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【連載小説】 ともだち Chapter10-1

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 香夜は美月の淹れたジャスミンティーを一口含むと目を丸くして、カップの中を見つめた。お茶の色に染まった透明のティーカップから細い湯気がたちのぼる。口の中いっぱいに広がるジャスミンの香りと共に柔らかい遠くで感じる甘みを確かめるように香夜はゆっくり瞬きした。

「何これ、すっごく美味しい。美月ちゃん、淹れるのうまいね。」

 美月は照れくさそうな苦笑いを返した。

「これね、天狗さんに教わったんです。」
「へぇ、天狗さんってお茶淹れるんだ?」
「めちゃくちゃ上手です。味覚がない分、特に香りにはうるさいです。」
「へぇ…」

 香夜は感心した様子でもう一度ティーカップに目を落とす。少し香りを吸い込んでからゆっくりと口に運んだ。

 昨日からずっと気になっていることを今なら聞いても大丈夫だろうか。香夜はそっとティーカップをソーサーに置くと、美月に優しく微笑みかけた。

「ところで、一つ気になっていること聞いていい?」
「はい。もちろんです。」

 美月は座り直すと背筋を伸ばした。何を聞かれるのか大体察しはついていた。

「そんな緊張しないでいいよ。答えにくかったら、無理に答えないでいいんだよ。」
「…大丈夫です…昨日、皆さんが外出中に何があったか…ですよね?」

 香夜は「お見通しか。」と言って笑顔でゆっくりと一つ頷いた。

 美月は少し視線の逸らしたが、ふと香夜の服装に気づく。プライベートの服装ではないところを見ると、仕事中なのではないだろうか。

「話を聞いてもらえるのは、むしろ嬉しいぐらいなんですけど…雅さん今日、これから仕事ですか?ごめんなさい、今頃気づいて…時間、大丈夫ですか?」

 美月は壁にかけてある時計に目を向けた。あと五分で一時だ。あまりに個人的な内容に香夜の勤務時間を拘束してしまうのに気が引ける。

 美月の表情から察した香夜は「さすが美月ちゃん」と言うと、穏やかな表情でジャスミンティに口をつけた。

「今日はこれから仕事だけど、午前半休にしているの。それに、十五時までに卜部さんのところに行けばいいので、大丈夫。時間はたっぷりある。」

 香夜は人懐こい笑みを浮かべ、親指を立てて美月の方に向けた。

 自分の不甲斐ない話をすることには少し恥ずかしさもあったが、香夜の心遣いが嬉しかった。美月は「じゃ、お言葉に甘えて…」と少し照れ臭そうな笑みを浮かべると、ジャスミンティを一口含んで一つ息をついた。


“ガチャ“

 卜部のオフィスのドアが開けられ、土井は中に通された。卜部は少し驚いた様子で、両眉を上げ、土井の後ろの廊下に視線を向けた。

「香夜さんは?」
「今、柊さんのところでランチしています。」

 卜部は安心したように笑顔を浮かべると、静かにドアを閉めた。

「お心遣い、ありがとう。」
「いえ、でも、仕事ではなく、プライベートで行ってます。友人として気になったみたいなんで…」
「なるほど。」

 卜部は掌を上に向けソファーの方に差し出し、土井に座るよう促した。

 向かい側のソファーにはすでに、死神の白蓮と天狗の璃玖が座って二人とも足を組み両腕を組んで、背もたれに寄りかかって座っていた。

 上背があり風格を漂わせる二人の様子にも臆することなく、土井は普通に彼らの前に進み、ソファーに腰を下ろした。

 卜部は興味深げに土井の行動を目で追いながら、目尻を下げた。

 不思議な雰囲気の男だ。少し長めのクセのある髪の毛のせいか、力が抜けているように見えるのに、身のこなしには無駄がなく、颯爽とした手足の動きには品格すらうかがえる。昨日呪符を渡した時、特に質問することなく自然に受け取った姿も興味深かった。

「土井さんは以前どこで呪符を?」

 土井は少し目を伏せた。特別隠す必要がある話ではない。しかし、あまりいい思い出ではない。この話は重く、今ここで語るべき内容かどうか判断が難しい。

 土井がふと視線を上げると、死神と目が合った。彼は少し口元を緩めて土井に頷いてみせた。

紫麒しき、興味があるなら私が後で話しますよ。もちろん、土井さんが差し支えないならですが…土井さん、どうです?」

 やはりあの時の男だ。土井はすぐに過去の記憶に彼の存在が紐付いた。しかし、男が信頼にたる存在であることは自身の体験を持ってよくわかっている。土井はゆっくり頷いてみせた。

「なんだ、君は知っているのか…なるほど…」

 すると突然天狗が鼻で笑い、どこか懐かしむような目をした。

「悪いが紫麒、俺も思い出したわ。」
「なんだよ、私だけが知らないのか…」

 卜部は力ない笑みを浮かべた。この二人が関係しているということは、卜部のように彼らと正神、側神の盟約を交わしていた存在が関わった案件ということだ。

 そんなことをしている近年の祈祷師といったら、卜部の他に柊巽しかいなかった。むしろ巽に勧められ、彼とは逆に、卜部は正神に白蓮を据え、側神に璃玖を据えた。

「巽さん絡みか…」

 いかにもというように、死神と天狗は頷く。

「ですが、今回の件とは全く別の話です。ここで話すことでもないでしょう。ただ、彼に霊感があるのは巽と関わってしまった結果です。あと、前世の記憶は少し残っているようですが、それ以上の力はありません。」
「見えて会話できりゃ、最近の祈祷師の家系の子供らより優秀じゃねぇのか。」

 天狗が苦笑いを浮かべた。現代文明が発達するにつれ、人間が数万年かけて自然の中で培ってきた能力は、ほんの数100年のうちにほとんどが文明の力に置き換わった。

 それに従い、祈祷師の家系すらその力が薄れ、最近の子供達はほんの十年ほど前の子供達よりも力を落とす傾向にある。

「確かにあなたの言う通りです…いずれにせよ、力があるにもかかわらず、祈祷師の家柄ではない。故に、悪意を取り込みやすく、生き霊も引き寄せる。更に、彼の幼少期の環境はそういったものに晒されやすい状態でした。」

 卜部は一部流れを理解した様子で大きく頷いた。

「なるほど、そしてその呪符を渡したのが巽さんか。」
「はい。ですが、渡すことになった背景は複雑です。細かい説明はここでは避けますが、彼の意識体が巽の力の影響を受けている。」

 卜部は少し苦い表情をして俯いた。複雑な背景が見える。土井の意識体が巽に影響を受けたのであれば、肉体と意識体の力関係は、アンバランスだろう。意識体の方が強くなる。肉体が耐えられるような補足的な力が必要だったのかもしれない。

「なるほど、なんとなく見えた…肉体が耐えられない可能性を埋めた…か…」
「今回紫麒が渡した呪符との競合はない。俺の血液が使われてないからな。」

 短期的に強い効力を発揮するものには血液が使われるが、長期的なものには砕いた水晶を墨に混ぜて書く。かける術の特性にもよるが、土井の肉体と意識体のバランスを保つため、巽は命の巡りを管理する白蓮の力を使って術をかけていた。

「私の力が込められた呪符と、彼の血液でしたためた呪符、むしろ相乗効果を得られるでしょう。」

 確かに白蓮の言うとおりだろうが、面倒そうな内容であることに変わりはない。卜部は一つ息をついて背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。

 柊巽が絡んだと言うだけで、ややこしいのは明確だ。彼は、祈祷師の名家が引き受けたがらない案件を進んで引き受ける最後の砦のような一匹狼だった。

 白蓮の言う通り詳細は今聞かない方がいいだろう。体を起こすと「了解」と言って卜部はニヒルな笑みを浮かべた。

 呪符の競合性についてはわからないが、土井は彼らの話のほとんどを理解していた。巽から説明を受けていたし、幼少期に彼から受け取った呪符を今でも身につけている。しかし、ここで話しても仕方ないことだと理解した上で、あえて聞くだけにとどめていた。

 一通り話が済んだところで、土井は軽く体勢を整えた。そしてバッグから予定表を取り出し、一同に手渡した。

「ところで、急に本題ですが…」

 一同を見渡すと、カバンの中から予定表を取り出して、一人一人に配布した。

 手際と用意の良さに卜部は目を見開いた。二週間分のカレンダーが日にち単位で午前と午後に分けられ、各対応チームの欄が設けられている。それぞれの動きが書き記せるような配慮もされ、簡単ではあるが今後の警察側の動きはすでに記入されていた。

「土井さん、すごいな。一日でこんなに…仕事が早い。」
「表は香夜が仕上げました。俺は生活安全課を通して家裁と調整中です。月曜日にははっきりしたスケジュールの候補日をもらう予定なんで、それ以降、綾人の施設に連絡を取って訪問日を調整します。早ければ一週間後には実現できるでしょう。」
「了解。じゃあ、その家裁の候補日、決まったら私に教えてもらえるかな?」

 卜部の真意が掴みきれない。土井は資料から顔を上げ、彼に顔を向けた。

「もちろん構いませんけど、施設側との調整前に候補日が知りたいと?」

 怪訝な表情をしている土井を安心させるように卜部は穏やかな表情で頷いた。

「相手のスケジュールが候補日に合うように少し操作する。送られてきた候補日の一番早い日で調整がつくように、ちょちょっと…ね。」

 微笑んだ卜部に対して、土井の目つきが険しくなった。『もしかして、施設側と繋がりがある?』胸の奥に嫌な感覚が広がる。警察の動きを卜部に知らせるのはリスクだったかもしれない。土井は眉を顰め唇を静かに噛み締めた。


Chapter10−2 ↓


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