時間切れ!倫理 41 ストア派列伝
ストア派の考え方を知るために、彼らの文章を後で紹介しますが、まずストア派の有名な哲学者四人を並べました。キケロ(BC106生)、セネカ(AD4生)、エピクテトス(55生)、マルクス=アウレリウス(121生)です。
この四人は全部ローマ人です。ギリシアを征服して大帝国作ったローマの人々。ここからも、ストア派がローマ帝国時代に流行っていることがわかります。
① キケロ
キケロは人物紹介だけします。古代ローマの政治家で、けっこう有名。世界史でも出てきます。エジプト最後の女王クレオパトラは知っていますね。この絶世の美女とされるクレオパトラを愛人にしたローマの有力政治家がカエサル。カエサルは自分に権力を集中し、エジプト最後の女王を自分の愛人にして、ローマの皇帝になろうとした。かれの政治姿勢に反対したライバルがキケロです。この時代まではローマは共和制で、元老院を中心とする貴族たちが政治を仕切っていた。皇帝になろうとしたカエサルは、共和制の伝統を守ろうとする貴族たちに暗殺されました。しかし、結局そのあと、カエサルの養子が権力を掌握し、ローマの初代皇帝になります。アウグストゥスという人です。
② セネカ
セネカは、初代皇帝アウグストゥスの5代後の皇帝ネロの家庭教師です。ネロは暴君として悪名高い。キリスト教徒弾圧は有名で、円形競技場で猛獣にキリスト教徒を食べさせる見世物をしたという。ローマの街に火をつけて喜んだとか、いろんな逸話が残されている。その暴君ネロの少年時代の家庭教師がセネカだった。セネカは『怒りについて』という本を書いています。怒りの感情をいかに鎮めるかということを書いている。
ストア派のセネカ先生が家庭教師として、ネロに色々アドバイスしているうちはよかった。ネロは真面目な皇帝として頑張っているのだけど、成人してくると、先生がじゃまになる。正論を説くセネカは、うっとうしいわけです。セネカを邪魔に思ったネロは、最終的にセネカに死を命じます。教え子とはいっても皇帝の命令だから、従わないわけにはいかない。セネカはローマ貴族なので、名誉ある死、武士でいえば切腹、自分で腕の動脈を切り開いて死んだのでした。
③ エピクテトス
エピクテトスは奴隷だった。後半生は奴隷身分から解放されて哲学者として活躍した。ストア派は面白い人が多いので、資料集にも何人か紹介されている。この人の姿を描いた絵があって、そこで彼は杖を持って椅子に座っている。足が不自由なのです。
足が不自由になった理由もわかっていて、奴隷時代に主人からお仕置きをうける。万力みたいなもので足を締め付けられたようです。すごく痛いはずです。主人は「助けてください、ご主人様!」といわせたいわけ。
しかし、エピクテトスはご主人様に向かってなんといったか。
「ご主人様、そんなに足を痛めつけると足が折れてしまいますよ」と冷静にいった。そんなふうに冷静にいわれたら、余計に腹が立ちます。だから、さらに力をかけて締め付けたら、ポキって足が折れた。そうしたら、エピクテトス、なんといったか。
「ほら、いったじゃないですか。折れてしまったでしょ」。これまた冷静にいった。
こういう感じが、いかにもストア派なのです。自分の心を、自分の周りの状況と完全に切り離して、心の平穏を保とうとするのです。
エピクテトスは『語録』という本が残っていて、面白くてストア派の感じがわかるから、少し読んでみます。
「何も自分のものでない長所は、何も自慢せぬがいい。もし馬が自慢して私は美しいと言ったとするならば、それは我慢できるだろう。だが君が自慢して、私は美しい馬を持っていると言うならば、君は馬の優良なことを自慢しているのでいるのだと知るがよい。君は一体何者なのか云々」。素晴らしい馬を持っていると自慢している奴がいる。馬が素晴らしいだけで、あんた馬を持っているに過ぎないよ。あんたには関係ない。
ブランドもののバッグ持って、私はこんなバッグを買ったよって自慢する人がいると、たぶんエピクテトスは、こいつはバカだなって思うのではないか。鞄は素晴らしいかもしれないけれど、あんたは何って。「最新のスマホ買ったぜ」って、そうか、それがどうした。あんたはなんだ。そういうことだね。この人にとっては、自分の足が締め付けられてボキッと折れても、それが何だという。私の心とは関係ない。そういう発想が禁欲主義。徹底的に自分の心をすべてから切り離していきます。
次もすごい。「記憶しておくがよい。君を侮辱するものは、君を罵ったり殴ったりするものではなく、これらの人から侮辱されていると思うその思惑なのだ。それで誰かが君を怒らせならば、君の考えが君を怒らせたのだと知るがよい」。
誰かに侮辱された。かっとなる。それに対して、エピクテトスは、それは侮辱した誰かのせいじゃないよ。カッとなっているのはあんた自身だ。あんたの心がカッとなっているのだから、原因はあんただ、というのです。だからそれを抑えなさい。それが不動心アパテイア。すごく面白いです。
セネカの本も『怒りについて』という題名でしょ。同じようなことを考えているのです。自分の心を鎮めて、いかに生き抜くか、ということを。
侮辱されても殴られても、それは自分のことじゃないのだと思いなさい、という発想は、敗者の負け惜しみ、脱落者のやせ我慢の論理のような感じがしないでもない。そういう面もあるかもしれませんが、次の人を見ると、やせ我慢とも違うように思います。
④ マルクス=アウレリウス
マルクス=アウレリウス。著書は『自省録』。この人はローマ帝国の皇帝です。皇帝だから、負け犬のはずがない。ローマ帝国に五賢帝時代とよばれる、とても優秀な皇帝が5人続く時代がありました。ローマ帝国の最盛期です。その五賢帝の最後の一人です。現代でも世界中で読まれる『自省録』を書いている彼は、立派な哲学者です。本人は皇帝になりたくなかったのですが、指名されて不本意ながら皇帝になってしまった。
皇帝ならば、なんでもかんでも自分の好き放題できるじゃないかと思うのだけど、そうでもないんだね。宮廷の中にはいろいろな陰謀があり、皇帝も日々神経すり減らしている。親戚連中は、皇帝の権威をかさに勝手なふるまいをする、政治的な微妙な事情も知らずに頼みごとをしてくる。皇帝も人間関係の中で生きていて、そのなかにたくさんの悩みがあるのです。
しかも外敵が侵入してくる。ローマ皇帝は軍の最高司令官でもあるので、自ら軍団を率いて国境の戦場に出陣する。昼は軍団を指揮し、夜自分の天幕に帰って、一人静かに机に向かい、ロウソクの灯りで、自分の心を鎮めるため『自省録』を書いた。ローマ人は本当にストア派が好きなんですね。
『自省録』にもすごく面白い部分があるので紹介します。
「これを感じ得るものに対してなんなりと外側から起こりたいことが起こるがよい。これを感ずるものは、ぶつぶつ言いたければ言うであろう。しかし私は自分に起こったことを悪いことと考えさえしなければ、まだなんら損害を受けていないのだ。そう考えない自由は私にあるのだ」。
わかる? 自分に起こったことを、悪いことと考えさえしなければ、まだなんら損害を受けていない、と。エピクテトスっぽいよね。ひどいことが自分の身に起こっても、そんなことは起こっていないと考えればよいのだという。なんという人生観だろうね。皇帝が、ですよ。
これがストア派です。わかるでしょ、禁欲主義。とにかく自分の欲望を抑えて、何も感じないように、感じないようにして心の平安を保っていく。不動心アパテイアとは、こういう考え方です。ちなみに、この岩波文庫『自省録』の訳者はあの神谷美恵子さんです。通じるところがあるのがわかりますね。
https://note.com/kanaokasinn/n/n999b4e2b5621?magazine_key=m103501cbf477
他にもマルクスアウレリウスの言葉を書きました。見ておいてください。「プラトンの理想国家を望むな。どんな小さなことでも進行すればそれで満足し、その結果はたいしたことでないと考えるのだ。なぜならばだれが他人の信念を変えられようか。信念を変えることなくしては、呻きつつ服従するふりをしている奴隷どもとなんの変わるところがあろうか」。