小6のトラウマ フラッシュバック
親友喪失の恐怖
にて
過去のトラウマを綴ってしまったのだけど、どうしても
まだ背景が書き足りなかったので、追記として書き足して行くことにした
本題ここから
小6二学期からいきなり転校してきて尼崎から鹿児島の最南端
1学年250人いた学校から全校生徒が200人
1学年1クラスしかなくて
20年くらいだったろうか
まさかのそのまた、半年後、四人だけ私を含めて違う中学へ進学するという無慈悲なルールに翻弄された
小6で二学期の朝からいきなり、通学路がわからないカオス
親は自分のことでそれどころじゃなかった
妹、当時、4歳。
どっか隣(といっても歩いて五分、トトロの森のトンネルがまだ長くできていて車が通ると両サイドギリギリで山を切り開いた岩岩が道路となっており、舗装なんかも当然されていない山道だった
どんなに晴れても暗くて蚊も飛んでそうな山道が長く続いていた
店もただ一軒降りていくと、兵庫からきた私たちが店と呼べるのか、疑問に思うほど民間の玄関の一部屋だけを店にしているようなそんな店がその長い曲がりくねったトンネルの道を降り切って舗装された道路に出てから100メートルのところにあった
そして、隣にどっかに○○ちゃんの家があるからそこに同じ歳の子がいるやろう!と
父母らは、言葉を投げ捨てた
一軒だけある店は学校の通学路だけど、その子の家があると言われたあたりは、全くの反対方向
私なら夏休みの間に菓子折りでも下げて、我が子を連れて挨拶に行って
仲良くしてね。
まだ、道も知らなくて学校でもよろしくね、なんてしてあげたかな?
いきなり知らない6年生の女児が住んでるらしい家に行け!と言われて投げ出されたのだから。
なんとか探して一緒に行ってと頼んだ
その子には、かなり離れてるけど、幼な馴染みの大親友の子と毎朝、あるいていく習慣となって6年目のことだったから
当たり前だと思う。今思えば。
尼崎では、私も毎朝、大親友三人で歩いていっててお楽しみの通学時間だったから
私は邪魔者じゃん。
いきなり、突然、大阪弁の前日、学校のホームルームで
今日から友達になる〜と紹介された制服も着てない母が作ったワンピース姿の女の子が
我が家に?
なんで?
なんで連れて行かないもダメなの?
今になれば気持ちがわかる。
不意打ちだ
嫌だっただろうなぁ。
しばらくは、我慢して三人で通学することができた
感謝してます。
今にして。
帰り道ももちろん、わからないので待っていて連れて帰ってもらうわけだ
どれくらい経った頃だろうか?
その日は突然やってきた
ごめんだけど、明日から一緒に歩いていけないから
そう言われた
田舎だけど、あっちにはなかったバレーボールの練習があるのだ、と言われたのだ
それは今でも謎なのだけど
少年団でもなかったような気がするけど、遊びの一環でバレーボールをしてたのか?
それとも地域の大会があったのか?
もう二度と再び三人で歩いて行けることは、なくなった
私はイジメに遭ってると当時は真剣に悩んでいた
距離を取られたんだと。
未だに真相はわからない。
こちらで同窓会などしたら、ジモティーメンバーに彼女は
いるので来ることもあるし、顔を合わせたら、会釈をする程度
私はフラッシュバックするので、その時の話なんかすることは全くない。
彼女は私の母からめちゃくちゃ良い子と、未だに褒められている
親孝行者なんだそうだ
家業は、女性ができるものではないものだけど、見事にあとを継いで男性のごとく、両親の期待にそって活躍しているからだ
やっぱり私の記憶の違いなんだろう
そんな人は私をいじめるはずは、ない。
つづく
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