国破れて山河あり、中学校国語教科書で学ぶ漢詩のリズム
光村図書の中学国語教科書では、2年生で漢詩を学ぶ。「漢詩」とは、中国の詩。なぜ日本の中学生が中国の詩を学ぶのか。昔の日本人は、中国語で書かれた漢詩を日本式に読み(書き下し文)、暗記し、独特のリズムで覚えていた。それが日本の詩や文章に大きな影響を与えた。
現代人にも覚えてほしい漢詩が、教科書には四つ載っている。
春暁 孟浩然
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少
絶句 杜甫
江は碧にして鳥はいよいよ白く
山は青くして花は然えんと欲す
今春みすみす又過ぐ
何れの日か是れ帰年ならん
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
唯だ見る長江の天際に流るるを
春望 杜甫
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書万金に抵る
白頭掻けば更に短く
渾べて簪に勝へざらんと欲す
これを覚えるために読みやすく再掲する。何度も声を出して読めば覚えてしまう。
一つずつ見てみよう。
春暁 孟浩然
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少
この形を書き下し文といい、日本人はこの形で暗記した。この形のリズムを覚えた。
もともとは中国語の詩なので、中国語のまま(中国語の語順で)漢字だけで書かれたものを白文という。
春暁
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
白文で書くと、よくわかるが、1行に漢字五文字のものを「五言」、4行のものを「絶句」といい、この詩は5文字、4行なので五言絶句という形式になる。
中国語で上から下に読むと、各行の最後の音、「暁」「鳥」「少」は、「暁」「鳥」「少」と同じような中国語の音になる。これを押韻という。日本語の書き下し文で読んでもわからないが、中国人の作者は音をそろえてリズムを持った「歌」にしていた。
訳は、
春は眠くて明け方もまだ寝ている
あちこちから鳥のさえずりが聞こえる
夕べは風雨の音がひどかった
風雨で花はどれほど散ってしまっただろうか
絶句 杜甫
江は碧にして鳥はいよいよ白く
山は青くして花は然えんと欲す
今春みすみす又過ぐ
何れの日か是れ帰年ならん
書き下し文は翻訳文となるので、訳者によって訳し方が違う。だから違った読み方のものもある。「江は」の「は」、「鳥は」の「は」をとって、「江碧にして鳥いよいよ白く」と読んだりもする。
絶句
江碧鳥愈白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年
1行五文字、4行の詩で五言絶句。「然」「年」が押韻。
川は深緑、鳥の白さがひきたっている
山は青々、花は燃えるような赤
今年の春もみるみるまた過ぎてしまう
いつになったら故郷に帰ることができるのだろう
望郷の思いを歌ったこの詩の作者、杜甫は詩聖、詩の聖人と呼ばれた、唐の時代の漢詩を代表する作者。聖人というだけあって真面目な性格だったらしい。
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
唯だ見る長江の天際に流るるを
黄鶴楼送孟浩然之広陵
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
1行七文字は七言。4行なので、七言絶句。押韻は「楼」「州」「流」。日本語では「楼」だけちょっと違うが、中国語で読めば、同じような音になるのだろう。ただし、日本の古典と同じように、中国語も現代中国語ではなく、昔の中国語で読むそうだ。
故人は死んだ人のことではなく、古くからの友人のこと。昔からの友人、孟浩然(前述の「春暁」の作者である有名な詩人)が揚州へ船に乗って行くので、黄鶴楼で送別会をひらいた。
旧友は、西にある黄鶴楼に別れを告げ
花咲き春霞立つ三月、揚州へと川を下る
遠くに見える一そうの舟の帆も青空に消え
ただ長江(揚子江)が天の果てまで流れていくのを見るばかり
作者、李白は、杜甫と並び称される代表的詩人。李白は詩仙と呼ばれた。詩の仙人。仙人は、女の太ももを見てフラフラしたり、酒を飲んだり、あんまり真面目でない部分もある。実際の李白も大酒飲みだった。
春望 杜甫
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書万金に抵る
白頭掻けば更に短く
渾べて簪に勝へざらんと欲す
春望
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻短
渾欲不勝簪
これは少し長い。8行の詩を律詩という。1行五文字なので、五言律詩。押韻は、「深」「心」「金」「簪」。ひらがなで(日本語で)書くと、「ん」だけが同じだが、発音を見ると「sin」「kin」と、2/3が同じ音「in」になる。
また、1句(1行目)と2句(2行目)、3句と4句、5句と6句は対になっている。「国」と「城」、「山河」と「草木」、「在り」と「深し」のようになることを対句という。こういう技法も日本文学は学んできた。
戦乱によって都は破壊されたが、自然の山河は変わらず、町は春を迎え草木が生い茂る
時世のありさまに悲しみを感じ花を見ても涙を流し、家族との別れをつらく思っては鳥の鳴き声を聞いてさえはっとして心が傷む
戦いののろしは三か月にわたり、家族からの音信もとだえ、やっと来た便りは万金にも相当する
心労のため白髪になった頭を掻けば一層薄くなり、冠を止める簪もさすことができないほどだ
この詩「春望」は以前、暗記してほしくてnoteに載せた。
「春望」以外の詩も、昔の日本人には常識的な詩。これらの詩のリズムが、日本人にしみついていた。暗記してほしい。暗記してしまえば、昔とは違った、新しい日本文学の発展があるかもしれない。
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