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ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~

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2021年3月の記事一覧

ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記⑦~ 二十四~

ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記⑦~ 二十四~

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

二十四・最後の夜 商店街から帰って来て、最後のリーダーミーティング。明日の予定の話があってから、今回のボランティアを、チームを振りかえってのことばを、各リーダーが話していく。あるリーダーさんは被災者の方々のことを思って、こらえきれず泣いていた。胸をつくもの。きっといろいろある。そんななか、チーム番号最後

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ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~⑥ 二十二~

ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~⑥ 二十二~

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

二十二・町を見る 最終日の作業は1時間早めに終わり、我々は初の外出。石巻の商店街へ連れて行ってくれるらしい。お買い物して地域への貢献をしようってんだ。そこで何かしらイベントがあるという。

 バスに乗ってさぁ出発。初めて、カスカ周辺以外の町の様子が見えた。カスカにある地図でインターナショナルLLさんが何

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ニート、東北へ行く ~東日本大震災ボランティア記⑤~ 十八~

ニート、東北へ行く ~東日本大震災ボランティア記⑤~ 十八~

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

十八・我 作業で一番気をつけなくちゃいけないこと。それはケガ。僕らが作業するのは不衛生な場所だってある。どこから来たかわからないヘドロが相手だ。そこに埋もれたガラス、釘によるほんのかすり傷だって、大きな病を引き起こすことだってある。傷を受けたわけでなくても、爪の間に入ったばい菌による化膿だってある。現に

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ニート、東北へ行く ~東日本大震災ボランティア記④ ~十五~

ニート、東北へ行く ~東日本大震災ボランティア記④ ~十五~

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

十五・お話を聴く1 いろいろな御宅にお邪魔して作業させていただいた。そして、住まわれている方々にお話を聴かせていただいた。

 「こっちの竹藪は茶色、向こう岸の竹藪は緑色、そう、この運河まで津波が来たんだよ。」ご夫婦はそんなことをおっしゃっていた。そう、茶色い竹藪は塩水を被った証拠。この運河が境目ってこ

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ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~③ 十二~十四

ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~③ 十二~十四

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

十二・KASKA'S DAY 今日はボランティアの一日に時間軸で追っていくぜよ。♪時間軸を曲げて~♪by小沢健二。って曲げないよ。正しくいくよ。

 まず我らが宿泊してるカスカ・ファッションのデータ!
 泊っているボランティア数は59名(数名途中離脱)、それにLLのみなさん、管理人さん、寮母さんってこと

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ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~② 六~十一

ニート、東北へ行く~東日本大震災ボランティア記~② 六~十一

以下の文章は3度のボランティア体験について2011年5月~12月にかけて当時書いたものです。

六・東京へ 旅立ちの朝です。

 はじめての高速バスで、はじめて一人で来た東京。通り過ぎたのも含めて3回目だ。途中PAで浜名湖を、富士山を眺めた。東京でピザを食べた。気持ちを張り詰める前にただ目の前のものを楽しもうと思ったんだ。
 ただ迷わないように、山手線で研修がある高田馬場へ行こう。ホームへ上がろう

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ニート、東北へ行く〜東日本大震災ボランティア記〜 一〜五

ニート、東北へ行く〜東日本大震災ボランティア記〜 一〜五

はじめに

東日本大震災から10年、節目なんてものはないってわかっていても、なんだか物思うことが多いこの頃。

10年前、あの頃の私は大学を卒業してから3年ずっーとニートだった。

そして3月11日14時46分、岐阜の我が家で地震を感じたけど、特に気にならなかった。テレビもつけてなかったし、ただ23日からはじまる私のはじめての個展(サポステとので繋がりでちょうどNPOを立ち上げた方のカフェで写真展

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