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いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす
イチハツの花は、アヤメ科の中では最初に咲くので「一初」という漢字で表現する。俳句では夏の季語となるが、夏の初め、初夏の花だ。春の終わりを告げるイチハツの花が咲いた。
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす 正岡子規
作者、正岡子規は病床にあり、自分の命がもう長くないだろうと感じていた。今年の春が終わる。来年の春の景色を見ることができるのだろうか。そんな思いをこめて詠っている。
さっきまでスミレやレンゲを見ていたはずなのに、イチハツの花が咲いていた。いつ咲いたのかわからないうちに、もう花が開いている。季節が過ぎていく。
と書いているが、実は私はイチハツの花をよく知らない。今見た花がイチハツの花かどうか分からない。アヤメ科の花は花だが、花の区別ができない。
いずれあやめかかきつばた。アヤメとカキツバタの区別もできない。
図鑑を見ると、イチハツは、青紫色の花で、外側の大きい花びら(外花被)には、つけ根から真ん中にかけて、鶏のトサカのような白いヒダがある。中国原産の外来種。
アヤメの花は、網目模様で、外側の花びらには黄色い模様がある。
カキツバタとハナショウブの花は、網目模様がなく、湿地に育つ。
知識として頭に入れていても、実際の花を見ても区別がつかない。黄色い色をしたキショウブ(黄菖蒲)くらいしかわからない。ハナショウブは品種改良が多くされ、菖蒲園が各地にある。好きな人には違いがわかるのだろう。
いずれあやめかかきつばたは、いずれ菖蒲か杜若と漢字で書く。「菖蒲」は「アヤメ」だけでなく、「ショウブ」とも読む。5月5日の菖蒲湯のショウブは、アヤメとは似ても似つかない花を咲かせるが(ショウブ科)、花菖蒲と書くハナショウブはアヤメの仲間(アヤメ科)。何が何やらわからなくなる。
正岡子規は、命の最後の春を目に焼きつけたが、生きていても春を見ることができないこともある。
中国の詩人、杜甫の漢詩。
絶句 杜甫
江碧にして鳥逾白く
山青くして花然えんと欲す
今春看又過ぐ
何れの日か是れ帰年ならん
揚子江の川の色は深緑色をして、白い水鳥を鮮やかに浮かびあがらせる。山は青々として真っ赤な花が燃えるように咲いている春。美しい春の風景が終わろうとしている。けれど、これは私のふるさとの風景ではない。望郷の思いにさいなまれながら異郷の春を見ている。ふるさとの春を見ることができるのはいつの日なのか。
これは三省堂の中学校教科書「現代の国語」の書き下し文。光村図書の教科書の書き下し文とは違う(下記のリンク)。原文(白文)は同じでも、日本語に訳すときに違ってくる。
絶句
江碧鳥愈白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年
生きている我々も、明日はどうなるかわからない。今ある風景をしっかり目に焼きつけて、美しいものをたくさん心に蓄え共有しよう。
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