、甘い薬だけを並べる。甘い薬に効果があればいいが、そのときだけの効果で、長い目で見れば毒となっているかもわからない。


ぬかくぎ

 ぬかみそにクギを打っても手応えがない。「豆腐にかすがい」も、やわらかな豆腐にかすがい(二股になったクギ)を打っても手応えがない。効き目や手応えのないこと。
 「ぬかみそ」や「かすがい」も目にすることがなくなった。


るい以てもって集まる

 同じような仲間が集まってくる。
 悪い仲間とつながっていれば、「しゅまじわれば赤くなる」で、自分もダメになる。自分が抜けようと思ってもなかなか抜けられない。更生するには大人が協力することも大事だが、子ども自身が「類を以て集まる」という言葉を知っていれば、ああ、同じような人間同士が集まるのだ、俺はこんな人間なのだ。そう感じて、自分から悪い輪から抜け出すこともできる。類を以て集まっているのは自分だけでなく、仲間も同じ。自分が抜ければ、仲間も悪の輪から抜け出しやすくなるのではないかという想像力も生まれる。


いては子にしたが

 年を取ったら子どもに従え。
 子どもたちにはまだ早いかもしれない。子どもにことわざを教える自分自身に伝えるべき言葉かもしれない。けれど「子どもしかるな来た道だもの年寄りとしより笑うな行く道だもの」で、子どもも大人になり、年寄りになる。子どものうちから当たり前のこととして教えておきたい。


 ちょっと長くなりそうなので、いったんここで終わる。あんまり長い記事は読む気が失せるので(個人の感想です)「いろはにほへとちりぬるを」七五の部分で、つづく。
 もっと教えたいことわざがあれば、日常生活で使ってみてほしい。大人も案外知らないことわざも多いもの。


 見出し画像の写真はぱくたそからお借りしました。水中写真を撮っているさやかさんの作品です。身近なことわざを知らないのと同じように、目の前にある海の中の世界も知らないことがたくさんあります。


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