やるの対極は、やらないではない。
noteというのはなぜこうも続かないものなのだろう。
あの時は「ようし、3日に1回のペースで記事を書くぞ」と意気込んでいたはずだ。
それが、前回の記事は約1ヶ月ぶり。
私が飽き性なのもあり、やると決めたことをなかなか維持できない。
5〜6年前、毎回のライブで来てくれたファンに配ろうと決めたカナスタ通信というフリーペーパーがあった。
(ライブに来てくれた時点でお金は払ってくれている人ばかりなので、入場有料フリーペーパーという謎な状態)
略してカナ通は全て手書きで原本を作り、数十枚コピーをして持って行っていた。
中身は最近あった出来事や、ランキング、絵、ハマっている物等を書いていたかと思う。
密かに始まったので知らない人も多いかと思うが、確かVo.3〜4で密かに終わった。
毎度のライブまでに準備が大変で間に合わなかったからだ。
他にもやめたことと言えば、ヒットガールに憧れてバリソンフリップを練習したが手にアザが出来たから、ジャッキーチェンに憧れてヌンチャクを練習したが身体にアザが出来たから、肺活量向上のために水泳をしたが髪が傷んだから。(泳ぎは得意なので水泳はしばらく続いた)
やめたことを数えると計り知れない。
好奇心旺盛なので気軽に始めて気軽にやめるタイプの人間だ。
唯一長くやっていることといえば、中2から始めた音楽だ。それ以外は続かない。だめだなぁ。
そう思っていた飽き性な自分も、ホームレス期間を経て考えが変わった。
今年29歳のアラサーになると、結婚妊娠ラッシュが始まり、同級生のテレビ通話では私だけが結婚していなかった。
子供が画面後ろで遊んでいる友達もいる。
好きなことをやっている人間は誰しも通る道だと思うが、「好きな事やってていいね」とよく言われる。
会社が嫌なの?じゃあ、やめて好きな事すればいいじゃん。と最初は言ってたが、いつしかその反論もやめた。
少しのもやもやを抱えながら過ごしていたが、最近何かに気付けた気がする。
"好きの反対は嫌いではなく、無関心"とよく言うが、それなら"やりたいの反対もやりたくないではなく、無関心"なのだろう。
エヴァンゲリオンの碇シンジは、エヴァに「乗る」「乗らない」を円環するが、どちらも"生きている"上での判断。自分の意思でエヴァに興味が向いている時の話だ。
やる、やりたくない。
子供の時にああも簡単に言えたことが、大人になると言いにくくなる。
大人になるってなんなのだろう。
シンジは大人になったと劇中でゲンドウやアスカに言われていたが、私はシンジが"生きる"と言うことに向き合って出した答えが「エヴァに乗る」事だと思う。
初期のシンジは、「乗る」「乗りたくない」ではなく、「乗る」「知らない」であったと思う。
ホームレス中の私も「やりたくない」ではなく、「もう知らない」だった。
友達は会社に行きたくないけど、知らないと投げ出さず行っていた。
生きていくということに向き合っていると気付いた時、みんな同じ世界に生きているのだと思った。
なにかを100個始めたら、99個はやめる。
それでもずっと続けれる事1個が残る。
わたしはその始めるサイクルが早いだけ。
何か残っているだけで続いているだけで、素晴らしい事なのだと思えるようになった。
ベクトルは違えどみんな何かを始めていて、やめている。
これほどモノが溢れていて、何でもできる世の中なのだ。
私は"知らない"をしない人生を選びたいと思う。
最後にひとつだけダサい事を言います。
やりたい事が何もないという友達へ。
"生きる"をしているだけで、1個はずっと残り続けていると思うよ!また電話しよう〜!
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