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「江戸春一夜千両」③京伝の黄表紙~大人の世界の春の夜の夢
「江戸春一夜千両」(1786刊)は山東京伝作、北尾政演画の黄表紙。全三巻の下巻、最終回の現代語訳。
大富豪が、店の者に金を与え、一晩で使い切ったら倍にするという。いざ金が手に入ったら人はどうするかを絵と文で描く。
五十両をもらった飯炊き男は、五十両をそのまま盗まれたら(使ったら)、倍にしてもらえると、裸で追い剥ぎに会いそうな場所を歩いている。
下巻
十二
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向こうの藪の中から、あやしい男がぬっと出て、道に立ちふさがる。これこそ追い剥ぎだろうと、こっちから声をかけ、五十両を渡せば、ひったくって、いづくともなく逃げ失せる。
飯炊き「はいはい、この五十両をあげてしまえば、残るは体とふんどしばかりさ。刀を抜いたってむだじゃ」
さてさて計画どおりうまくいった。さらば家へ帰って、二倍のお金を受け取らんと立ち上がれば、そこは隣の稲荷さんの前のはきだめの中なれば、
「さてはキツネに化かされたか、残念」
と言っても、相手はもういない。裸だと思っていたのが、やはりいつもの服装、懐へ手をやれば、五十両の金は木の葉にもならず、いけしゃあしゃあ、まじまじとしてありける。
十三
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息子は、早駕籠にて吉原の茶屋、伊勢屋へ来て、
「誰というあてもないけど、今夜中に禿を新造にする、新造出しをやるつもりだ。男女芸者を全部買い占めて、祝儀のソバは、来る途中に二十両であつらえてきた。衣装も一通りはできたが、残りの注文はまかせた。八つ時分(午前2時)までにはできるように。さてさて、金を使うのも、なかなか気苦労なものだ。こりごりした」
息子「まず、誰にしようか。初対面で身請けの相談は聞いたことがあるが、新造出しは聞いたことがない。まあ、頼んだらやってくれるだろう」
亭主「それはまた急な申し出でござります。お梅や、まあ、誰がよいかのお」
女房梅「まず松葉屋の松人さん、瀬川さん、歌姫さん、玉屋の紫夕さんは小紫さんのことさ、扇屋の花さん、滝さん、十市さん、丁子屋の丁山さん、雛さん、唐琴さんや千山さんもおりますし、竹屋の歌菊さんもかわいいさ、京町なら鶴屋の菅原さん、丸ゑび屋の江川さん、大文字屋の廿巻さんもいますし、大菱屋の象潟さん、小町屋の千町さん、まだまだいますが、わたしが心やすくしているのはこのくらいさ。おお、口が酸くなった。誰か息をつがずにこれを早口言葉で言ってみろ」
十四
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吉原中の男芸者、女芸者を買い占めて、男はそろいの白仕立てだが「正月そうそう白とは乗り気がしないなあ」と言う者あり、女の黒無垢も土用干しのようだと悪口を言う者もあるので、みなみな金三両を払い、着てもらう。
♪シャンシャンシャンシャンシャン、もひとつ祝ってシャシャンのシャン
男芸者「こういう場面を京伝さんが見たら、すぐに草双紙に書くさ」
十五
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いよいよ丁子屋の丁山に決まり、今、客が帰ったというところを起こされ、まだ目をこすりこすり、今夜中に新造出しをするとのこと、一人の新造に五六人がついて、船頭多くて新造を山へあげるのたとえどおり、なんとか支度ができあがり、ようやく一番カラスの鳴く時分に店へ出る。
新造「まだ目が覚めません」
新造「ぬしもきつい艶二郎だね」
亭主「惜しいことだ。このような新造出しを昼にしたいものだ。夜更けだから誰も見ていない。甲斐のないことだ」
新造の必要経費、芸者の費用、しめて五百両。衣装代の二百両を入れて、しめて七百両。まだ三百両残りければ、こいつはならぬともう一思案と駆け出しける。
息子「この金をなんとか早く使ってみたい」
十六
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女房は、注文どおりの着物ができあがり、着替えてみたところが、ちょうど八つ過ぎゆえ、芝居はなし、遊びに出るにも夜なので、どうしたものだろうと思案して、おお、それよ、伝え聞く、梅が枝の芝居では、無間の鐘をついて三百両の金を出している。同じ理屈なれば、無間の鐘を逆さにつけば、三百両は消えそうなものと、手水鉢をひっくり返し、ひしゃくを逆に持ち、「むけんのかね」ならぬ「けんむのねか」と打たんと振り上げる。
ちょうど二階に帰ってきた息子殿、持っていた「その金、ここに」と、三百両をばらりばらりとまき散らす。
これは夢か現か、三百両の金が出現し、倍の六百両となりける。
息子「さいわいさいわい、これで両方得するというものだ。おふくろもすっかり芝居の気取りでいる」
女房「ああ、三百両の金が、ほしくもなんともないなあ」
十七
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あるじの長者右衛門、この物音に驚き、部屋より出てくる。
番頭の五百両は思案橋でまごついているうちに夜が明け、手代の二百両のうち、買い占めの五十両は間に合わず夜が明けて、丁稚は食べ過ぎてお腹が痛くなり、下女の三十両は、実家に相談に行く途中で夜が明け、隠居様の五百両は、病気あがりを如意棒でしたたか打たれて、いまだに枕が上がらずに、飯炊きの五十両はキツネに化かされ、おかみさんの三百両は倍の六百両に増えて、息子殿の千両は見事使ってのけければ、約束どおり倍の金をやるまでもなく、今日より百万両の身代を渡し、家中の者が「おめでたい」を八百ほど言うかと思えば、明け六つ(午前6時)の時計がギイ、ギッチャン。
長者右衛門「なんと、金というものも、使おうと思ってもなかなか使われぬものだろうが」
息子「ありすぎてもおもしろくなく、生かして金を使おうと思ってもなかなか使われぬということを、みなみなよくわかりました」
まさのぶ画、京伝作
ギイギイと音を立てる時計も当時からあった。京伝は、当時の新しいものを作品の中に取り入れ、遠近法を使ったり、「解体新書」の解剖図なども描かせたりしている。斬新なアイデアはないものの、今あるものをうまくアレンジした作品が、京伝の得意とするところだ。京伝の他の黄表紙作品を見ると、また新しい発見があるだろう。
京伝の代表作「江戸生艶気樺焼」の中に、他の黄表紙の紹介もある。
京伝については、