時間切れ!倫理 132 本居宣長
本居宣長(1730~81)は国学の大成者です。国学者の中で一番のビッグネームです。伊勢・松阪の商家出身。松阪に行くと本居宣長の住んでいた家が残されていて、ちょっとした博物館になっています。博物館といってもただの古い民家です。
彼は商家出身ですが、十代の時に京都に行って医学の勉強をします。その後松阪に帰って、小児科医として開業します。医者をしながら国学の研究をおこないました。賀茂真淵のことを非常に尊敬していた。その賀茂真淵がお伊勢参りでやってきた時に、二人は会います。会ったのは一度だけでしたが、この時に本居宣長は賀茂真淵の門人となります。本居宣長34歳の時でした。その後は手紙を通じて意見交換などをしたようです。
契冲も賀茂真淵も万葉集の研究をしていましたが、本居宣長は『古事記』と『源氏物語』の研究をします。「ちょっと待ってよ」という話ですね。賀茂真淵は「平安時代の文化は手弱女振りだからあかん」といったわけです。その平安時代の『源氏物語』を本居宣長は研究してどっぷりと浸かってしまいます。ただし賀茂真淵と同じで「からくにぶり」は否定します。本居宣長はこれ(儒学・仏教)を「からごころ・漢意」と表現していますが、これを排斥する点では同じです。
中国文化の影響を取り去ったところで、日本文化の良い所として何が残るか。本居宣長はこれを『古事記伝』という書物で「惟神(かんながら)の道」として説きました。定義するのはむつかしいですが、「神代から続く神に従う自然のあり方」と教科書などにはあります。なんとなくですね。わかるようなわからないような、ムードでしか表現できないものなのかな。
『玉勝間』は随筆集。古事、古語に関する考証なども行っている。
『源氏物語玉の小櫛』は源氏物語の注釈書。この中で有名な「もののあはれ」論を展開しています。本居宣長は、自分の先生である賀茂真淵が手弱女振りはだめ、平安時代の文化はだめだ、といっているのに対して「源氏物語はいいよ」といっている。なぜか。
『源氏物語』は何の話かといえば、光源氏が様々な女性と恋愛する女性遍歴の話です。江戸時代の当時、『源氏物語』は「淫乱の書」といわれていた。「いやらしい本」だということです。現代の評価とはかなり違っていた。ところが、その「いやらしい」と考えられていた『源氏』を、本居宣長は良いという。なぜか。
中国の古典文学を見てごらんなさい。中国の古典文学のどこを見ても恋愛の話はない。奈良時代、平安時代に日本でよく知られた唐詩をみても、左遷された官僚の送別会で別れを惜しむ詩や、友人と酒を酌み交わしながら名月をめでる詩はあるけれども、男女が恋焦がれる詩はない。中国文学の世界は男の世界なのです。
中国人だって恋愛はするはずだし、だれかをいとおしいと思って切なくなったり、悲しくなったりするはずです。しかし、彼らはそのような心情を押し殺す。存在しないものとして表現しない。そういう心構えを本居宣長はたぶん「やせ我慢」だと考えた。中国文化は日本に入ってきて大きな影響力を与えているけれども、紫式部はそれに影響されず、日本の本来の姿、恋愛を称揚する姿を『源氏物語』に書き込んだ。
確かに万葉集以来日本の詩歌を見てみれば、恋の歌が山ほどあるわけです。中国人のようにやせ我慢をせず、心の中の思いを押さえつけずに吐露する。これが日本本来の文化だと、本居宣長は主張するわけです。源氏物語は平安時代にできたかもしれないけれども、「からごころ」に影響されず恋愛を描いている。その核心が何かといえばそれが「もののあはれ」なのです。
「もののあはれ」は何かというと、人を好きになったら、「好きだ、愛しい」と思う気持ちです。この素直な感情が日本の心の良い所なのですよ、というわけです。教科書的にいえば「『源氏物語』にえがかれた人の真心。美しいものに接して素直に美しい、悲しいものに接して素直に悲しいとおもう心」と綺麗に書いていますが、要するに人間の恋する気持ちです。決して中国文学には描かれない心です。これを儒学の人為的な心のありかたとは正反対なものとして評価するわけです。
だから本居宣長は、師匠の賀茂真淵が否定した「たおやめぶり」も評価します。『新古今和歌集』にみられる人間の「めめしき所」をよいとするわけで、真淵の「ますらおぶり」を評価するのとは真逆の考えです。
最後おまけです。本居宣長61歳の時に自画像を描きます。そこに書かれた言葉です。有名です。
「敷島(しきしま)のやまとごころをひととわば 朝日ににおう山桜花」
人に大和心は何ですかと聞かれたら、山桜に朝日が当たって輝いている、それが大和心だよ、と普通は解釈されています。ところが丸谷才一という文芸評論家が、ちがった解釈をしていて面白かったので紹介しておきます。
本居宣長は恋愛至上主義で「もののあはれ」や「たおやめぶり」を評価している。だから単に「朝日が山桜のあたって綺麗だな」といっているはずがない。『源氏物語』の精神でこれを解釈すると。恋人同士が初めて一晩を共にする、朝になると彼女は恥じらって、そのま白き頬を恥じらいで桜色に染めた。そういう情景を歌っているのだと丸谷才一さんはいっていました。こちらのほうが近い気がしますね。
本居宣長は桜フェチで、自分が死ぬ時に松阪の町に作られるお墓とは別に、山の上に本当の墓を作れといっています。そしてその墓の横に山桜を植えろと遺言している。ごく親しい人にしかその墓のことは伝えるなともいっていたらしい。山桜は彼にとって何だったのでしょう。