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時間切れ!倫理 20 タレス

自然哲学

 では、いよいよ哲学の誕生に入りましょう。まず哲学とは何かということですが、ひとつはアルケー、日本語で根源とか原理と訳している。小さい頃、眠れない夜に、この世界はどうしてできたのだろう、人は死んだらどうなるのだろうと、考えたことはありませんか。こういうことを考えてしまうことが、たぶんアルケーの探求の始まりです。

 そして、それを考える際に、物語で説明をしない。ホメロスの『イリアス』では、ギリシア軍に疫病が流行って戦士たちがバタバタ死んでいくのですが、その原因はトロヤの味方をしている女神アフロディーテが矢を放っているからだと描いています。
 また木馬の計を考えつき、トロヤを滅亡に至らしめたオデュッセイウスは、海神ポセイドンの妨害により10年間も自分の国に帰ることができません。彼の乗った船は出航するたびに嵐にあい、漂流し、思わぬ場所に漂着しては望まない冒険にまきこまれる。つまり疫病の流行や、天候の激変、海の時化(しけ)を物語で説明しているわけです。
 しかし哲学は、物語でこの世の出来事を解釈しないし、説明に神様を使わない。

 また、哲学では否定や批判が許される。神話は反論を許しません。また、神話を勝手に作り変えることはできない。宗教の説明は、ただ受け入れるしかなくて、それを批判することは許されない。
 しかし哲学は、後から出てくる人が、前の人の説を批判したり否定したり、別の説を出すことは全然オッケーです。だから学問として発展して行く。

 まとめます。アルケーを探求し、それを物語や宗教で説明しない。そして、批判や反論を許容する。これが哲学だと考えます。

 最初の哲学は、世界は何でできているのかという探求から始まります。今なら、自然に関するサイエンスの領域。だからこれを自然哲学と呼びます。

タレス

 さて、このような哲学が世界で初めて生まれた場所が、ミレトスというギリシア人のポリスでした。ミルトスはアナトリア半島の海岸近くにあります(現在はトルコ共和国)。ここは本来ギリシア人の世界ではない。リュディアという国の支配下にあったり、アケメネス朝ペルシアの支配下にはいったりした。つまり様々な民族の文化がぶつかるところにあったのです。さまざまな文化に刺激されて最初の哲学は生まれた。

 世界最初の哲学者といわれるのがミレトスのタレス(前624頃~前546頃)です。タレスは「万物の根源は水である」といった。

 これをどう解釈するかは難しい。目の前の黒板はどう見ても水ではない。机も教科書も水でできているようには見えません。タレスはバカなのか。何をいいたいのか。タレスは日食を予言したり、川を堰き止めて軍隊の行軍を可能にしたりと、科学技術的な技を使ったことも伝えられています。だからバカではない。目の前の黒板や机や教科書が水でできているとは思ってはいない、と思います。
 タレスほど古い時代の人の言葉は、実は断片しか残されていません。だから、タレスが本当にいいたかったことは何なのかはわからない。だから、ある意味では後の人が自由に解釈することが可能です。だから、こんな解釈も可能です。

 人間を傷つければ血液という液体がダバダバと出てきます。地面に穴を掘れば地下から水が湧いてくる。空からは雨が降り大地を潤す。雨は川となり大きな流れを作ってやがて海に流れ込みます。その海の水は決して枯れることはない。こうして見ると水が世界を循環していることに気がつく。だからタレスは万物の根源は水だといったのではないか、と。

 水というのは、象徴的な表現なのかもしれない。ただこれだけは確かです。どうみても目の前の世界、たとえばこの教室の中のあらゆるものは、水でできているようには見えない。
 私たちが、目で見たり肌で触れたり感覚で感じ取っているこの世界、つまり現象界がすべてではないのだ、とタレスは考えていたはずです。目に見える世界ではない、別の姿が世界にはあるのだと。それをどう表現するか考えた時に、水という言葉を使ったのではないかという気がします。この発想は少々タレスを高く見積もりすぎているかもしれませんが。

※タレスは万物を合一するものをみた。そしてそれを口にするにさいし、たまたまヒュドール(水)といったまでである」(プルタルコス『七賢人の饗宴』)

【参考図書】
岩田 靖夫『ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書) 』 2003
古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学 (ちくま学芸文庫)』2005
シュベーグラー『西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫))』谷川哲三・松村一人訳、1939
竹田青嗣・西研編『はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)』1998
バ-トランド・ラッセル『西洋哲学史 1』市井三郎訳、みすず書房、1970

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