私の歩んできた道
noteを始めてから今日でちょうど4ヶ月になりました。
今まで私のnoteを読んでくださりありがとうございました。
今更ながら、自己紹介をしようと思います。
ものすごく長いですが、お付き合いください。
ちょっと毒吐きも兼ねているため、ネガティブ発言が出てきます。
苦手な方は他の記事をお読みくださいね。
自分が受けてきた教育を教訓にし、息子にどう教育するかも、考えたいと思います。
幼児時代
大分県別府市生まれ。
父親の転勤で東京都狛江市の社宅に住む。
幼稚園では一言もしゃべらない子どもだった。
幼稚園の課外授業で音感教育を受ける。
授業では木琴を全員弾かなくてはいけない。
登園前に母親に木琴の練習させられるのだが、
いつもいつも怒られて、毎日泣きながら登園した。
この時、音楽=怒られて楽しくないという思想が生まれたと思う。
教訓1「できないことを怒らない」
教訓2「幼児期に思想が生まれることを常に頭に置いておく」
小学校時代
入学前に大分県大分市に引っ越し、社宅に住む。
その社宅には、同年齢の女の子が他に4~5人いて、
母親に常にその子たちと比べられて育った。
「〇〇ちゃんは成績がいい」
「〇〇ちゃんはしっかりしてる」
「〇〇ちゃんはお手伝いをよくする」
「〇〇ちゃんは胸が大きい」(←これが意味がわからん)
母親は直接私には悪いところは言わないけど、
他の子の良い所を常に言ってくる。
そうすると、「自分はダメなんだ」と
いつも劣等感を持つようになった。
それから家で勉強をしてる時いつも母親が隣にいて、
答えを間違ったり、分からなかったりすると、
頭を殴られた。
そして、某音楽教室に通っており、
6年生までグループレッスンを続けたが、
劣等感が私を苦しめた。
個人レッスンも受けていたため、
ピアノの練習をしなくてはいけないのだが、
小指が伸びてしまうのを防ぐため、
母親に小指をテープで巻かれ、
手首が下がらないようピアノに定規が置かれ、
それで弾かなければならなかった。
ピアノ=ツラい修行のようで、嫌いだった。
唯一、嬉しかったことは、
小学校の合唱大会で2年連続クラスの伴奏者に選ばれ、
全校生徒の前でピアノを弾いたこと。
教訓1「他人と比べない」
教訓2「自分の子の良い所を見て褒める」
中学校時代
社宅から一軒家に引っ越したため、
最初の入学した中学は1学期しか通えなかった。
次の中学では吹奏楽部に入り、ホルンを吹いた。
ピアノは個人レッスンのみ続けていた。
この頃は自分の好きな楽譜を買ってきて弾くのが楽しかった。
3年の夏に千葉県我孫子市に引っ越し、社宅に住む。
高校受験のシステムが大分県と全く違うため、
塾に通い、猛勉強した。
受験のためピアノは辞めるつもりでいたが、
隣の子を指導していた先生がもったいないと、
引き留めてレッスンをしてくれた。
思えば、この時ピアノを辞めていたら、
この先、違う道を歩んでいたかもしれない。
教訓1「好きなことをするのは楽しい」
教訓2「中学時代に会う人物によって道が見えてくる可能性がある」
高校時代
千葉県柏市にある高校に通う。
こちらでも吹奏楽部に入り、ホルンを吹く。
ピアノも個人レッスンを続けた。
この頃、母親による私の外見に対する攻撃を受けるようになる。
「二重の手術受ける?お金なら出すよ」
「なんで、そんなに胸がないの?」
こう言われ続けてよく反抗しなかったなと思うけど、
聞き流す能力、思ったことを言わない能力などが身についた。
半端ない自己否定感と強いコンプレックスを抱えるようになる。
ネガティブ思考の人間の誕生となる。
話が逸れるが、
お笑い芸人のアインシュタインの稲ちゃんは、
お母さんから「かわいいかわいい」と育てられたらしく、
圧倒的な自己肯定感を持ち、
生まれ変わっても自分に生まれたいと言っていた。
稲ちゃんがうらやましい。
母親の言葉でこうも自己肯定力に差が生まれるのかと思う。
高校時代の話に戻すと、
進路を決めたのは、高校3年生の夏。
自分には何ができるだろうと考えた結果、
ピアノにしようと決め、
まだ間に合う音楽大学の夏期講習に申し込む。
そして、上野学園大学ピアノ科と短大ピアノ科を併願して、
受験するも失敗。
同短大ピアノ科の二次試験が高校の卒業式と重なっていたが、
卒業式を欠席し、受験に挑み、晴れて合格となった。
教訓1「自己肯定力が上がるように言葉がけをする」
教訓2「無償の愛情を注ぐ」
短大時代
短大時代ピアノを専門的に学び、ピアノを弾くことは楽しかった。
でも、自分のピアノの演奏や容姿に対する
自己否定感、コンプレックスから抜け出せない。
2年生の春、家族が転勤で大分に帰ったので、1人暮らしをする。
成人式の着物の代わりに海外旅行を両親に懇願。
卒業前、友達と2人で、初めての海外旅行。
ロンドン3泊ローマ3泊パリ5泊のセットプラン。
ローマのヴァチカンとパリのオランジュリー美術館に魅了される。
パリのルーブル美術館前で、
留学中の短大の先輩に偶然会う。
地球が狭いことを知った。
卒業式の日、アイルランド大使賞を受賞し、
アイルランド製のレース陶器人形をもらう。
これは、副科でハープを受講し、
良い成績を認められての受賞だった。
この時、初めて自分を認めてもらえた気がして、
すごくうれしかったことを覚えている。
専攻科でもう1年、ピアノとハープを勉強することを選んだ。
音楽の道へ進ませてくれた両親には感謝している。
20代
大分市に住む。
ヤマハ音楽教室の個人レッスンの講師として働く。
教えることの難しさと楽しさを知る。
子どもの頃何気なく出演していた、
発表会の運営側に回り、大変さとやりがいを知る。
自宅と教室の往復の日々。
母親から結婚まだか攻撃が9年続く。
30代
母親からの結婚まだか攻撃に嫌気がさし、
アフリカに逃げる。
と言うのは、半分冗談で、半分本気。
英語の勉強がしたくてヤマハをやめて、
ケープタウンの語学学校の
1年間のインターンシップを決める。
出発前、父親に大きく反対されたが決行。
おそらく、これが、人生で初めての、反抗期。
ケープタウンで、母親の目が届かないから、
羽根伸ばしちゃったね。
父親に「黒人の彼氏なんか連れて帰ってくるなよ!」
と言われ、人種差別発言にがっかり。
ところで、人種差別ってなんでするんだろう。
私にとっては肌の色なんてほんの些細な違い。
白人とか黒人とかアジア人とか分けちゃうけど、
白人でも嫌な人も良い人もいるし、
黒人でも優しい人も優しくない人もいるし、
日本人でも意地悪な人いるし、
大事なのは肌の色じゃなくて誠実さ。
話は戻って、父親の願いとは裏腹に、
ケープタウン行ってすぐ黒人の彼氏ができる。
最初は電子辞書を片手に会話していた。
彼といることによって、英語が上達できた。
結局、その人とはお別れした。
チェコ人と友達になる。(←将来の夫)
第一印象「絶対この人とは結婚したくない!」
だったのに。
40日間キャンプツアーに行って帰国。
ウィーン短期留学のついでにチェコに立ち寄り、
チェコ人の友達に案内してもらい、
いつしか恋仲に。
留学後、ブラジルを旅し、帰国。
チェコ人の彼が来日。
一緒に別府に住む。
結婚する。
私は自宅でピアノ教室と英語教室を経営。
夫は自宅で素泊まりの民宿を経営。
結婚して5年子宝に恵まれなかった。
母親からの子どもはまだか攻撃に遭う。
39歳で長男を出産。
40代
なぜ娘はいつも母親に言われるのだろう。
「結婚はまだか」
「子供はまだか」
「2人目はまだか」
「幼稚園はどこか」
「〇〇ちゃんはもう〇〇ができてるのに」
なぜ放っておいてくれないのだろう。
未だに私の容姿に対する批判は続いている。
「お腹が出てる」
「胸が小さい」
「肌が黒い」
息子に対しても
「肌が黒い」
肌の黒い白いで人の善し悪しが決まるのだろうか。
夫が全てにおいて肯定してくれる人なので、
母親からの呪縛はだいぶ溶けてきた。
私の自己否定感はだいぶマシになった。
コンプレックスは自信に変わりつつある。
でも批判され続けていると自信がなくなる。
何か言われると、否定的に捉えたりする。
それでも自分を変えるために日々頑張っている。
noteを始めたのも自分を変えるため。
昨年、1人のピアニストさんと出会ってから、
音楽は苦しいことでも、ピアノはツラいことでもないと知り、
ピアノを弾くことが心から楽しいと思えるようになった。
今、45歳。
輝く50歳を目指す。
これからもよろしくお願いします。
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