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人生は飽和水溶液


明日からお盆休みだ。
私は毎年この時期になると、とある出来事を思い出す。


2020年8月13日、伯父が突然この世を去った。


その日、私は実家に帰省していた。
福岡での仕事が上手くいかなくて心を病んで、
退職を申し出るも人手不足のため強く引き留められ、すっかり疲れ切っていた。


コロナ禍の中県外の実家に帰省するのは抵抗があったが、職場のある福岡からとにかく離れたくて帰省することにした。


時刻は多分19時すぎだったと思う。
父とリビングでテレビを見ながら夕飯を食べている時、出かけていた母から電話がかかってきた。
「今ばあちゃんから電話があって…おいちゃんが倒れたって!」


ばあちゃんと伯父は同居していた。
ばあちゃんによると、
居間でご飯を食べてテレビを見ている時に
伯父が「うっ!」と小さく叫んで椅子に横になった。
なかなか起き上がらないので顔を覗き込んでみると、目を見開いたまま意識を失っていた。
「にいちゃん!にいちゃん!」と呼びかけたけど反応がないため、近くに住んでいた親戚に連絡して救急車を呼んでもらったらしい。


母と父、そして母のいとことその息子と一緒に
病院に駆けつけると…
叔父は目を見開いたまま機械に心臓マッサージをされていた。


医療のことに関しては素人の私から見ても、もうダメだとわかった。
看護師の母は一瞬で状況を理解して泣き崩れた。
母のいとこも泣いていた。
「もういいです、もうやめて下さい」と母が言うと医師が機械を止めて、それと同時に伯父の心臓も止まった。


伯父はまだ54歳だった。


伯父は独身で子供がいなかった。
でも子供や動物に優しくて、私たちが小さい頃はたくさん遊んでくれた。他の親戚の子にも「茂にいちゃん」と呼ばれて慕われていた。


大阪で働いていたけど突然大分に帰ってきて、
それからは介護の仕事をしていた。
犬が好きなようで「チャイナ」という真っ黒で大きい犬を飼っていた。
チャイナが亡くなると今度は「ハク」という真っ白で大きい犬を引き取ってきて大切に飼っていた。
その証拠に伯父の遺したスマホのカメラロールは、チャイナとハクの写真だらけだった。


なんで伯父はこんなに早く逝かなければいけなかったんだ。まだ54歳なのに。
あんなに苦労してやっとケアマネージャーになって、まだ半年足らずなのに。
私はそんな思いでいっぱいだった。


それは周りの親戚も同じで、みんな口々に「親より先に逝くなんて」「まだまだ先があったのに」と伯父の早逝を悲しんでいた。
知らせを聞いて駆けつけてきてくれた叔父の職場の方も「もっと一緒に働きたかったのに」と涙を流していた。


そうしているとお坊さんがやって来た。
このお坊さんも伯父が亡くなったと連絡をした時「え!?今朝お父さんのお墓を掃除しに来てたんですよ!?その時に少し話もしたのにまさか…」ととても驚いていた。
お盆でとても忙しい時期だったにも関わらず、都合をつけて駆けつけてきてくれた。


お坊さんはみんなの前で正座してかしこまると、
「この度は急なことで残念でした…」と話し始めた。


「茂さんは若くして亡くなってしまいましたが…しかし長生きをしたからいい人生で、早死にしたから残念な人生だというわけではない。茂さんは短い人生でしたが、その分大好きな犬に囲まれて仕事にも一生懸命で、大変中身の濃い人生を送られました。」


そうだ、その通りだ、と私は思った。
このお坊さんの言葉がすとん、と胸に落ちた。


言い方は悪いが、長く生きても自分の意志で人生を生きていない人もいる。
上手くいかないのを他人のせいにし、他人を妬み、他人を陥れ、可哀想な自分に酔いしれている。
そんなつまらない人生を80年90年生きるよりも、
自分の信じた道を50年全力で駆け抜ける方がいいに決まっている。
それが正解かどうかはわからないけど、私はそういう人生の方が好きだ。


そうだ、私には無駄にできる時間なんて1秒もない。
「3年は同じ会社で働かないと」なんて根拠のないことを言われて、働きたくもない会社で擦り減ってる時間なんてないのだ。


私は伯父に「しっかりしろよ!」と背中を押されたような気がした。


伯父を送り出し、母と一緒に泣きながらハクを保護施設に連れて行った後、私は福岡に戻った。
会社に行き、退職の意志は変わらないことを告げた。


するとあんなに引き留められていたのが嘘みたいにすんなり退職の話がすすんだ。
そして私はその年の9月末に会社を去り、大分に戻って来た。

鉄輪ののどかな雰囲気と湯けむり、シフォンケーキの甘い香りで少しずつ心を癒されて、そして今は愉快で優しい別府のおじちゃん達と個性豊かなアーティストたちのカオスな世界で生きている。


人はいつ死ぬかなんてわからない。
もしかしたらあと60年生きるかもしれないし、
この記事を書き終わらないうちに突然心臓発作を起こして死ぬかもしれない。



だから私は金にならなくても歌を歌うし、
「知らない人に住所を教えるなんて…」という考えを捨ててポストクロッシングを始めた。
それらは確実に私の人生を濃くしている。


ちなみに保護施設に連れて行ったハクはその後、
無事別のご家族に引き取られた。
元気なお子さんのいる家庭で、毎日たくさん遊んでもらっているようだ。
ハクもなかなかに濃い人生(犬生?)を送ってそうだ。

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