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AIに文字起こしさせて、noteを書かせてみた(失敗)。

ツイッターのスペースでしゃべったのをAIで楽々記事化できるかどうか試したかったけれど、自分のしゃべりがあまりに面白くなさすぎたので没にしました。その代わり、AI文字起こしnottaに向かってしゃべって、文字起こしされた誤字脱字だらけのものをchatGPT4に放り込んで、エッセイ書いてって言ってみたら、またしてもあまりにもつまらなかったので、わたしのしゃべりがつまらないのか、chatGPT4がつまらないのか…どっちだよ、と落ち込みました。

やけくそで、太宰治風に書き直してって言ったら、今度は全然言ってないことを付け加えられた…。

(AIが躍進してきた)時代だからこそ、私は太宰治風の文章で物語を綴り、心に残る文章を書くことを目指しています。人間の繊細な感情や哲学、そして生きることの喜びや悲しみを表現できるライターでありたいと願います。

 そして、明日の講座で、受講者の皆さんに何か新しい発見や感動を与えられるよう、私は精一杯努力します。連休が終わった後も、原稿や取材に追われる日々が続くでしょうが、それでも私は自分の道を進み続けるのです。そこには、人間らしい感情や経験、そして太宰治風の文章による情緒豊かな物語が待っていることを信じて。

 今、私は新たな挑戦に向かって突き進んでいます。そして、その過程で自分の価値や存在意義を見つめ直しているのです。私が目指すのは、ただのライターではなく、心に残る物語を紡ぐ存在です。それが、私が生きる意味でもあるのです。

chatGPT4で生成した文章

誰だよ。そんなことひとことも言ってないし。chatGPT4は、何をもって太宰治風としたのだろうか…って考えると、面白いけどね。
↓わたしが言ったこと。
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上手にテキストを書くだけなら、AIが書いてしまうので、人間の書き手にの価値というのは、やっぱり人間性とかボディーとか生身なのかなと思う。生身が付属していることがテキストの価値になる。書いた人間の声や姿や生きざまがあって、初めてテキストに何か価値が出てくる時代になるのではないか。
つまり、もっと人間力を磨いていって、この人の書いた文章を読みたいと思われるようになる。別に文章じゃなくてもいいのかもしれない。その人の話を聞きたい、生で会いたいと思わせられる人がクリエイターとして残っていくんじゃないかなと思っています。

人間力を磨くっていうと、なんか堅苦しいけど「楽しそう」っていうのが1個キーワードかなと思っている。 楽しそうに毎日過ごしている、楽しそうに仕事をしている、という人になったら、人が寄ってくるというか、一緒に何かしたいなと思える人になるんじゃないかな。

いろいろ言いましたけれども、結局、 毎日楽しく生きようぜとそういう結論になるわけであります。以上。
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chatGPT4に日記書いてもらう作戦は、失敗。平均値のつまんないことしか言わないねからエッセイには向かない。当たり前か。でも喋って、文字起こしnottaさんに文字にしてもらって、それをもとに成形して日記を書くのはいいかもしれない。ハードルが低くなる。

だからchatGPTが駄目とかではなく。いろいろ使い方を模索しているところ。英会話の練習相手にはとってもいい感じです。

〈本日の小説活動〉
通販で買った服のコーディネートを考えたり、冬服を整理したり、ちょっとだけ料理したり、人間活動をした。


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