「火垂るの墓」とは一味違う野坂昭如について考える
永六輔、小沢昭一、野坂昭如の中年御三家の歌を思い出す。三人は1974年に武道館ライブを行った「歌手」である。マニアックな一部の人たちにはうけていた。
私がレコードを買ったのは野坂だけ。限定版のLPを通信販売で購入した。
届いたレコードを取り出すと、なんと真ん中の穴に紙が貼ってある。レコードは、プレーヤーの突起に、穴を差し込まなければならない。その穴が膜で覆われている。まっ、まさに処女膜を模した作りになっている。とてもドキドキしたことを覚えている。性の興奮ではない。いくらギンギンの十代でも、何も書いてないただの紙を見て興奮する訳がない。商売物のレコードに、こんな遊びを入れていることにドキドキしたのだ。こんなレコード、前代未聞だ。
「♪マリリンモンロー ノー リタ〜ン」(マリリン・モンロー・ノー・リターン)、「♪ジンジンジンジン血がジンジン」(バージンブルース)や「♪row&row振〜り返るなrow」(黒の舟唄)の泥臭い歌がよみがえる。
野坂といえば、映画監督、大島渚のパーティーで、酩酊し、なぐりあいのケンカをした映像がたまにテレビで流れる。
野坂といえば酒とサングラス。黒いサングラスで目が見えない。目は口ほどに物を言うといわれるが、その目が見えない。だから何を考えているのかわからない。口も、真一文字に閉じていることが多いので、ますます何を考えているかわからない。
話し出すと、独特の口調で話が止まらないけど。そういえば、永六輔も小沢昭一も、話し方はそれぞれ独特だ。話しているのを聞いただけですぐわかる。永や小沢のラジオは、聞いた瞬間にわかる。
今のラジオは瞬間にわかる人が少なくなったような。ただ自分がラジオを聞かなくなったからかな。ラジオと違い、テレビでは顔がわかるのに、顔を見ても誰がしゃべっているのか個人が特定しにくいコメンテーターやアナウンサーもいる。顔にも意見にも特徴がないのだ。
サングラスと同じで、今のマスクも、口元が見えない。女の人全員が美人に見える(セクハラとは言わないで……)。口の表情がわからない。見えないからミステリアスな魅力がある。
大人はそれでいいだろうが、言葉を覚えなければならない幼児は、口元が見えない分、言葉をどう覚えるのだろう。
野坂昭如は、自分が描いた「火垂るの墓」と同じような経験をしている。
神戸大空襲を経験している。「一九四五・夏・神戸」という著書もある。
小説やアニメでは、妹思いのやさしい兄が描かれているが、野坂本人の話によると、妹に隠れて一人ものを食べたりしていたそうだ。小説にする時、贖罪の気持ちとともに、きれいな物語に作り上げたのだろう。
「火垂るの墓」は短編で、もともとの本のタイトルは、「アメリカひじき・火垂るの墓」。短編小説「アメリカひじき」は、敗戦時の闇市体験を描く。紅茶の葉っぱをひじきだと思って食べた話だ。
野坂の小説自体がエロくグロいものが多い。デビュー作が「エロ事師たち」。「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」という作品もある。「凧になったお母さん」が入っている短編集、「戦争童話集」のようなやさしい作品もある。
野坂は、最初は放送作家として活動し、いずみたくと組んでCMソングの作詞家ともなった。ハウス・バーモントカレーの唄などが有名。作詞した「おもちゃのチャチャチャ」はレコード大賞童謡賞受賞。
「四畳半襖の下張」(永井荷風著)のワイセツ裁判で1980年、有罪。編集長を務めていた月刊誌「面白半分」に掲載したものが「猥褻文書の販売」とされたのだ。
1983年、出馬。参議院議員当選。ロッキード事件で有罪となった田中角栄元総理に対抗して衆議院議員総選挙に出馬するため議員辞職。選挙では次点で落選。
40歳を超えたおっさんになってからラグビーを始め、チームを作る。ラグビーボールを持って走る。ものすごい行動力だ。
中年御三家全員、何かに夢中になる行動力はすばらしい。自分も何かしなくては、と思わせられる。