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029 『羽生善治の脳トレ一手詰め』/(あるいは、尊敬している人の話)

 正直に言います。
 わたしには、尊敬している人がいません

 立派だと思う人、見習いたいと思う人は、たくさんいる。けれど、そういうのは尊敬とは違う。

 だれかを尊敬している、と言う人は、対象となる人物の優れた一面だけで判断して、よくないところは無視(あるいは、都合よく解釈)しているようにも思える。

 武道をやっていたとき、そういう人によく出会った。
 彼らは、自分の師匠が一番すごくて正しいと思っていて、師匠のほうもヨイショされてまんざらでもなさそう。
 彼らの言う尊敬は、崇拝に近いと思った。尊敬=崇拝、というのにも違和感を感じる。

 でも、「だれも尊敬していない」と言うと、不遜なやつと思われそうなので、だれか挙げるとしたら、将棋の羽生九段。

 というのも、わたしの座右の書は、『羽生善治の脳トレ一手詰め』(小学館)という本なのだ。

 脳トレだから、初心者向けよりもやさしい将棋の入門書なのだが、わたしが感銘を受けたのは、この本のインタビューのページ。

 考えることの意義についてどう思うか、という質問がある。

 羽生九段は、考える習慣をつくるのはすごく大事なことで、この習慣があると、考えることと考えなくてよいことを区別できるようになる、と答えている。

 将棋の考えなくてよいこととは、「詰み」の局面だ。それがわかれば、考えるべきこと、つまり詰みの手前の局面に集中できる、というのだ。

 それまでは、世の中には、考えなきゃいけないことが多すぎる、と思っていたので、そもそも考える必要があるかどうか分ける、というのは、蒙を啓かれた思いだった。

 この本を読んでからは、「自分に関係することで、かつ、どうにかできること」にだけ、考えるエネルギーを使うようになったので、もし尊敬している人を聞かれたら、羽生九段と答えようと思います。

 まあ、「尊敬している人は誰ですか?」なんて、就活でしか聞かれない気がするけど。

 就活している方は、尊敬している人がいなかったら、好きな言葉とか、大事にしている考えを思い出してみてください。

 その発言者と、なぜそれが自分にとって大切なのかを言葉にできたら、十分理由になると思います。

 あなたがどのような考え方持っているか(そして、それが会社の方向性とマッチするか)を知ることが目的の質問なので、奇をてらわなくてもいいんですよ。

 ところで、将棋は基本的なルールと簡単な詰将棋しかわかりません。  

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