時間切れ!倫理 22 パルメニデス
次がエレア派のパルメニデス(前515頃~前450頃)です。この人は教科書の扱いを大きくありませんし、私も以前はそれほど大事な人だとは思っていませんでした。しかし古代ギリシア哲学の本をいろいろ読んでいるうちに、かなり重要な人物で、後世に大きな衝撃を与えた人だということが分かってきました。ただ、それを説明するのがすごく難しい。彼の言葉も断片しか残っていませんし、しかも彼は詩の形で自分の考えを残したので、その解釈はさらに難しい。これも翻訳によって表現は色々あるのですが、簡単にいうと「あるものはある。ないものはない。」といった。
在るということだけがあると、語りかつ考えなければならない。なぜなら、在ることがあるのは可能だが、在らぬことがあることは不可能だからだ。
在るということが、後に滅ぶなどということがどうして可能であろう。(先に)生じるということがどうして可能であろう。もし生じた(在った)のなら、それは今在るのではなく、またいつか後に在ろうとするのなら、それは(今)在るのではないからだ。
こうして生成は消し去られ、消滅は聞かれなくなった。在るということが、後に滅ぶなどということがどうして可能であろう。(先に)生じるということがどうして可能であろう。もし生じた(在った)のなら、それは今在るのではなく、またいつか後に在ろうとするのなら、それは(今)在るのではないからだ。こうして生成は消し去られ、消滅は聞かれなくなった。
今存在するものはかつてどこからか生まれたものではなく、ずっと存在していた。そしてこれからもずっと存在し続け、決してなくなることはない。また今ないものは、かつてあったものがなくなったのではなく、また今あるものがなくなるのでもなく、ずっと昔から果てしない未来までない。
何のこといっているのか。「ある」ということの衝撃を伝えようとしたのではないか。
現代の哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉を参考までにのせておきました。
「この世が在ることが驚きだ。<在る>なんてことがあることが不思議だ。」(『日記』)
パルメニデスがいいたかったことは、ヴィトゲンシュタインの考えとは違うのかもしれませんが、私としてはヴィトゲンシュタインの言葉を足がかりにパルメニデスを理解すると、わかりやすいかなと考えています。
パルメニデスは、万物の根源ではなく、存在そのものにたいする驚きを表しました。この驚きを水や空気や無限定なものという言葉で、タレスたちミレトス派も表現しようとしていたのかもしれません(古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』講談社、1998)。
目の前の現象界は、常に変化しており、今生きている人もいつかは死んで消えてなくなるし、この草木も永遠に存在しているわけではありません。この私たちの実感とはことなる主張をするパルメニデスは、我々が目で見て肌で感じる現象界とは別の世界を考えていて、そちらの世界を本当の世界だと考えていることがわかります。
自然哲学の人々は、もともと現象界の向こう側に根源(アルケー)を探究しているのですから、パルメニデスの「存在は不変」という意見を無視できない。これ以降の哲学者たちは、「変化しない世界」を意識しつつ、万物の根源を探究します。
【参考図書】
岩田 靖夫『ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書) 』 2003
古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学 (ちくま学芸文庫)』2005
シュベーグラー『西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫)』谷川哲三・松村一人訳、1939
竹田青嗣・西研編『はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)』1998
バ-トランド・ラッセル『西洋哲学史 1』市井三郎訳、みすず書房、1970
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