幸せは『手っ取り早く』じゃ手に入らない
闇バイトについて、今朝のニュースで取り上げられていた。
私もちょうどこのニュースを観ていたので、いろいろと考えさせられた。
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このニュースを観て、私はお2人の意見にモヤモヤすることはなかった。
というのも、従兄がアルコール依存性で、とにかく目先のお金を欲しがって高いお給料の仕事を探しては履歴書で落とされて、「田舎は仕事がない」とか言っていたのを間近で見ていたから。
(そして高いお給料の仕事に就いても、全部お酒につぎ込むので生活は困窮という…)
私も両親の支援がないと生活ができない(基本、日常生活に支障はないけど難しい手続き等の対応がひとりでできない)ので、そういう人にとっては闇バイトが魅力的に(リスク度外視で)見え、「楽に稼げていい」と思ったりしてしまうのではないか。
差別とかではなく。
要は、障害イコール悪という話ではなくて、こう言った短絡的な強盗に加担してしまう背景に、冷静な判断ができなかったり、長期的に物事を見る力が弱かったりと言う、何らかの事情がある子もいるのだと言っているのだと思う。
そうじゃない場合ももちろんあるだろうし。
私の例を挙げてみると、たとえば今まで経験したことはできるんだけれども、対応したことがないイレギュラーな事態に遭遇するとパニックを起こしたり、対応したことがあるものでも、「なんか今までと違うぞ…」というパターンがあったりしたときに、応用力が効かなかったりする。
もちろん、ハンディキャップを抱えていても真面目に働き、穏やかに過ごしている方々も沢山いる。
母の実家近くには、知的障害を持っている方が住んでおられるのだけれど、ご両親が残されたおうちと畑を大事に守りながら、ご近所の支えを借りつつ、穏やかに生活されている。
私もありがたいことに定職に就けて、親の支援を受けつつだけども暮らしている。
だからみんながみんなこうなるわけではない、ということは明言しておきたい。
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そして、最近はタイムパフォーマンスとかコストパフォーマンスがやたらもてはやされていたりする。
コストパフォーマンスは、支払った費用(コスト)とそこから得られる効果や満足度(パフォーマンス)のこと。
タイムパフォーマンスとは、費やした時間に対するパフォーマンスの高さのこと。
略してコスパやタイパと呼ばれることが多い。
これもほどほどに効率を求めていくならば、仕事の効率が上がったり、自分んの生活の中で有意義に時間を使えたり、とメリットもあるのだけれど、何事も過ぎると毒になるもの。
損得勘定でものごとを考えるようになって人間関係にまでそれを持ち込んでしまったり、コスパ・タイパが悪いと感じたらチャレンジしなくなったり、できないことができるようになって得られる幸福感や、達成感を味わうことがなくなったりしてしまう。
悪い方に行き過ぎてしまえば、「手っ取り早く」「楽に」稼ぎたいと考えてしまい、先に述べた闇バイトに手を染めてしまったり、あるいは詐欺に引っ掛かったり、あるいは自分が詐欺を働く側になってしまったりするんじゃないか。
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確かに、手っ取り早く楽にお金を稼げれば、何の苦労もなく生きていければ幸せかもしれない。
私も「宝くじが当たって、何億とか転がってこないかな~」なんていう妄想をしたことはある。
まあ宝くじを買わないので、そもそもそのチャンスはかけらもないのだけど。
だけど手っ取り早くお金を稼ぐということは、たとえば仕事を覚えていく
過程そのものが「楽しい」と思える瞬間だったり、できなかったことができるようになった時の喜びさえも手放すということじゃないか?
まして、犯罪で得たお金って、それは本当にうれしいものだろうか、と思う。