大きな山を登ったら、あとは転がり落ちるだけ
何日か前の日記で書いたけど、やる気を出す方法を発見したので、実践している。いい感じだ。
どこかに出かけなきゃいけない用事がある時に、早めに準備を終えて、その準備した格好のまま、家を出る時間まで執筆をする。すると、これまで押しても引いても出なかったやる気が出てきて仕事が捗って、家を出る頃には「ああ、もっと書いていたいのに」と思うくらいに集中できるのです。
これ、はたして他の人にも適用できるだろうか、と考えた。たぶん次の条件に当てはまる、わたしと似た人はいけるかもしれない。
①外出して人に会うのが限りなく億劫。できれば永遠に引きこもっていたい。
②非合理的な意味のない行動は嫌い。
まず、わたしは外出するための準備がものすごーく億劫で、着替えたくないなあ、もう家にいたいなあといつも思っている。が、約束や楽しみな予定がある以上出ねばならぬので、えいやっと準備する。つまり、大きな大きな「出かけるのめんどくさい山」をどっこらせと登るわけです。
この「めんどくさい山」の高さが低いと、次の行動につながらない。軽々登れる人は多分わたしの方法は効かない。
そうして山の頂上に登って、普通ならあとは出かけるだけなのだが、この位置エネルギーを利用して億劫な執筆を始める!本来なら「執筆めんどくさい山」を登らないといけないところが、「出かけるのめんどくさい山」の方が高いから、あとは降りていくだけで執筆ができる。
そうやって位置エネルギーが減ったら出かけたくなくなりそうだけど、ここで②が効いてくる。
出かける準備したのに、出かけずにまた部屋着に戻るなんて、そんな無意味な行動は耐えられない…!
これは夏にジムで泳ぎに行く時に使った手なのです。まず水着に着替える。そうしたらもう、行くしかない。家の中で水着を着ただけで脱ぐとか、その無意味さに耐えられない。水着を着たからにはプールで泳がねばならぬ。
というわけで、新しい技を得たわたくし。ジムに行く前に実践してます。おかげでジムは閉店間際に駆け込むことになるけど…。
今日は堀さんの家で5000字ほど書いた。はかどったのだけど、でもまだ先は長い。同じく、ブックライティングをやっている堀さんと、書いても書いても終わらないねーと言い合った。
ライターや小説家で仕事場を家とは別に借りる人がいるけれど、わたしはたぶん約束がなかったら行かなくなりそうだ。そして行ってもひとりだったら家にいるときと同じようにさぼりそうだ。適度な人の目が必要だ。
〈本日の小説活動〉
複数の作家の短編が載っている短編集『文学2022』を読んだ。全然頭に入ってこない作品があって、なぜわたしはこの描写を読まされているのだろうと思いながら、読むのをやめるべきか、読み続けるべきか、ぐずぐず迷いながら読んだ。いつものことだけど。わたしの読解力がないだけなのか。どんな作品も読む側の感性や能力があれば何かしら受け取るものがある。きっと読み手のプロはそう考えて、どこまでも歩み寄って読むのだろうと思う。その方が元も取れる。
だけど、わたしは歩み寄らずに、届かなければ立ち去ってしまう読者の気持ちになって、いつも、読む。飛距離や深度を測っている。どう書かれたかを分析しながら。どう書かれるべきだったのかを考えながら。
まっとうな読者ではない。純粋でまっとうな小説の読者には、一生なれないと思う。小説を書き続ける限り。
藤野可織さんの短編『消滅』がとてもよかった。積み重なるエピソード。日常に侵食する。忘れられない光景として、わたしの日常にこの物語が食い込んできた。こんな小説を書けたらいいな。
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