秘境駅の旅 下
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
昨日、東急と相鉄の新横浜線に乗り、両路線を再び完乗しました。新線開業のたびに、乗りに行かなくてはならないのは大変ですね。我ながら。
今回は前回の続き。むしろこちらが本編です。前回の上編と合はせてお読みいただたら幸甚です。
上編より長めですが、どうか最後までお付き合ひください。
飯田線秘境駅号
定刻に飯田駅に着きました。お昼時なので、何かを食べようと思つたのですが、すぐ近くに飲食店などが見当たらず、しかも雨なので駅で待つことにしました。焼肉を食べやうにも…。
新宿駅で食料を仕入れておいてよかつた。
373系
駅では、同じ列車に乗ると見られる人が数名ゐました。十二時半頃、ソワソワしてきたので三番線ホームに行つたら、駅員がパネル類を並べて準備をしてゐました。パネルと共に撮影してゐる、親子やおばさんがゐました。微笑ましい。
すると、三両編成の特急伊那路1号が12:41に飯田駅に到着しました。この伊那路が折り返して、これから乗車する急行飯田線秘境駅号になります。
しばらく車内清掃を行ひ、十三時ちやうど、ドアが開きました。
久し振りの373系との「再会」です。いつ以来でせう。ムーンライトながらの運用を外れて以来でせうか。または、いつだつたか、青春18きつぷで名古屋まで行つた時、ホームライナーに乗つた時でせうか。
私は、373系が好きで、乗ると安心します。絶妙な居住性と座席の座り心地、地味だけど飽きない外観。さらに、ムーンライトながら時代のいはゆるノスタルジーも加はり実に良いものです。
さらに、久し振りの「急行」です。私鉄ではよく急行に乗りますが、JRの急行はいつ以来でせう。きたぐにか、はまなすか、中々思ひ出せませんが、久し振りなのは確かです。
他の列車が遅れてゐた影響で、飯田線秘境駅号は定刻より遅れて13:11に出発しました。これから五時間近い秘境駅の旅が始まります。
大好きな、JR東海の特急列車で使はれる車内メロディー(いはゆるワイドビューチャイム)が流れると、懐かしさに胸が締め付けられました。色々な思ひ出が一気に込み上げてきて、涙が溢れさうになります。
車内は思つたよりも空いてゐて、空席も目立ちました。近くに座つてゐる四人の家族連れが五月蝿いのが気に障ります。車内放送で、「情報社会から離れたストレスフリーな旅をお楽しみください云々」と流れてゐましたが、旅先の騒がしい客はストレスにしかなりません。Air Pods Proを耳栓代はりにしました。
秘境駅
ところで、秘境駅といふのは、読んで字の如く、「何でこんなところに駅が…」といふものです。駅といへば、交通機関と人とを結ぶもの、そしてその周囲には人の気配がするものですが、秘境駅にはどうも人の気配がありません。牛山隆信氏がその第一人者といふべき人であり、氏は日本中のそれをまはり秘境駅にまつはる書をいくつも上梓してゐます。
秘境駅は、行つてみるとなかなか面白く、二十年前いくつかのそれに訪ねたこともあります。例へば、北海道の小幌駅や、四国の新改駅、坪尻駅、熊本県の大畑駅などです(どれも女一人で行くところではありませんね)。
私が乗つてゐる飯田線秘境駅号は、飯田線に数多くある秘境駅を巡る列車で、小和田駅など秘境駅ランキングの上位に入る駅に行くことができます。
発車後、車掌がチラシを持つてきました。これが、要領よく秘境駅や沿線についてまとめてくれて便利です。
列車はしばらく住宅地の中を走ります。この間、記念撮影パネルを持つた車掌が車内を徘徊してゐました。
民家が遠ざかり、生活感が薄らいで行くと、景色が面白くなります。
天竜峡駅では、左手に橋と観光施設が見えます。発車後、すぐにトンネルに入りました。そして、トンネルを抜けるとすぐに天竜川に出ました、川の辺りには藤の花が見事に咲いてゐます。
千代駅
間もなく最初の秘境駅である、千代駅に来ました。近くに民家が一軒ありました。雨で、水を集めた小さな川が滝のやうになつてゐました。ここにも、川の近くに藤の花が咲いてゐました。自然に咲く花の美しさに、けふが雨であることを忘れます。
千代駅は、先述の牛山氏によれば秘境駅ランキング二十位ださうです。国歌にも歌はれた、「千代」。良い駅名です。
おほきみは 千代萬代に 真幸くと 朝な夕なに 吾は請祈む 可奈子
しばらく駅を散策した後に発車しました。車窓右手にはひさかたの雨水で流れを早くした天竜川。見事です。この辺りの景色は、どことなく只見線の早戸駅あたりと似てゐる気がします。
金野駅
続く、金野駅はこれぞ秘境といふやうな場所です。民家はおろか、人の気配さへありません。
駅を降り、しばらく歩いたところに橋があります。その橋の上から見た景色は、まるで仙人でも出て来さうな雰囲気です。秘境駅ランキング六位といふだけあります。
金野駅の駅名板の金の字を触ると金運が上がるといつてゐますが、私はかういふこじつけは嫌ひです。
金野駅を発車し、次は田本駅です。
車窓は、天竜川とトンネルを交互に繰り返してゐます。写真を撮らうにも、iPhone SEを構へた瞬間にトンネルに入るので、間が難しく、あまり写真を残せませんでした。
田本駅
門島駅で列車交換をして、すぐに田本駅に着きました。十五分ほど秘境駅を楽しみました。崖の斜面にある駅で、如何やつて駅まで行くのかパツと見ではわからない、「すごい」駅です。
もちろん、人の気配、生活の感じはまつたくありません。
トンネルの上から列車を含めて撮影すると、以下のやうな見事な写真が撮れます。青春18きつぷのポスター感があります。
かつて近くに集落があつたさうですが、今はダムの底に沈んでしまつたとか。廃止にならないのが不思議ですし、日常生活で利用してゐる人は果たして存在するのでせうか。牛山氏のお陰で有名になり、訪ねて来る物好きは増えたでせうが、JR東海側は不本意でせう。なほ、田本駅は秘境駅ランキング五位です。
田本駅を出ると、温田駅で飯田行きの飯田線秘境駅号が停まつてゐました。
この駅は近くにマンションのやうなものもあり、にはかに生活感が出てきました。景色に民家が現れます。しかし、少し走るとすぐに元の自然に戻ります。
為栗駅
次は為栗駅です。してぐり、と読みます。秘境駅ランキング十三位で、人の気配はありません。駅の目の前は天竜川です。悠々と流れてゐます。
近くにかかる吊り橋が唯一、この駅に行くための手段であつてまさに陸の孤島です。
観光施設案内の看板が寂れてゐて、往時を偲ばせてくれます。
平岡駅
為栗駅を出て、トンネルを抜けると、天竜川沿ひを徐行してくれました。見事な景色を堪能できました。
列車はしばらく走り、平岡駅に着きました。平岡駅では、地域住民による特産品の販売が行はれてゐました。ここは駅前にスーパーなどがあり、生活感がありました。小さな子が、親と一緒にアイスクリームを熱心に売つてゐたのが印象に残りました。
駅には興味深い新聞記事が貼つてありました。この記事によると、JR東海に勤める車掌さんが飯田線秘境駅号の企画に関はつてゐるとのこと。素敵です。
伊那小沢駅
平岡駅を発車し、ホームで地域の人の手を振る姿に心を打たれました。ささやかですが、かういふ「ぬくぬく」なのが好きです。
そして、間もなくして伊那小沢駅に着きました。ここは民家も見え、田本駅や金野駅に比べると秘境感が薄いですが、それでも都に住んでゐる私からすると十分に秘境です。秘境駅ランキングは、六十二位です。
中井侍駅
次は中井侍駅です。ここで作られるお茶は幻のお茶といはれてゐるさうです。飲んだことがある方、をられましたらコメント欄に味の感想をください。
駅は天竜川を見下ろすところにあり、その斜面には茶畑もあります。民家もあり、駅には草木が植ゑられて生活感があります。秘境ですが、秘境といふ感覚がなく、秘境駅ランキング十位といふのがにはかに信じられません。それでも、駅前の絶景は見応へがあります。
七分の停車後、次の秘境駅に向けて出発しました。次はいよいよ小和田駅です。
小和田駅
この列車における最後の秘境駅である小和田駅に着きました。おわだ、ではなく、こわだ、と読みます。秘境駅ランキングは、堂々の三位。
最も近い集落まで歩いて一時間以上かかるさうです。
かつては、駅の近くに集落があつたさうですが、ダムの底に沈みました。静岡県、長野県、愛知県の境にあり、駅舎もかつての風情を伝へる立派なものです。
坂を降りて行くと、廃屋があります。かつて住んでゐた人がゐたのでせう。そして、朽ち果てたミゼットが倒れてゐます。時代を感じさせますが、色々と考へさせられます。
初めて小和田駅を訪ねましたが、見事な、そしてまさに秘境といふ駅でした。
…ただ、一つだけ残念なのは、こじつけで今上陛下と皇后陛下の御成婚の時の御真影が飾られてゐたことです。かういふ商業主義的なものは好ましくありません。
小和田駅を出ると、秘境駅を巡る旅も終はります。後は豊橋駅に帰るのみです。記念乗車証をいただきましたが、これが素敵なものでした。嬉しい。
途中、大嵐駅もそれなりの秘境駅で知られてゐます。おおぞれ、と読みます。
水窪駅のあたりは、集落も近く秘境ではありません。しばらく車窓は、秘境のやうな景色と集落の景色を繰り返してゐました。
「嗚呼、旅も終はるんだ」
さう感じながら、目を閉じたら少しの間、寝てしまひました。
旅の終はりと思ひきや
目を覚ましたら豊川駅でした。寝てゐる間に、長篠の城跡を通過してしまひました。
終点の豊橋駅に近くなりました。車内放送の方が熱心に思ひを述べてゐました。胸に迫る内容でした。この旅では面白くわかりやすく沿線の案内をしていただき、嬉しく、そして楽しいものでした。心から、感謝します。
そして、放送の後に流れた最後の車内メロディー(ワイドビューチャイム)に、泣きさうになりました。
豊橋駅に着き、飯田線秘境駅号を降りました。雨は止んでゐました。
「373系にまた会へるのはいつになるだらう」
名残惜しいものです。
「サア新幹線に乗つて、東京へ帰りませう」
…と言ひたいところですが、実はまだ鉄道旅は終はつてゐません。これからまだ乗つたことがない、豊橋鉄道に乗つてから帰ります。
豊橋は、十八年くらゐ前、私がまだ二十代前半だつた頃。当時、勤めてゐた会社の研修で知り合ひ、仲良くなつた人が住んでゐたので二度ほど行つたことがありました。
豊橋鉄道
豊橋駅から急いで新豊橋駅に行き、ギリギリで18:00発、渥美線の列車に乗れました。外は薄暗くなつて、少し雨も降つてゐます。車両はどこかのお古だと思つたら、案の定、東急のお古(昭和四十三年造)でした。
車窓は、さつきまでの飯田線と変はり、生活感と人の気配のあるものになりました。面白くはありませんが、むしろ面白いものを探してみたくなります。
終点の三河田原駅まで行き、折り返しました。三河田原駅は瀟洒な駅舎でした。
次は豊橋駅前から路面電車(東田本線)です。急いで駅前駅に行きホームで発車を待つ車両に乗りました。
まづは、行き先に表示された終点の運動公園前駅まで行きました。そして、ここから赤岩口駅まで約一キロの道のりを歩きました。歩いたといふより、走りました。小雨の降る中、しかも靴ではなくギョサンで。
運動公園前駅到着が19:53。赤岩口駅から豊橋駅前行きの次の発車時刻が20:09。その次が20:29。次の列車でも、乗りたい新幹線に乗れなくはないのですが、余裕がないのが気になりました。そこで、かなり急いで歩きました。
結果…。
20:09発に乗れました。赤岩口駅に、発車四分前に着いて余裕でした、と言ひたいところですが、脹脛はパンパンです。ギョサンは決して歩き易いものではありませんが、走るのにはもつと向いてゐません(かつて、ダイエット目的で走つてゐた時、試しに『陸王』効果で流行つた足袋シューズのきねや無敵や、ベアフットランニングをするためのゼロシューズなどを履いたことがありましたが、脚へのダメージがあつたのでやめました。ギョサンで走るダメージはそれ以上です。良い子の諸君、ギョサンで走るのはきついのでやめませう)。
そして無事に豊橋鉄道の全線乗車を達成し、豊橋駅前に帰りました。
旅の終はり
ホームで、新幹線を待つてゐると、ブラックサンダーの自販機がありました。
豊橋駅から、ひかり522号で東京駅まで帰りました。ひかり522号は、岡山駅から来た列車で、N700系Sでした。豊橋駅の次は静岡駅。ここで数人の乗車がありました。そして新横浜駅に停車して品川駅、終点の東京駅には22:24に着きました。
流石に疲れました。
家の近くにある銭湯で短めのお風呂に入つてサツパリしてから家に帰りました。
さういへば、地域の名産品を何も食べてゐません。私は食べ物を糖質量と栄養価で判断してゐるので、地域のグルメにあまり興味がないのですが(ウソ)、マア良いでせう。
人は、好きなことをしてゐる時が一番、自分らしく、そして楽しくゐられるものです。それを幸せといふのでせう。さらに、もしそこに「一緒に生きる人」がゐたらもつと楽しいことでせう。後者は叶ひさうにありませんので諦めてゐますが、前者は少なくとも満たされてゐます。
乗りたかつた飯田線秘境駅号に乗り、飯田線沿線の秘境駅にも行き、さらに豊橋鉄道の完乗も達成し…。飯田線秘境駅号を運行させてくれた方々に感謝します。
かうした時をこれからもつと増やして行きたいものです。
最後までお読みいただき、ありがたうございまいた。
滝つ瀬の 早き流れの この川の 過ぎ行くものは 旅の楽しさ 可奈子