本はオワコンではない。ChatGPTで遊びまくったら見えてきたこと。
5月18日にライターとして参加した講談社新書『思い出せない脳』(澤田誠・著)が発売される。昨日、見本が届いた。
本の見本が届くとしみじみ嬉しい。けど、しばらくは、中は開きたくなかったりする。毎回毎回本を作るのは吐くほど大変なので、その過程を思い出したくないから…(笑)わたしの名前は最後の奥付に載っています。
1冊の本を作るには、まず、著者に10時間くらいインタビューする必要がある。8~10万字書くには、1日6時間取り組んだとしても最低30日はかかって、さらに勉強したり調べたり他の本を読む時間も7日くらいはかかる。修正や校正にも7日くらいかかって、ライターの労働時間だけで274時間。これに著者の準備・レクチャーの時間と手間、編集者の仕事、イラストレーター、校閲、印刷、流通、あれやこれやがどしどし乗っかってきて、本ができるわけで。それが980円で買えるなんて、ずいぶんクレージーな話だよなと思う。多くの人が本を必要だと思い、大量生産が可能になった結果、ここまで値下げできているわけで。
そんなことを思うと、なんだか他の本も急に凄みを増して見えてきた。家の本棚や積読本を眺めながら、ここに知の結晶がある…と思った。
1ヶ月20ドル払って、ChatGPTの有料版で遊び倒した。その結果、<抜群のコミュニケーションスキルは持っているけれど、知の内容は浅くてネット上の情報を不完全につぎはぎしただけ>という相手と話すむなしさを感じ、自分がそんな人間にならないように本を読まねばという気持ちになった。
機械が抜群のコミュニケーションスキルを持っているというだけでも、ものすごい画期的なことで、書き言葉で英会話練習をする相手には最適だった。でもわたしの仕事には使えない。なので無料版に戻した。英会話練習だけなら、無料版でもできるし、他のツールもいろいろ出てきているし。
文章を書くのが苦手で辛くてどうしようもないという人には結構使えると思う。箇条書きで情報を入れて、報告書を作成してもらったり、メールのたたき台を書いてもらったり、企画書を作ってもらったり。
でも、プロとしては、ChatGPTにできることをやっているようじゃ駄目なわけですよ。途中過程のアシスタントとして使えるかなと思ったけれど、それも物足りなくて役にたたなかった。<知の内容は浅くてネット上の情報を不完全につぎはぎしただけ、という相手>だから。
文章の価値というのは、書き手の知や思考力にあるのだと思った。そうして、ちょっと恐ろしくなった。
というのも、最近は本よりも、いろいろな対談や講演やインタビューを見るようになっていたからだ。両手がフリーになるし、話を聞く系の動画なら、ずっと見ていなくてもいいから視界もフリーになる。家事をしたり歩いたりしながらでも聞ける。効率がいいと思っていた。
でも、本1冊を真剣に読めば4時間くらいで読めるのに、動画はとても時間がかかる。動画を見ていて気づきをくれた発言をメモすることはあるけど、本を読んでいると、本の言葉だけでなく、自分の中からふっと(時には関係ない)アイデアが湧いてメモすることも多い。情報を受け取っているときの頭の使い方が違うのかもしれない。本の役割はインプットだけではない気がする。読むことで、脳が刺激されたり鍛えられたりしている気がする。
今は、ChatGPTを使っては、みんな、こいつ嘘ばっかり言うな~かわいいやつめ~と余裕をぶっこいているわけだけど、すぐにぐんぐん発展していくと思う。もう1年とか2年とかで、情報をまとめるだけのライターはChatGPTに敵わなくなるのでなはいだろうか。百科事典を揃えてグーグルに対抗しようとする人が今はもういないように。
だけど、いくら発達しても、古今東西の本(特に電子書籍化されていないもの)の中の知にアクセスできるようになるのは、まだ先のような気がする。誰かが入力しないといけない。もし入力できたとしても、言葉のつながりや関連だけで文章を紡ぐのとは違う、本を読み取ることで得られる何かを、誰かが言語化し、メカニズムを解明し、実装しないといけない。
人はどうやって本を読み、そこから何を得て、どんな知を育てているのか。そんな研究って聞いたことがないけど、あるんだろうか。もし、まだそんな研究が発展していないとして、それをできるのがまだまだ人間の専売特許だったとしたら、知を使って価値を提供する仕事は、活字の本を読める人が生き残るのではないだろうか。少なくともわたしの寿命が尽きるくらいまでは。
いつか、というか本当に近い将来、ChatGPTが本も書くようになると思うし、簡単な記事や文章はChatGPTが書いてしまうようになる。そんな世界になったら、何が起こるか。
たぶんだけど、わたしたち、ChatGPTの文章に飽きると思う。イラスト生成AIツールも最初は感動したけれど、あまりに大量に見すぎて、すぐに飽きてしまったし。文章も同じ事が起こるのではないだろうか。そうしたら、ChatGPTっぽくない文章が求められるようになると思う。ChatGPTの文章に慣れた人が小説を読んだらかなり衝撃だと思う。生々しくて、有機的で、五感をぐらぐらさせて、自由で、でも読みやすい。
大量生産の安い服を着ていた人が、デザイナーの1点ものを着てびっくりするみたいな。服は機能性があって、それなりにおしゃれで、みんなと一緒でもいいんだよ、という人もいるし、こだわりの熟練の技の詰まった1点ものの服に憧れる人もいる。服の場合、1000円と100万円くらいの差があるけれど、文章の場合は0円か1000円かくらいの差しかない。青空文庫(著作権切れの名作)や図書館なら0円だ。
絶対、小説の時代が来るな。ChatGPTに書けない文章を書く人の価値が相対的に高まっていく。ChatGPTには持てない知の深い体系を持ち、有機的な思考力を持ち、ChatGPTが学習できない、人間の五感に響く文章を書く力を持つ人が求められる。
今までわたしは、みんなが本を読まなくなり、ネットの文章で事足りてしまい、心血注いで作り上げたオーダーメイドの文章なんて、誰も良さを分かってもらえない日が来るのではないかと、ちょっと心配していた。なので、動画や他のことができるように広げていかなくてはいけないのではとも考えていた。だけどChatGPTを使ってみてわかった。これだけ人間がたくさんいるんだから、ChatGPTではない文章を求める人は必ずいる。ユニクロがたくさんの人に買われても、他の服ブランドも生き残っているように。むしろChatGPTが爆速で普及すれば、価値は際立つ。
ユニクロ的方向で機械と勝負してはいけない。動画もきっと、機械がさっさとやってしまうようになるだろう。そっちじゃない。
本を読まなくては。本を読んで、理解し、心を動かし、考える力を衰えさせないことが、わたしにとっての、サバイバル術だ。本を読むって訓練のいる特殊能力だと思う。読んでない人は読めない。ゲームをプレイしていない人がゲームが上手くならないように。走ったことがない人がマラソンを走れないように。
どうしてもできない人もいるけれど、その人は他のインプットをすればいいわけで(脚本は読めないけど耳で聞いて天才的な演技を発揮する俳優もいる)、本を読めるようになろうと思うなら、本を読むしかないと思う。コツコツと。時間がかかっても読み続ける。わたしは小中高と毎週10冊くらい図書館で本を借りて読んでいたら、気がついたら読むのが早くなっていたんだよね…。
今はあまり読まなくなってずいぶん衰えている。でも、本を読むのが好きという気持ちはあるのが救いだと思っている。好きじゃないと、読めないと思う。読むのが苦痛でしょうがない人は、どうすればいいんですか、なんてわたしに訴えないで、他の道を模索してください。
でもガチで答えたら、好きな本を見つけることが一番かも。アニメのノベライズでも、趣味の解説本でも、推しのエッセイでも、児童文学でも、図鑑でも。図書館で好きそうな本を積み上げて、ぱっとめくって面白くなかったら、はい次、って感じで。本の種類は無数にあるから「本が苦手」なんてくくってしまうともったいない。もっともっと気楽に適当にわがままに本選びをして、自分にとって面白い本に出会ってほしいなって思う。
最近の小説活動
『海をあげる』上間陽子・著(筑摩書房)を読み始めた。琉球大学教授で女性の貧困問題などの研究をしているというプロフィールを見て、勝手に、とても硬いルポタージュかと思った。でも上間さん自身のことを書いたエッセイだった。すごく心を揺さぶられて、読んでいるうちに、自分が最近忘れていた人間らしさを取り戻していけたような気がした。
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