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一流万金談①~江戸の大人の絵本、その名は黄表紙

 江戸時代には木版で印刷された本がたくさん出版された。その中で、絵と文が一緒になった子ども向けの絵本もあり、それらを草双紙くさぞうしといった。江戸時代後期になると、大人の読み物として遊郭ゆうかくもあつかった絵本が出版される。それが黄表紙きびょうしである。子ども向け絵本のように、荒唐無稽こうとうむけいの話が多いが、そこにえがかれるのは当時の江戸の町の風俗である。
 大きさは中本サイズ(約180㎜×130㎜)の小さな本で、二つ折りにしたA4(297㎜×210㎜)ほどの紙五枚(五ちょう)で一巻一冊となり(表紙は除く)、二~三巻の短い作品で、正月に発行され、江戸の土産みやげともなった。
 「一流万金談いちりゅうまんきんだん」は、朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじ(1735~1813)作、北尾政演きたおまさのぶ戯作者げさくしゃ山東京伝さんとうきょうでんの浮世絵師としての名前、1761~1816)画で、天明元年(1781)に蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろう(1750~1797)から発行された上下二巻二冊。
 万金丹まんきんたんは、解毒げどく鎮静剤ちんせいざいとして有名な丸い丸薬がんやく(現在はおなかの薬として、指定医薬部外品)。それを、万のお金を使う話とシャレたタイトルとなっている。
 作品の現代語訳(かなり意訳)を、二回に分けて紹介する。

 


上巻

 昔、神田の岩井町に、福屋ふくや徳兵衛とくべいという大金持ちあり。四番目の息子、六十四郎むそしろうは、おろかな男で、百に三十六足りないので六十四郎むそしろうというべし。名前に意味がわからないように、変な思いつきをしては金を使うので、徳兵衛とくべいは息子の将来を心配し、屋敷を一軒用意し、金一万両を与え、「これが一生分だ」と伝え、
「この上は、どんなことがあっても、もうかまわないぞよ」
と、厳しく言いわたす。
徳兵衛「これがおまえの一生分の金じゃ。そう思って使わなければ、足りなくなるぞよ」
六十四郎「ありがとうござります。この上は、必ずお世話にはなりませぬ」
番頭「かならずかならず、ふらふらとなさいますな」

 


 六十四郎むそしろうは、一生を一万両にしてもらい、おおいに喜んで考えるに、今年、三十一歳になるので、百歳まで生きるとすれば、一年で百四十二両三もんめふんりんあまりになり、また、明日死ぬかもわからないので、今日中に一万両使ってしまおうか。いやいや、そうだ、人の命はわからぬものなれども、同じことなら長生きをして、細く長く金を使うのがいいだろうと考え、家に出入りの医者長庵ちょうあんを呼んで、長生きの相談をしける。
長庵「百まで生きるも、二百まで生きるも、すべて金しだい。百までなら一万両かかります。十年が千両ずつじゃ。お望みなら前金で薬を渡しましょうか。一子相伝いっしそうでんの薬ゆえ、処方箋しょほうせんを書くだけで千両かかります」
六十四郎むそしろう長庵ちょうあん様、それはあまりにも高すぎます。せめて処方箋しょほうせんを書いてくだされ。それなら、こっちで買いましょう」

 


 六十四郎むそしろうは、百歳まで生きたいと思い、千両はらって、
処方箋しょほうせんを伝えたまえ」
もうしければ、長庵ちょうあんが申すには、
「これは一子相伝いっしそうでんの秘法ゆえ、他人に伝えてはならぬもの。けれど、おこころざしに感動して、伝え申さん」
と、衝立ついたて処方箋しょほうせんを書きつけ、千両もらって姿をくらますとは、うまいものうまいもの。
長庵「文字を書くだけで千両ただとる山。これはおもしろい」

 


処方箋しょほうせん
流沙りゅうさ川の水をせんじに使い、魯国ろこく生姜しょうが一片
  中国河北省の流沙りゅうさ川の水で、孔子こうしの出身地、山東省にある生姜しょうがひとかけらをせんじる。
 

 六十四郎むそしろうは、おおいに喜び、この薬を買い求めて飲もうと思い、まず、天竺てんじく流沙りゅうさ川の水と、魯国ろこく生姜しょうがの求め方に困り、かねて心やすくする欲心坊よくしんぼうという僧が来たりければ、このことを相談する。
欲心坊「それはさいわい幸い。私は、このたび唐へ行く思いあれば、天竺へも行き、流沙川の水を手に入れましょう。その前に、唐の国で魯国の生姜しょうがを求めましょう」
六十四郎「それならお願いしたい。どうぞ、天竺の飛脚ひきゃく屋に頼んで、早く頼みます」
欲心坊「唐に行くには千両、天竺までならまた千両、合計二千両お出しくだされ。これは前払いでござる」
手代万八まんぱち「これは安いもんだ。さすがお坊様、欲心がないなあ」

 


 六十四郎むそしろうは、かねてから出入りしている、道具屋の道六どうろく具兵衛ぐへいを呼び、長寿の薬品を言いつける。
道六「これは、どれもこれも高価なものでござります。ずいぶん安く手に入るようにいたしましょう」
六十四郎「どうぞ、掘り出し品が見つかるように頼むぞ」

 


処方箋しょほうせん
後藤十二代の金の獅子ししの目玉
  初代後藤祐乗ゆうじょう以来十二代、代々将軍家の金細工を作ったが、そのライオン像の目玉。
王羲之おうぎし直筆の「寿ことぶき」の文字を五字切り抜く
  中国の書聖と呼ばれる書家王羲之おうぎしの書いた文字。
蜀江しょっこうにしきの黒焼き 花のかすみ
  中国産の錦織物にしきおりもので、模様がついている。その模様の部分が霞のように白くなったはい
井戸の茶わんの欠片かけらを粉末にしたもの
  井戸の茶わんは、茶の湯で愛用される茶わんのひとつ。

 道六「後藤家で作られた金の獅子ししの目玉ですが、金の獅子ししの像自体がなかなか手に入らず、定価は五千両、もし目玉を取った後の像をくだされば、二千両引いてあげます。目玉はこちらで抜かせてもらいますが、手間賃てまちんはサービスします。おなじみ様へのサービスなので、他の人には内緒ないしょですよ。
王羲之おうぎしの書いた『寿ことぶき』の文字ですが、王羲之直筆じきひつの本もござれども、『寿』の字だけとは掘り出し物、安くして二百両、旦那だんなだけへのサービスです」
六十四郎むそしろう蜀江しょっこうにしき織物おりものの黒焼きも必要だけど、当世とうせい流行はやらぬ布だ。なんと角兵衛かくべい殿、千両とは高い、必要なのは花の部分だけ、花の部分だけなので五百両でどうだ」
花見袋屋丸屋まるや角兵衛かくべい「これは同じ蜀江しょっこうでも、劉玄徳りゅうげんとくが着込んだきれ、高くつきます。五百両なら安いもの」
具兵衛ぐへい「これは正真正銘しょうしんしょうめい井戸いどの茶わん、千利休せんのりきゅうの証明書もございます。とても珍しいものですぞ」

 


処方箋しょほうせん
古近江の三味線のさおをけずったくず
  石村近江作の三味線を「古近江」と呼ぶが、その三味線のさお香木こうぼくで作られていたもの。
古法眼こほうげん筆の福禄寿ふくろくじゅ眉毛まゆげ
  室町時代の画家、狩野元信古法眼こほうげんが描いた七福神のうち、福禄寿ふくろくじゅ眉毛まゆげ
大極上朝鮮人参ちょうせんにんじんはい
  乾燥かんそう朝鮮人参ちょうせんにんじんは高級強壮剤だが、それをさらに焼きすぎて灰にしたもの。大極上だいごくじょうは、最高級品のこと。
大極上さめの親粒
  刀のの装飾に使う鮫皮さめがわの背中にある大きな粒の最高級品。
 

三味線屋川堅屋太鼓たいこ「この三味線しゃみせんをご覧ください。挽き屑ひきくずだけで、五十両分はございます」
六十四郎むそしろう「なんとなんと、おれも三味線のレッスンに三年通ったぞ」
具兵衛ぐへい古法眼こほうげんの、珍しい本物でござります」
生薬屋きぐすりや小坂屋源六げんろく「これは人形ひとがたに見える二股ふたまた人参にんじん、三百両分をはいにいたします」
さめ肌右衛門はだえもん親粒おやつぶをぬいたら値がさがります。この親粒なら、三百両から一銭も引けません」
手代万八まんぱち「それぞれ好き勝手に言わっしゃるが、うちの旦那だんなの三味線は、一回千両の値打ちもんさ」

 


処方箋しょほうせん
高尾たかお足袋たびひもの黒焼き
  吉原の有名女郎高尾たかお足袋たびひもだが、遊女が足袋をはくことはなかった。また、当時、高尾の名の女郎はもういなかった。
 

六十四郎むそしろう傾城けいせい足袋たびをはかないものだけど、親方の力で、高尾たかおにちょこっと足袋をはかせてくだされ。それをこっちにもらいたい」
三浦屋四郎兵衛しろべい「それはおおきな思い違い。高尾に足袋をはかせたければ、一日でも身請みうけをなされてからのこと。まだ四年の年期が残っておりますので、五千両でご相談にのります。と言うところだけれど、こうなさいませ。朝に身請けして、夕方にはお返しなさるのならば、千両箱と五百両で手を打ちましょう」

 


長生きのできる薬の材料集めを続けながら、次回、最終回につづく、

 


黄表紙の始まりといわれる、鱗形屋孫兵衛うろこがたやまごべえ発行の「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

黄表紙の代表作、蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろう発行の「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」の現代語訳は、こちら、

これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので、そちらも見てほしい。


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