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【連載小説】 ともだち Chapter8−2
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院長室のドアが開かれ、加賀と綾人、香夜、土井が順番に入ってきた。入るなり、院長机にいる卜部と璃玖の姿に視線が止まり、香夜は驚いたように大きな声を上げた。
「天狗さん、何をやってるんです!?」
実体化した璃玖が黒曜石で作られた刃物で掌を傷つけ、机の上に置かれた硯に向かって血液をポタポタと垂らすところだった。
彼女の声に、視線だけ香夜の方に向けると、無表情のまま「おう」と璃玖は声を返し、すぐにまた彼は机の上に視線を戻した。
「これぐらいでいいか?」
「ああ。」
卜部が答えると、璃玖はすぐに掌をもう一方の掌で一度ゆっくりと擦った。すると、傷口は跡形もなく姿を消した。卜部は驚く香夜の方に顔を向けると、少し目元を緩めた。
「聴取のために、綾人くんが育った施設に行くだろうから、その時に携帯してもらう呪符を書こうと思ってね。天狗の血液で呪文を書くと、効力が高まるんだ。」
「血液ですか…」
香夜の驚いた様子を目にすると、少し璃玖はイタズラっぽい表情を浮かべた。
「別に血液じゃなくても、体液なら効能は変わらん。」
「体液?」
「ああ、たとえばヨダレとか。」
香夜はなんと答えたらいいかわからないというように、口元にぎこちない笑みを浮かべて璃玖を見上げた。その様子をみた土井がすかさず言葉を挟んだ。
「俺は、血液でお願いします。」
「わ、私も血液で。」
香夜はすかさず、土井の言葉に便乗して、愛想笑いを卜部と璃玖に向けて見せた。彼女の様子を優しい表情で横目で一瞥してから、土井は卜部の作業中の手元に視線を落とした。
「なぜ、呪符を?」
「あまり、細かく説明してもアレだから、色々省略して結論だけ言うと、生霊から身を守るためだ。綾人の話を総合するに、少なく見積もっても悪意の吹き溜まりくらいはありそうだからね。」
香夜は目を丸くした。今までオカルトの世界に出てくる単語だと思っていた言葉があたかも普通の単語のように飛び出す様子に驚いていた。
しかし、土井は香夜とは対照的に「なるほど。」というと、さして質問もない様子で、卜部の作業を興味深く見ているようだった。
香夜はオカルト単語と同じぐらい土井の様子にも驚いた。彼女の頭の中には、卜部に質問したいことが散らばっていたが、自分だけ質問する姿を晒すのはカッコ悪い気がして、好奇心を押し殺し、質問を呑み込んだ。
やがて呪符が出来上がると、卜部は彼らの方に向けて「どうぞ」と言って置いた。すると土井は非常に自然に一つを手に取り、左の胸ポケットにそれを差し込んだ。土井のやり方を見習い、香夜も同じように左のポケットにしまった。そのあまりにも手慣れた様子をみて卜部は目を丸くした。
「もしかして初めてじゃないのかな?」
「ええ。まぁ。」
土井は一言だけそう答えると、ソファに移動して腰を下ろした。その様子から、あまり話題にしてほしくないのだろうと卜部は察し、そこで会話は途切れた。
香夜も土井を追いかけるように、ソファーの方に向かって、彼の横に座ろうとした。腰を下ろしかけたその時、土井が彼女の腕に手をかけて静止した。香夜は少し驚きながら不満げな視線を土井に向けた。
「なんですか。私も座りたいです。」
「柊さんの横に座れ。」
「なんで?」
「そこには…死神さん?白銀さん?どちらの名前でお呼びしたら…」
土井は空間に目を向けて、問いかけた。その様子を見て、自分の座ろうとしていたところに死神の白蓮が座っているのだということに気づいた。
『白銀でいいですが、座ってもらっても構いませんよ。特に重さを感じるわけでも、違和感もなく、重なるだけですし。』
「なるほど…白銀さんでいいってさ。香夜さえよければ座っても構わないそうだ。」
「揶揄うのもいい加減にしてください!」
また土井に揶揄われていると捉えた香夜は、少し拗ねたように口を尖らせ赤面した。そして、美月の横に移動して腰を下ろした。
「なんで、白銀さんは実体化してないんですか?」
「あまり人と話をするのが得意じゃないからだそうだ…」
香夜は今まで、霊感がないことで仲間外れの感覚になる日が来るなど、考えたこともなかった。こんな環境、普通ではない。しかし、目の前の非現実的な現実に、彼女は小さくため息を漏らした。
白蓮は美月の方に顔を向けることなく、視線だけ彼女の方にちらりと一瞬動かして様子をうかがった。落ち込んでいる美月のことが気になっていた。
彼は人と話すのをあまり好まないが、避けるほどではない。しかしこの場面では、自らの方向性に悩み、落ち込んでいる美月を完全に孤立させないため、姿を現さずに他の人たちの会話から距離を取ることにしていた。
彼女に一番近い璃玖に、キツイことを言わせてしまった気まずさからの行動でもあった。
美月は心を閉ざしているわけではないものの、相槌や笑顔にも力がなく、心ここにあらずという状態だ。
一方、璃玖も先ほどのやり取りの後から、美月の様子を気にかけていた。しかし、白蓮が実体化しない様子から、彼が何を考えているのかを察し、美月のことは彼に任せることにした。
璃玖は加賀の手に握られている、大きく誇らしげに咲いた白バラに目を向けた。そして、「そのバラ、お前が育てたのか?」と言うと、優しく目を細めた。
「え、わかるんですか?」
「ああ…いい花だ。」
璃玖は静かに加賀の元に歩みよって、穏やかな表情のまま視線を白バラに落とした。
「なんで、わかるんですか?」
「ん?なんなら、もっと細かいこともわかるぞ…」
「?」
少しの間、璃玖は白バラに視線を落としたまま時折小さく頷くと、「おしゃべりなバラだな」と言って楽しそうに笑みを浮かべた。
「おしゃべり?」
「人みたいに意見を持って話すわけじゃねぇよ。育てた人がかけた言葉や、周辺の状況を記録していて、ああだった、こうだったって教えてくれるんだ…こいつはたくさん話しかけられて育ったんだろうな。」
「バラってそんなことできるんですか?」
人間にとってみれば非現実的と捉えてもおかしくない状況にも関わらず、加賀のように素直に受け入れ興味を示す人間は貴重だ。璃玖は心が弾んだ。
「バラだけじゃない。植物全般だ。彼らは自然界の記録媒体みたいなもんでね…」
「記録媒体?」
「その場所で起きたことをぜーんぶ体の中に記録してる…樹木なら年輪一輪に一年分…草は全身に…」
「確かに!葉脈って、パソコンのメモリチップみたいな模様ですよね!」
「お前、想像力豊かだな。」
得意げな表情をして見上げてくる加賀の姿を目にして、璃玖は楽しそうに笑みをこぼした。加賀の素直な発言が璃玖には心地よかった。
加賀は考えを巡らすように視線を動かしながら、真剣な表情で俯いた。どうやらこれまでの情報を総合して想像しているらしい。
「そうすると…このバラには僕のことや両親のことも刻まれているということですね…」
「そうだ…例えば…事故当日は蕾だったが、今朝開いて、お前に見て欲しくて、両親が事故現場まで持ってきた…とか…」
「すごい!」
加賀がすっかり心酔した様子で目を丸くすると、璃玖は愉快そうに「クククク」と含み笑いをした。そして、「ちょっといい?」と言って、バラの花を手に取って香りを嗅いだ。
「で、ちゃんとお前のところに来た…こいつがお前を強く求めたから、今日、両親に連れてきてもらったんだろ…」
「そんなこともできるんですか?」
「まぁ、連れてってくれとは言わないね。でも、そう思ってもらえるように働きかけるんだよ。例えば、お前の初七日に合わせて咲くとかさ。」
「…そんなことが」
「ああ…意味のある日に咲くと、その日に共通の意味を感じる人間は思い出す。『そういえば今日は…』みたいにな。『この人ならこう動くかも』くらいは植物が理解してやってるから、意外と人は動くよ。」
「へぇ…」
加賀は、まるで璃玖の舎弟かのような、素直で尊敬する眼差しを彼に向けた。そして、何回か感心するように頷いた。そして、ふと何かに気づいたように、目を逸らし、顎に手を当てた。
「でも…何で僕がまだ近くにいるってわかったんだろう…」
加賀の興味は尽きないらしい。璃玖は教え甲斐があると見込んで話を続けることにした。素直に、彼との会話も楽しかった。
「風が教えたんだよ。」
「風?」
「人間以外の存在は風の声が聞こえるからな。ああ…これもまた、人みたいに細かく話すわけじゃないぞ。伝える程度だ。」
そのとき、加賀は閃いたと言わんばかりに、嬉しそうに目を見開いて璃玖の顔を見つめた。
「言葉の表現で、『風の便り』や『風の噂』とかありますけど…関係がありますか?」
璃玖は嬉しそうに、「お前優秀だなぁ」と言いながら加賀の肩を抱いて笑った。
「その通りだ。昔の人は風の声が聞こえていた証拠だ。電波使うようになってから人は風の声が聞こえなくなっていったがな…」
璃玖は少しだけ寂しそうな表情をして見せた。人がどんどん自分たちの世界から離れていくことに、時折寂しさを感じるのだ。
不意に何かに気づいた様子で、彼は加賀の瞳の奥まで見るような視線で見つめた。そして優しく目尻を下げた。
「綾人。気にするなよ。初めて会ったんだ。不安もあるだろうが、あの両親なら大丈夫だ。」
加賀は驚いて目を見開いた。加賀の両親と事故現場で会って以降、綾人がおとなしくなっていた。彼から加賀に話しかけることはなく、加賀から話しかけても、相槌程度しか返さず、元気がない様子は加賀も感じて心配していた。
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