【本との出会い26】太平洋戦争への道 1931-1941
「歴史探偵」の半藤一利さんは、この本の執筆中の今年1月に他界されました。
半藤さんはじめ、加藤陽子さんがNHKのラジオ番組、「太平洋戦争への道~戦前日本の歴史の選択~」での議論を、ノンフィクション作家の保坂正康さんが解説したのが本書です。
私は、加藤陽子さんについては
こちらの本を読んで、感銘を受けました。
あらためて、読み直してみたい、そんな1冊です。
半藤一利さんは、こちらです。
「歴史は決して学ばなければ教えてくれない」
海外情勢、また、日本の政治、憲法認識など、事態は複雑であるものの、国民として歴史をしっかり認識して、誤った道に進まないようにするのが大切なことだと考えます。
そして、日本を戦争に向かわせるうえでの大きな力となったのは・・・
「マスコミ」だという主張も、歴史書や教科書では教えてくれない示唆であり、これこそ、現代、将来に向けて私たちが認識し、注意しておかないといけない分析のように思えます。
なぜ、日本は戦争に突き進んだのかを、振り返り、分析、後に活かすことがされていれば、今の日本の組織で起きている次のような不条理なことは少なくなっているのではないでしょうか。
歴史を勉強していない証拠
1.動画投稿されたものを引っ張ってコメントつけてニュースにしているマスコミ
2.おかしな楽観論を話しながら、結局なにもしないか、やってもかなり遅い政治家
3.大量の税金を使ってマスク配ったほかに、デッドストック化してもなんら責任をとる必要はない官僚
4.何度も何度もビジネス上のミスを犯し利用者へ迷惑をかけながら、いまだに内部組織抗争ばかりに気を取られ、結局辞任するどこかの銀行のトップ
(辞任だと退職金ももらえるという肝心なことを報じないマスコミ)
5.感染者が全国で18人、とか、もはや結核よりも少なくなっているであろう感染症をニュースとして報じ続けるマスコミ
6.ミサイル打たれても、領海侵犯されても、「動向を注視する」しかしない大臣
7.DXだとか、生産性だとか言いながら、投票所に行くしかなく、それでも半分が投票しないことに原因究明も対策もしない、そのほうが都合がよいと考えているであろう政治家
8.人をやっつけることがスッキリだという番組作りをする民法やユーチューバー
9.ひっかかりやすいところで、ひっかかる人を捕まえるしかできない警察
10.派閥作りと肩書を離さない老害老人の多い企業
1.満州事変(関東軍の暴走)
満州国への進軍は、「侵略」であり、昭和天皇はやめろと言ったものの、政府は暴走してしまう。
そして、ここでもメディアはそれを煽り、国民感情を誘導する。それを利用する政府。
人々の心理を拘束する「非常時」という言葉。満州事変の翌年から使われるようになりました。
2.国際連盟の脱退
国際連盟は、満州国を認めず日本軍の撤退を勧告する決議をします。
加盟国すべてがそれに賛成する中、日本はそれを拒否、連盟から脱退の道を選択します。
当たり前に考えれば、世界から孤立する道を、政治家も国民も選択するなど、考えられないことです。
ですが、そうなってしまう。
やはりここでも、国民感情を誘導するマスメディアの動きが影響するわけです。
このことが、太平洋戦争に足を踏み入れる大きなポイントとなったわけです。
3.515、226事件(言論、思想の統制)
そして、昭和ファシズムと言われる時代への突入。
特定の新聞社以外の思想は、排除され、ファシズムが台頭する時代へ。
昭和8年にそれが最も加速することになりました。
そして、226事件、515事件という、テロの発生。
それすら、メディアの煽りで、称賛されるような風潮ができていくわけです。
軍隊がテロを犯す。この恐怖感が戦争を悪しきとしない風潮に国民を駆り立てていったのです。
この恐怖心を、太平洋戦争が終わるまで軍は利用しました。
「気に入らない学説は教壇から追放する」
なんか、最近も、この雰囲気の問題が勃発したような記憶があるのですが・・
noteですから、個人としての考え方、感情も含まれるので注意せねばなりません。ですが、なにかしら嫌な感覚を持つ人も多くいるのではないでしょうか。昭和ファシズムとの共通性というか。
4.中国侵攻の拡大
近代史の中で、中国の奥深くまで軍隊を進行させて戦争することはどの国もしていない。それはなぜでしょうか。
中国の広大な土地を、自分のものにしようと計画したこと。そのこと自体に大きな錯誤があったのではないか、と指摘しています。
「大儀」のない戦争に踏み込んでいったわけです。
そして、「国家総動員法」により、日本は戦時体制に入ります。
5.第二次世界大戦の勃発:三国同盟の締結
中国との戦争が泥沼化する中で、英国、米国に圧力をかけることで事態の解決を図ろうとした日本でした。
ここが開戦のポイントになったと指摘しています。
そして、ドイツ、イタリアとの同盟の締結で、完全にアメリカは戦争に舵をきることになりました。
日本国内でも、山本五十六などの首脳陣が、アメリカとの関係性が決定的になることを危惧し、反論しましたが、政府は軍隊はそれを中央からはずすことで強引にもっていきました。
反論には左遷。この文化、今も踏襲されていることに寒さを感じますね。
6.真珠湾攻撃
日本の判断は、いつも「主観的な願望」。それを「客観的事実」に振り替えようとしています。
この末期的な症状の日本は、その症状ままでアメリカと開戦してしまったのです。
悲惨な戦争になってしまった(悲惨でない戦争などありませんが)のは、これが大きな原因だと考えて間違いないと、筆者たちは主張しています。
7.私たちが学ぶべき教訓
この本の言いたいところは、この章に多く含まれています。
①加藤陽子氏「戦争は暗い顔で近づいてはこない」
暗い顔で近づいてくるならば、その悪しきに気づくのに、ということでしょうか。
本当は、中国に対して日本は経済や外交関係の構築を求めたもので、武力行使するレベルではありませんでした。
国際秩序や世界環境の変化を考えての判断をしなかったことが教訓として残さねばならないと。
②保坂正康氏「命令一つで命を奪った軍事指導者の罪」
先の戦争の時代に生まれた世代、多くは大正10、11年生まれの方々が一番亡くなった数が多かった世代を追悼慰霊するだけではなく、命令ひとつで命をささげることになった原因を指導者の罪と指摘しています。
太平洋戦争の指導者には、その重みがなかった。それが罪だと。
③半藤一利氏「日本人よ、しっかり勉強しよう」
昭和の日本人も、今の日本人も不勉強だ。
「歴史は決して学ばなければ教えてくれない」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?