お試し「踊り場 春号」

(ファンファーレ)

お知らせです!

俳句をつくっている佐々木紺・有瀬こうこ・内橋可奈子が、俳句と短歌とエッセイを書いた同人誌「踊り場 春号」を発行しました。こちらは現在、大阪中津・葉ね文庫、兵庫須磨・自由港書店に置いていただいています。無料ですので、お寄りになられたら、ぜひお持ち帰りください。

ここでちょこっと、中身をお見せしちゃいます。お試し「踊り場 春号」、どうぞおたのしみください。

(「踊り場春号」本編では、3人とも俳句も短歌もエッセイも書いています。お試し版では、短歌から佐々木紺、俳句から有瀬こうこ、エッセイから内橋可奈子の作品をご紹介します。ボリューム満点の本編もぜひお読みいただけるとうれしいです。よろしくお願いいたします◎)

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『短歌』 

音 佐々木紺

みずうみが咲かないようにしておいた 心をいくつにも切り分けて

箱の中は嵐 悲鳴が聞こえても聞こえていないふりをしなさい

音楽を燃やし続けてもうやぶれそうな膜一枚をあなたは

(箱の外へ出てもどこかの箱の中)こころだけを寒禽にして、飛ばす、イメージ、

はりさけるまでためている晴天のたった一人が余韻に気づく

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『俳句』

流れる 有瀬こうこ

飴噛みてざらつく奥歯春浅し

多喜二忌や皿にこぼれるミルフィーユ

流木に火星の匂ひ鳥帰る

雛の間のアリス眠つてしまひけり

踊り場を渡り廊下を紋黄蝶

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『エッセイ』

きっかけひとつ 内橋可奈子

俳句をはじめるきっかけがあって、俳句を続けるきっかけもあった。俳句を見よう見まねでつくりはじめて、あるとき、きらりと自分の句が見出された。自分がやりたい俳句はこれだと信じられるようになった。わたしはそれから、俳句を続けられている。


わたしの俳句を続けるきっかけは、「NHK俳句」だった。「NHK俳句」とは、毎週放送されているテレビ番組。俳句を投稿すると、番組内で入選句として取り上げてもらえることがある。


ある日、わたしが通っていた句会のメンバーのひとりが「NHK俳句に入選した」と盛り上がっていた。入選したひとはいやいや、と謙遜しているけれど、なんだかにやにや嬉しそうだ。わたしも「おめでとうございます!」と言ったけれど、「NHK俳句」について、ぼんやりとしか知らなかった。その頃は俳句をはじめたばかりで、句会で俳句をたのしむということでしか俳句に触れていなかったから。番組のことは知っていたけれど、見たことはなくて、とっても早朝にやっている番組、というイメージしかなかった。

なんとなく高揚した雰囲気のまま、句会はいつものように粛々と始まる。短冊に今日の俳句を書きながら、わたしは決めた。わたしもNHK俳句に投稿して、入選して、みんなに褒めてもらおう。

褒めてもらいたい、とか思っている当時のわたしの俳句は、どこかで見たような句を、俳句っぽくしたような、今思えばかたちを整えただけの句ばかりだった。今もついかっこつけたくなるけれど、当時はもっとひどかったと思う。それでもたくさんつくって、「NHK俳句」の兼題(お題のこと)が発表されるたびに、もれなく全部投句した。ここで学んだのは、つくればつくるほど、俳句はうまくなっていくということだ。うまくなっていくというより、自分のやりたい表現がわかってくる。

投稿をはじめて半年くらいたったある日、わたしの携帯電話が鳴った。その日のわたしはインフルエンザにかかり、自宅待機中だった。ぼんやりした頭でいぶかしげに電話を取ると、なんとNHK俳句の入選を知らせる一報だった。はきはきとした、でも柔らかな女性の声だったことをよく覚えている。「放送は○月○日になります。それまでは、入選した俳句は外に出さないでくださいね」「はい、はい。ありがとうございます。わたし今日はインフルエンザで休んでいまして、ぼんやりしているんですけど、うれしいです、ありがとうございます」「あら、そうでしたか、お大事にされてください。おめでとうございます!」。NHKの人に、お大事に、とか言わせてしまった。

放送日をいち早く句会の主催の方に伝えた。主催の方は句会に参加している人たちにわたしの入選を知らせるメールを送ってくださった。おめでとう、見ますね、のメールが来る。よかったよ、見ましたよ、のメールが来た。電話をくださったかたもいた。わたしの望みは叶ってみんなに褒めてもらうことができた。放送日のあとの句会では、うれしい、うれしい、ありがとうございます、と言葉を返すうちに、褒められたいという気持ちよりも、やっと仲間になれたようでうれしい、と思うようになった。

当時、わたしは小学校で学童保育の仕事をしていた。仕事仲間にも、こどもたちにも、俳句をつくっているということは言っていなかった。こどもたちを見ていて、俳句がうかぶことはたくさんあったけれど、それを別にみんなに見せることもなかった。粛々と事務仕事をしていたら、4年生の子がわたしのところへ、すっ、と近づいてきて、耳打ちをした。

「先生、あの、俳句のやつ」わたしはどきりとする。「俳句の」「うん、名前が、先生の名前じゃないかって思って」わたしはうれしくなる。「じつはね、あれ、そう、わたし」。彼女はにこっと笑ってくれる。「やっぱりー」「ていうか、NHK俳句、見てるの?」「ううん、毎回じゃないけど、学校終わって家に帰ってテレビつけたらやってるから、たまにね」なるほど、お昼間の再放送である。「いい俳句だと思いました」「…ありがとう!」

わたしにとっての俳句を続けるきっかけになったのは「NHK俳句」だったけれど、それから新聞投句や俳句ポストや、大きな賞があることも知った。俳句を続けるということは、いろいろやりかたがあって、それぞれに、きらりとひかる瞬間がたくさん訪れているのだろう。

最後に、わたしの入選句を書いておこうと思う。この一句に、なんとなく、いまのわたしの俳句みたいなものがしっかり現れている気がする。このころと変わらずゆるやかに、わたしらしく、これからも俳句を続けていきたいと思う。

凧上がるあたりにはもう帰れない 内橋可奈子

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もうすっかり春ですね。

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