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蜷川実花のスランプ

蜷川実花のスランプ


僕は蜷川実花のスランプ、
何度かあったかもしれないのですが、はっきりと蜷川が口に出したのは一度だけだと記憶しています。

蜷川は2001年に木村伊兵衛写真賞という写真界の芥川賞と呼ばれる賞を受賞し、日本国内の主要な写真賞は全て受賞しました。
(写真ひとつぼ展グランプリ、キヤノン写真新世紀優秀賞、コニカ写真奨励賞、木村伊兵衛写真賞)

そして、2004年11月に現代美術ギャラリーの小山登美夫ギャラリーで個展も開催し、写真家としての評価は日に日に高まり、ものすごい量の撮影依頼がくる日々を過ごしていました。

年が明けて2005年、「写真を撮ることの感動を感じられない」という状況が生まれたのです。

蜷川実花はもともと仕事の依頼を受けて撮影をする職業写真家ではなく、自分が感動したものだけにシャッターを切る写真家です。

そんな彼女がシャッターを切る動機がなくなってしまったら、それは作家生命が終わってしまうことになります。

といっても僕にはどうすることもできません。
誰にもどうすることもできなかった。

これどうなるのかなあ、と思っていた時に雑誌の撮影でニューヨークロケが決まりました。

ファッション誌の依頼でモデルを撮影する仕事です。

作家として花や風景は撮れなくても、プロとしてモデルの撮影はできます。

そのロケから帰ってきた蜷川がスランプから抜けたと教えてくれました。

良い写真が撮れたと思う、と。風景写真のことです。

同行していたアシスタントに話を聞いてみると、みんなで食事をしていた夜のこと、急に雨が降り出し、「写真撮ってくる」とカメラを持って一人で雨のなか傘もささずに出ていって撮っていました、と。

その時、雨に濡れたニューヨークの街のなにかに惹かれてシャッターを切ったようです。

当時、アナログフィルムだったので、帰国して現像してみるまで何が撮れているか、どういった写真になっているかはわからなかったけれど、手応えがあったのでしょう。

なぜスランプになったのか、なぜスランプから抜けたのか。僕にはわかりません。

その後、蜷川は口にはしないけれど、さまざまな壁に当たり続けているとは思います。そして、やっぱり「写真を撮る」という行為によってその壁を乗り越えているのだと思います。

雨に濡れたニューヨークの街並みは写真集『floating yesrerday』(2005年)に収録されました。その帯にこんな言葉が載っています。

「無意識に過ごす日常は、あまりに多くのことを取りこぼす。ささやくような出来事を拾い上げた時実感する、世界は輝きに満ちている。」
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