見出し画像

【連載小説】 ともだち Chapter8−3

前回のお話Chapter8-2はこちら ↓

 なぜそんなことまでわかるのか。綾人は自分の心の中まで見透かした璃玖の言葉に驚いていた。しかし同時に、自分の心を理解して声をかけてもらえたことが嬉しかった。

『なんでわかるの?』

 彼の声は自信なさげな掠れた声だった。璃玖は勿体ぶった様子で少し「ふふふ」と笑って間を開けた。もう一度、手元のバラの香りを吸い込んでから続けた。

「こいつが、お前の寂しさとか不安を吸収している。」
『そんなもん、吸収するの?』
「おう、植物は人の負の感情を吸い込む。」

 少し離れたところからこの様子を見ていた香夜も、加賀のように目を輝かせた。何か閃いたようだった。

「それって、もしかして、ストレス溜まった時に森林浴するとストレス解消するみたいなのに関係ありますか?」

 璃玖は満足したように頷いて見せた。

「その通りだ。負の感情を吸収するし、悪意のような強い感情も消化する。意識体のろ過装置って感じかな。」

 加賀はすっかり弟子の様相で、璃玖の言葉を頭の中で反芻すると、納得した様子で何回が頷いた。彼が手にメモ帳を持っていたなら、一昔前の新聞記者のように必死にメモを取りながら聞いてそうな勢いだ。

「天狗さん、なんで植物のことそんなに詳しいんですか?」

 香夜の声も璃玖に対する尊敬や驚きを感じさせるぐらい、朗らかに室内に響く。それを耳にして、璃玖は少し照れくさそうな苦笑いを浮かべた。

「それは愚問だ…俺は天狗だから…」
「天狗だから?」

 それを聞いていた卜部が口を挟んだ。

「天狗は杜の守り人。樹木は彼の守護対象だ。」
「樹木だけじゃねぇよ…人間以外のほぼ全部だ。」

 加賀と香夜は二人とも同じように目を丸くして「何で、人間以外なんです?」と言葉が重なった。二人の熱量の凄さに璃玖も一瞬目を丸くしたが、すぐに悲しげにも見える複雑な表情を浮かべた。

「人間が火や電気を操って作り上げた文明という名の結界は強力でな…」
「火を操って作る?」
「文明という名の結界?」

 加賀と香夜は、璃玖の言葉の気になる部分をそれぞれ復唱していた。璃玖は困ったような嬉しいような複雑な表情を浮かべて、二人を見比べた。

「質問は一度に一つで頼むわ。流石の俺も口は一つだからな…じゃ、まず、暁人の質問から…」

 人が火を使うようになってから、作り出せるものが増えた。鉄を作り出すようになってからは飛躍的に文明が進んで行った。更に様々な自然界に存在しない物質が作り出されて行くに従い、璃玖の力が及ぶものが町中に減っていった。

 璃玖は風と水を自在に操ることができる。しかし、それは自然の中や人工的なものを含まない物に対してのみだ。コンクリートの壁に囲まれたり、アスファルトに覆われた地域では、水を操ることも風を起こすこともできない。

 文明によって作り出された場所は、まるで何かの結界が張られているかのように、天狗の力が作用しない。そのため、主に市街地を彼ら天狗は『文明の結界が張られた場所』と認識していて、普通の天狗は近寄りもしない。

「人が火を使う技術で創り出した物は、たとえ市街地にいなくても、一つ一つの物に結界の力が働いて、俺は全く作用できん。」
「作用できないとは?」

 加賀はすっかり弟子になったようだ。目を輝かせて新しい知識を吸収しようとしている。その様子に微笑ましげな表情を向けたが、すぐに自嘲するような語り口で続けた。

「情けねぇけど、俺にはなぁんにも守れねぇってことだ。実体化しても、ここじゃ人ほども動けん。無力な神よ…街中で大火事が起きようが、建物が倒壊して人が中に取り残されていようが、俺は火も消せなければ、瓦礫一つ動かせねぇ。人が刺されて倒れていたとしても、人工的な物でつけられた傷は治せない…できることといえば、意識体が肉体を離れるまでの苦しみを和らげるくらいだ…」

 舎弟の二人、加賀と香夜はどう声をかけていいか一瞬でわからなくなった。一気に重い空気に室内が満たされる。見かねた卜部が口を挟んだ。

「街中を彷徨うろついてる天狗は彼だけだ。他の天狗は山の中。彼が変わり者なだけで、本来はこんなところにいるべき存在じゃない。いないはずの場所にいるから力が発揮できないだけだ。実際には無力なわけじゃない。」

 璃玖は卜部の助け舟に感謝しつつ「違いねぇ…」と苦笑いした。

「それに、彼だって人間が作り出したものでも、守れるものもある。」
「ああ…まぁ…釘やネジを使わないで、木組みで作られたものだけだけどな…」
「宮大工の技術ですね!」
「おっ、よく知ってんな…その通りだ。」

 璃玖は『頼もしい』とでもいいたげな表情を浮かべて両腕を組みながら加賀を見た。

「昔はさ、俺らの力も借りながら神社、仏閣を守ろうとしていたから…俺らが作用できる作りにしたんだろうな。でも、だんだんそんな共同作業も減っていった…今じゃほんの数カ所だ…」

 璃玖は少し寂しげに皆から目を逸らすと再び手元のバラに視線を落とした。

 あたりが少し湿っぽい雰囲気になったのに気づき、璃玖はこんなはずじゃなかったと言ったように、頭を掻いてから、急にイタズラっぽい表情を浮かべた。

「生まれたままの姿で大自然に飛び込んできたら、いくらでも守ってやるよ。」

 香夜と加賀は「いやー…」とか「それは遠慮します」など、それぞれ口にして苦笑いしながらも、すっかり尊敬した瞳で璃玖を見ていた。

 璃玖も、「俺も本気に取られたら困るわ」と言って笑った。にこやかで和やかなひと時が部屋の中に流れた。


 やり取りに一段落したと判断すると、卜部がみんなに向かって語りかけ、今後の段取りについて話し合い、次回の日程が決まった。

「では、今日はこれで。長い時間、ありがとうございました。」

 卜部が挨拶すると、皆それぞれ礼をしてから立ち上がった。そして、実体化した白蓮が静かな笑みを浮かべて加賀に近づいた。

「では、私が暁人と綾人を部屋に案内しましょう。お腹も空いたでしょうから、デリバリーで夕食をご用意します。土井さん、香夜さん、もしもよろしければ、彼らの部屋をご覧になってから帰られますか?」

 美月はどうしたらいいかわからないまま、無力感ばかりを募らせていた。できれば早くこの場を後にしたかった。

 「ぜひ、拝見したいです!」

 美月の耳に香夜の言葉が突然飛び込んできた。その途端、美月の体は思わず動いた。

「私も見たいです…」

 香夜たちが院長室に戻ってきてから、初めて美月が発した意思を持った言葉だった。皆の視線が美月に集まり、彼女は少し恥ずかしそうに俯き、彼らについて行こうと一歩踏み出した。

 直後、彼女の後ろから璃玖の左腕が首元に回され、彼女の体は彼の胸元に優しく引き寄せられた。

「いや、美月はこっち。」
「…なんで?」

 美月は驚いて振り返った。彼女の声は掠れ、大きく見開かれた瞳は困惑と不安に潤んでいた。

「話がしたい。」

 囁くように低く抑えた璃玖の声が、彼に触れている部分に共鳴して美月の心を震わせた。背中に当たる璃玖の胸が温かい。美月は溢れそうになる涙を必死に堪えた。

 風が吹き荒ぶ中で途方に暮れて佇んでいる感覚に陥っていた彼女は、彼の温もりに抗えず「やっぱり…残ります。すみません…」と少しだけ目を伏せた。

 香夜は少し安堵した面持ちで美月と目を合わせ、彼女を励ますように小さく頷いてみせた。

 部屋に戻った時から美月の異変に香夜は気づいていた。しかし、その表情から、言葉をかける時ではないと判断して、何が起きたのか聞きたい気持ちを必死に抑えながら彼女を見守っていた。

 二人を見て土井は穏やかな笑みを浮かべると「俺も部屋見てみたいです。」と言って一行の移動を促した。そして、白蓮の後に続いて、加賀たちが続く形で院長室のドアに向かった。

『美月!また、明日ね。おやすみ!』

 美月に向けた綾人の声が室内に響いた。美月は精一杯の笑顔を意識して、加賀と綾人の方を向くと、「おやすみ、またね。」と言って、小さく手を挙げてみせた。だが、笑顔が自然だったかは自信がなかった。「また、明日」と、出来ないことを口にすることもできなかった。

「じゃ、天狗さんも、また明日!」

 加賀の言葉に、璃玖も手をあげて答えた。そしてドアを出る時、皆口々に挨拶をかわし、卜部、璃玖、美月を残して院長室を出て行った。

 ドアが閉まるまでの間、三人は皆の背を静かに見送った。扉が閉まると同時に残された三人の間には再び沈黙が訪れた。

 美月は背中越しに感じる璃玖の穏やかな気配に包まれ安堵を覚えながらも、心の中に燻る迷いや不安に向き合い、自分の答えは自分にしか出せないのだと改めて自覚していた。

『私の出る幕はなさそうだ。』卜部は二人の間に漂う雰囲気に安心感を覚え、静かに窓の方に体を向けた。くれなずむ街に光が灯り始める。チカチカと街全体に灯りが広がる様子を瞳に映し、卜部は嵐の前のしばしの安寧を楽しむかのように目尻を下げた。

Chapter8−4 はこちら ↓

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集