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作者の思い、売る人の思い、受け取る自分の思い|思い出図書 vol.09

わたしは昔から国語が得意であったし、国語の教員免許も取得したくらいなので「その時のA君の気持ちを答えよ」とか「作者の考えを書け」とかいう問題に対して、否定的な意見は持っていない。
ただし、どんな問題でも明確な目的意識を持って出題する必要があると思っている。
というよりも、何を知り何を考えてほしいのか、どんなことに想像力を働かせてほしいのかという願いを込めて、授業を組み立てテスト問題を作るべきなのだ。


大学4年になって教育実習へいく際、これらの問題の意義について考えた。
小癪な生徒に「日本語喋れてるんだから別によくない? A君の気持ちなんてA君にしかわかんないじゃん、考えるの無駄じゃね」とか言われた場合に備え、脳内で想定問答をしたのだ。小癪な自分を論破していく訳である。

A君の気持ちはA君にしかわからないかもしれないが、だからといってA君の気持ちを慮らなくて良いことにはならない。
「A君」を自分や家族や友だち、恋人に置き換えた時、同じことは言えないはずだ。自分の親から「あんたの気持ちなんてわからないから考えないわよ。無駄でしょ?」と言われたら傷つくに決まっている。

気持ちを考えた結果間違ったって、ズレたって、その都度お互い歩み寄ってすり合わせて行くしかない。「考えた結果」というのがわかればこそ、間違えられた方も歩み寄れるのだ。無駄などでは決してない。

だから学校では同年代の人間が集まって一緒にそういうコミュニケーションを学ぶわけだが、実践ばかりではなく座学もあった方が良い。「A君」は何度間違っても傷つかないでいてくれるのだから、うってつけというわけだ。


作者の思いを考える問題だって、本当に作者が何を思って書いたのかを「当てる」必要はない。その作品から感じられる意図のようなものを言語化し、読む人に伝わるように書けば良い。
作者の思いを「当てる」ことが目的なのではなく、自分が感じたことに向き合って言葉にし、意見表明してもらうことが目的なのだ。


そんな訳でわたしは他人の作品解釈が自分とどれだけ違っていても気にならないし、むしろ興味深いと思っている。これは小説家になりたいと思っていたせいもあるだろう。
いろんな視点がなければ、キャラの書き分けや物語の展開が作れないからだ。


しかし、数年前に自分でも思いもよらないことがあった。
東野 圭吾さんの「人魚の眠る家」を読んだ後、その帯の惹句に怒りを覚えたのだ。

作品のあらすじとしてはこうだ。
娘の小学校受験が済んだら離婚しようと考えている仮面夫婦。二人が面談の練習をしていると、娘がプールで溺れたと連絡が入る。駆けつけた時には娘は「脳死とされる状態」となっていて……。
目覚めることはないと言われても、ただ眠っているようにしか見えない娘を巡って苦悩する夫婦。家族のあり方や、コミュニケーションに関する最新技術、様々な立場の人からみた移植医療というものが描かれていく。

この、娘が『脳死とされる状態』と診断されるシーンとその後を、作者はとても慎重に、そして極めて理性的に書いていると、わたしは感じた。
安易なお涙頂戴がしたいのではない、テーマはこの先にあるのだと、作者の強い意志を感じたのだ。

だというのに、である。帯についていた本書の惹句は以下のものであった。

答えてください。
娘を殺したのは、私でしょうか。

作者に無断ということはないだろうから、きっと東野 圭吾さんも承知なんだと思う。作者がいいならいいのだ。本の売れ行きに一切関係ないわたしがとやかくいうことじゃない。


でも、やっぱり言いたい。
そこじゃないんじゃないか!?と。

その部分を安易に『フック』と捉えて、惹句に使って関心を引いて読ませよう、みたいな思惑が感じられて、非常に受け入れ難いのだ。
わたしは帯もカバーも綺麗に残しておく方なのだが、これだけは帯を捨てたくなった。


生命倫理とか、移植医療とか、そういうものを広く多くの人に読んでもらうためには必要なのかもしれない。
そもそも、わたしと、この惹句をつけた人とで、作品を読んで感じたことやテーマ感が異なっていたって全く問題はない。
家族の愛の物語と読んだって、ほの淡い憧憬を描いていると思ったって、良いのだ。


きっと「なぜこの惹句にしたのか」を知る機会を持てないから、モヤッてしまうのだろう。
売り文句であって、コミュニケーションではないのだ。こちらが勝手に食い違いを起こして憤っているようになるから、いつまでもモヤッている。

かといって、これで「ご意見・ご感想」の葉書を送るのも、モンスタークレーマー甚だしいとも思う。本の売上に関与しない安全なところから「自分の読みと違う」ということだけを送りつけるのだから、受け取り手からしたら持て余すだろう。
自分の感じたことに向き合って言語化し、伝える技術を持つことは大事だが、時としてスルースキルも重要なものだなぁと思う。

人魚の眠る家(東野 圭吾)
幻冬舎


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