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三陸鉄道に乗りに行くヨ 奇跡の一本松編

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。

 たまに、ネットを見てみると広告ばかり。嫌になりますね。ところで、新しき年となりました。しかしながら、門松は冥土の旅の一里塚、私は特にめでたいとかなんとか感じたりはしません。

 まづは、宣伝。
 日本花卉文化株式会社さまのマガジンに以下の記事を書かせていただきました。併せてお読みいただき、たくさんのスキをたまはれたら幸甚です。

 さて仕事納めの日。時間休を取得してさつさと帰りました。そして、岩盤浴へ。仕事のやる気?そんなものは玉川にはありません。

 さらに行きつけの淳ちやん寿司へ。

目の前は寒ブリ、奥は左が飛魚で右側がトロ鯖です。白州ハイボールと共にいただきます。トロ鯖ですが、鮪みたいな味はひです。その後にアブラボウズの焼いたのをいただきましたが、最高に美味しかつたです〜。

 本題に入りませう。

 今年最後の旅行?は私の好きな鉄道会社の一つ、三陸鉄道に乗りに行きました。が、今回はその前置き編です。とはいへ、内容は充実してゐるはずです。

 どうか、最後までお付き合ひくださいネ。

旅の始まりは、バスタ新宿から。けふは師走も暮れのある日。二十三時を過ぎても、バスタ新宿からはたくさんのバスが出発します。行き先を見てワクワクするのは、私だけではないでせう。
石巻まで行く広瀬ライナーに乗ります。疲れから、座つて十分で爆睡しました。起きたら宮城県内でした。しかし、身体が痛い…。夜行バスはアラフォーを過ぎた玉川にはキツく感じるやうになりましたね。
外を見ると空が明るくなつてきました。
さういへば、私の席は通路側だつたのですが、運転士さんの機転で空いてるから窓側でも良いですよといはれました。ありがたかつたです。
定刻より早く石巻駅に着きました。流石に朝の東北は寒い…。漫画で有名なところですが、玉川の好きな漫画は『ゴルゴ13』。あと、『魁!男塾』と『花の慶次』です。ところで、『魁!男塾』といへば民明書房ですが、私はその存在を信じてました。完全に黒歴史です。
6:51発の列車で、前谷地駅へ向かひます。車両は私の好きなキハ110系です。
一人掛けの席に座りました。
ミニマリストの玉川ですが、今回は珍しくリュックです。防寒対策や百キロウォークの対策でいつもより多く荷物をもつてゐます。これで三ヶ月は一人旅余裕です。
列車は間もなく佳景山駅です。かけやま、と読みます。空が明るくなりました。雲一つない風が心地よい。
前谷地駅に着きました。ここで、柳津駅行きに乗り換へます。またキハ110系です。
間もなく陸前豊里駅です。この前の小湊鐵道の車窓よりも荒涼としてゐて、田舎な感じがします。今年は何回か小湊鐵道に乗りに行きました。さと山ウォークもしました。このやうに、列車の中で一年を思ひ出してゐました。
北上川にいかかる橋を渡ると、柳津駅に着きます。
柳津駅に着きました。線路はここで途切れてゐます。ここから、BRTに乗ります。BRTとは、以下をどうぞ。早い話し、バスの交通システムのことです。
待機中のバスがこちらに来ます。
バスに乗り込み、昨夜作つておいたとろろ昆布をまぶしたおにぎりをいただきます。富山県民リスペクトです。ちなみに、これ、道の駅あずの里いちはらで買つたものです。
さて、本来ならバス専用道路を行くのですが、今回はしばらく一般道を走ります。ここは、陸前戸倉駅です。鉄道が走つてゐたころの名残はあまりないでせう。
しばらく行くと、海が見えてきました。次は志津川駅です。
海沿ひを走つて行くと、今度は南三陸町の旧防災対策庁舎の跡が見えてきました。大地震の当日、この地で最後まで避難を呼びかけ尊い命を捧げられた当時二十四歳の遠藤未希さんは日本人の鑑です。彼女のことを何があつても忘れてはなりません。

沖つ波 荒く寄すれど 己が身を かへりみずして 呼びし人はも 可奈子
大地震の翌年、私は知人の車でこの地を訪ね、涙ながらに慰霊をいたしました。その帰り、道の途中に「自衛隊の皆さんありがとう」と書かれた看板がいくつもあり、涙がとまらなかつたこと、今に忘れられません。けふもバスの窓から見て、自然と涙が出てきました。
あの時とは違ひ、また少しずつ人の営みが帰つてきたやうに感じました。
志津川駅を出てしばらくして、やうやくバス専用道路に入ります。いよいよBRTらしくなります。
清水浜駅です。遠くに海が見えますね。
バスはさらに北へ進みます。海がチラホラ見えて、旅人の目を楽しませてくれます。途中、小金沢駅を通過して行きました。
大谷海岸駅が近付きました。
大谷海岸駅には、それなりに人の姿がありました。道の駅が併設されてゐるみたいですね。
リアス式海岸とは面白いもの、時折見せる海の景色が楽しいです。
川(大川といふさうです)には白鳥がゐました。見えるかな?
気仙沼駅に着きました。子供の頃、気仙沼といふ地名に不思議な憧れを抱いてゐました。その地名の響きから来る異郷感もあれば、豊富な水産資源、とりはけ鮫が有名な点に興味がありました。さて、次のバスに乗り換へませう。
次の乗り継ぎバス、盛駅行きが来ました。これに乗ります。乗客は私と石巻駅から乗つてきた若者の二人です。
すぐに海が見えてきました。
広田湾がよく見えてます。バスの旅もさう悪くありませんね。
遠くに奇跡の一本松が見えてきました。「嗚呼、此処なのね…」、思はず息を飲みました。
バスを降りて、道の駅を横切り、歩いて奇跡の一本松へ向かひます。
何かに吸ひ寄せられるやうに、いそいそと足を進めます。すると、見えてきました。
奇跡の一本松の真下に着きました。散歩中のお婆さんに声をかけられて、「昔はもつと道があつた。反対側は田んぼだつた。若いころ、主人とよく二人で来た。今は、主人も亡くなつて一人でかうして来る」としみじみと語つてました。
やなせたかしの絵がありました。私は、やなせたかしといふ人をあまり評価してゐなかつたのですが、このことで考へが変はりました。松の保存のために一億五千万円を出さうとしたとか。すごいです。口だけ出してお金を出さないさもしい老人と違ひ、立派だと思ひます。
被災の前後の状況が書かれてゐます。
今ある松は、モニュメントのやうなものです。しかし、かうして奇跡的に一本残つたのはなんといへばよいでせう。私の信仰は、大物主大神ですが、見えない神様のお力がはたらいたやうな気がしてなりません。

寄せきたる 大荒波に 朽つれども ひとつのこれる 松ぞおほしき 可奈子
このユースホステルの崩れ具合が、波の強さを物語つてをりませう。
少しずつ命の灯が宿るこの街が、とこしへに幸くましませとただただ願ふばかりです。
けふは静かな海。この海が荒れ狂ひ、逆巻き、あの日、たくさんのものを呑み込んでいつた…。信じられません。私は様々な思ひを込め、この海に対し拝礼しました。
道の駅に立ち寄りました。玉川、道の駅も好きなのです。ここは素敵な道の駅、じつくり見てみたかつたのですが、時間があまりありません。
職場のパートさんにお土産を買ひました。
道の駅の後に、東日本津波伝承館を見ました。言葉になりません。私はあの日、川崎市の某地にをりました。就職活動中で、面接に来てましたが帰らされました。その後、東急線が止まつて動かないので、隣の駅まで歩き、バスと銀座線を乗り継いで家まで帰りました。二千冊の蔵書がひつくり返つてゐました。しかし、東北ではもつと大変なことになつてゐました。改めて知ると、ほんたうに言葉になりません。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。
 次回はいよいよ本編、三陸鉄道リアス線に乗ります。どうか、お楽しみに。

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