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『くちびるリビドー』第17話/3.まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風(5)


 翌日は快晴だった。きりりと澄んだ十一月の青空は、抜けるように高い。
 リビングに下りていくと、寧旺はお決まりの朝のスムージー代わりに(さすがにジューサーは置いてなかったので)ミネラルウォーターと好物の真っ赤なトマト、そして数種類のくだものをテーブルの上に並べ、さわやかな顔で咀嚼を繰り返していた。
「おはよう」と声を出す私はきっと、目の腫れたブサイク顔。
「眠れた?」
「もうぐっすり。海の近くって、どうしてこんなにも深く眠れるのかな」
「ワタシなんて、はりきって朝風呂にも入っちゃったわ。アンタも入ってくれば? お湯は抜いてあるから、新しく溜めなさい」
「はーい」と返事をし、浴室へと向かう。

 まるで家族だ。だけど恒士朗とは一緒に暮らせても、寧旺とは暮らせる気がしない。
 どうしてだろう。こんなふうに非日常を共有するには最高の相手なのに。いつだって私の心に寄り添ってくれる永遠の友だち、魂の仲間。
 そして恒士朗のことを考えると、私は限りなく孤独に近づく。永遠に交わることのない完全な他人。共通点のまったく無い、未知なる生物。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、お湯が溜まるまでの間、寧旺と一緒にバナナやキウイなどをつまみ、風呂を済ませて、簡単に身支度を整える。

 そうしてまずはおばさんと約束したとおり『深浦マグロステーキ丼』を食べるために店へと立ち寄り(炙っていただく天然マグロのどんぶり御膳、じっくりと味わった!)、私たちは今回の旅の目的「どっかで死ぬほど海を見ていたい気分」を満たすべく、さらなる北の絶景スポット「千畳敷海岸」を目指し車を走らせた。







くちびるリビドー


湖臣かなた








〜 目 次 〜

1 もしも求めることなく与えられたなら
(1)→(6)

2 トンネルの先が白く光って見えるのは
(1)→(6)

3 まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風
(1)→(8)


3

まだ見ぬ
景色の
匂いを運ぶ風


(5)


 その昔、津軽藩の殿様が千畳もの畳を敷かせて大宴会を催したと伝えられているこの場所は、地震による地盤隆起によってできた珍しい岩浜の海岸で(「日本の水浴場55選」や「日本の夕陽百選」にも選ばれているらしい)北の日本海を代表する景勝地の一つであり、私たちにとっては特別なパワースポットでもあった。
 平らに広がる岩棚の上は自由に散策することができ、風の強い日には複雑に入り組んだ岩の亀裂から勢いよく潮が噴き上がるのを目にすることができる。左端の「ライオン岩」から右端の「かぶと岩」まで、さまざまな奇岩が点在する海岸線は12キロメートルにも渡り、潮が満ちる時期になると岩肌の上を滑るようにやって来る白い波によって、低く平らな岩床の多くは覆い隠されてしまう。
 岩畳の上に残る潮溜まりや、足元の岩と岩の隙間(その奥には海水が満ちている)を覗き込みながら、ぶらぶらと水際近くまで歩いて行ってはそこに佇み、波打つ日本海をただただ眺めるというのが、あの頃から変わらない私たちのお気に入りの過ごし方だった。

 今も、変わらぬ気持ちで思い出すことができる。
「宇宙に浮かぶ惑星だ」と初めて訪れたとき、その光景に私は思った。
 踏みしめているのは、名もなき惑星の冷たい大地。私は今そこに立ち、たったひとりで宇宙と対峙している――。

 それは不思議な感覚だった。孤独さは、無限に広がる宇宙の前ではもう、ただ「あたりまえ」に存在しているものだった。

 そして夏休み、遊びに来た寧旺は言った。
「まるで、あの世とこの世の境目みたい。マージナル」と、そう。確かに言っていた。
 私は十三歳、新しい町でなんとか生まれ変わろうと試みはじめた中学一年生で、寧旺は高校一年生、どこまでもマージナルな十五歳だった。
 私たちは、おじさんとおばさんに「どこ行きたい?」と聞かれるたびに迷わずこの「千畳敷海岸」をリクエストし、飽きることなくこの岩浜を訪れた。夏はもちろん冬でさえ、天候が荒れていなければおじさんは車を出してくれて、めいっぱい厚着をした私たちは、荒れ狂う日本海にざぶんざぶんと洗われ続けるむき出しの岩肌を眺めながらいつまでも、それぞれの内なる宇宙に想いを馳せた(何がそんなにもふたりの心を惹きつけたのか、そして今でも惹きつけ続けているのか。わからないし、わからないままでいいけれど、こうやって簡単には来ることができないから、今の私はとても……困る)。

 おばさんの家を出て、国道101号線をひたすら北上すること約20キロメートル。
 ここからのドライブコースが最高に気持ちいい。海が近くて、ただ車窓からの風景を目にしているだけでもう幸せで、「いか焼き村」に立ち寄って、千畳敷海岸で食べるためのいか焼きを買って――。

 永遠に変わらない、思い出のルート。
 変わらないものなど何もないと知ってしまった今でも、やっぱりここは永遠だ。

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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆