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西加奈子の「i」を読んだ


久しぶりのnote!

ココ最近、書きたいものはあっても見せたいものが特になかったので投稿してなかったけど元気です。


かんだは本は好きなんですが、波があってめっちゃ読む期と全く読まん期があります。今は久しぶりに読みたい期が来ました。
ということで、1回読んだ小説を今のタイミングで読んでみようかしらと本棚をひっくり返していると、なんかもう自分の本棚が汚いうえに積ん読したまま読み切ってない・触れてない本があるわあるわで…うわあもう…ほんまに…と思い、買ったのに読んでいない彼らに申し訳が立たず、順番に読んでいくことにしました。

そして今日選ばれたのが、西加奈子さんの書いた「i」という小説。高校生くらいで買った覚えがあるけどそのまま読んでませんでした。カスです。


ということで大学の行き道と空きコマで読み切っちゃいました。読むの早くなった気がする。


ここからはめっちゃネタバレなので、この小説を未読で読みたいと思ってた方は読むのをお勧めしません、くそネタバレします。






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ネタバレ大丈夫ですか?いけます?


ということで感想とか好きなとことか、雑になってしまいましたが書きなぐりました。
書評というか衝動書きなので、色々悪しからず、、

そしてだいぶ個人的な感想です。正解も不正解もないと信じて書きました!!


ということで本題。

まず、今ロシアとウクライナが大変な中、読めてよかったと強く思いました。

世界の悲惨な事件や残酷な出来事に心を痛めなければならないと誰しも思ったことがあるのでは無いでしょうか。私もかく言うそのうちの一人で、「アイ」と同じように恵まれていることに罪悪感を感じたことがあります。幸せであることに罪の意識や嫌悪感(?)を感じてしまうのが、もうとんでもなく傲慢で、そんな自分がすっごく嫌だなあと思ってました。



でも、この感覚はそれほど特別なものでは無いんですね。

これを書いてくれたことが救いでした。

そして、東日本大震災の渦中に居たいと思ってしまった「アイ」の気持ちも凄くわかります。不謹慎で、あまり人に大きな声で言うことが出来なさそうな気持ち。


ただ、流産のシーンに「アイ」は自然と渦中の人になり、どうして私が?と強く怒りや絶望を覚えています。全員この経験をしてしまえばいい、と。


この対比が強すぎて辛かった。


出来事の強烈さ(この表現が正しくなかったら申し訳ないです)も相まってかなり個人的に堪えたシーンでした。

なんというか、「アイ」がどこまでいっても幸せな人であったことがどうしようもなく苦しかった。


あと「ミナ」がすごく素敵な人だったのが印象的。若くって眩しくって、私たちと変わらない女性でした。

メールのシーンは凄かった。
「アイ」は自分の良いところを全く自身で見つけられていなかったし、描写でそのようなものもありませんでした。ほとんどずっとすっごい暗かった印象が…。

そう、「アイ」は自分(「i」)を「愛」していなかった。あまりにも。

だから、私たちは本当の「アイ」を全て見ることはなかった、何も見えなかった。成績が良い事でさえ長所に見えなかったのはすごい。

ただ、「ミナ(=社会)」からすると長所の塊みたいな人で、「アイ」こそ眩い存在だったんですよね。人間には多面性があることも、周りからしか分からないものがあることも知っていたけれど、メールのシーンまでそれを思い出させなかった西さんがひたすら凄いなと思いました。

あぁそうだった、人はそういうものだった、と気付かされた時が、もうすんごく悔しかったです。


そしてもう1つ。
「アイ」は本来の親による生物的な誕生、そして「ミナ」や「ユウ」の存在による二次・三次的な誕生を経験し、最後に「アイ」自身によってまた誕生したのでしょう。

最後のシーンがあれで良かったなあと思います。ほんとに。マジでほっとした、幸せでよかった。これどうやって終わるんや…?と思っていたけどあれでよかった。

いやあ、よかった。




ここまで一気に書いてしまいました。
締め方がわかりません。

とりあえず読めてよかったしなんで積ん読してたんかなあと思っています。
この小説はこれからも何回も読みたいですね。良かった。おわり!



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