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平泉澄先生『先哲を仰ぐ』覚書 その二

 この記事に目をとどめていただき、ありがたうございます。前回に引き続き、最後までお付き合ひいただけたら幸甚です。

 現在、「日本」誌上で、漫画家の森生文乃さんが「絵物語 橋本景岳」を描かれてをられます。その優しい絵柄と、わかりやすい内容に私の周辺の人たちも「とてもわかりやすく、面白い」と言つてをられます。私も毎回、とても楽しみにしてゐます。

 しかしながらその橋本景岳先生ですが、なかなか人物像に迫ることは難しい。事実、業績を問はれたらこれといつたものが見当たらないからです。高校の教科書などを見ても安政の大獄で処刑になつた程度の記述で、どのやうな人物であつたかわかりません。何故、井伊直弼が彼を処刑にしたのか、吉田松陰先生と違ひ、その理由もあまり知られてゐません。また同時代の坂本龍馬や土方歳三らのやうに小説になつてゐる訳ではありません。

 では、どう考へれば良いでせうか。それには、平泉澄先生が『先哲を仰ぐ』中の「橋本景岳」で書かれたやうに、その「精神、志操、識見、計画」に注目しなくてはならないでせう。今回は特に精神の部分に注目してみませう。

 平泉先生は「橋本景岳」の中で、第一に「崎門の学を伝へたこと」を特筆してゐます。「崎門の学」とは、山崎闇斎先生にはじまる学問であり、浅見絅斎、若林強斎、西依成斎、鈴木遺音、吉田東篁を通じて、橋本景岳先生に伝はりました。そのことは、橋本景岳先生が吉田東篁の弟子であることと、景岳先生が浅見絅斎の著した『靖献遺言』を懐中に入れてゐたことからうかがへます。
 そして、山崎闇斎先生の学問と『靖献遺言』の神髄(真髄ではありません。神髄は神経骨髄の略ださうです)は、忠の一字に帰着する。景学先生も忠孝のことを、詩や書簡たびたび記してゐることは「橋本景岳」の中で明らかです。

 『靖献遺言』は、「明治維新の先駆たりし志士が殆ど経典の如く,日夜読誦してやまなかつたもの(「革命論」)」であり、吉田松陰先生も読まれました(近藤啓吾『吉田松陰と靖献遺言』錦正社)。


 橋本景岳といふ人の根本には「忠孝」の精神があつたことを前提に、森生文乃さんの「絵物語 橋本景岳」を読むと、より深い理解もできるのではないでせうか。
 また、私の尊敬する橘曙覧先生は橋本景岳先生と同時代の人物です。曙覧先生は左大臣橘諸兄の子孫であり、前に記したやうに本居宣長先生を尊敬してゐました。景岳先生は国事に奔走する中、曙覧先生は足羽山に籠り半ば世を捨てた生活をしてゐました。しかし、曙覧先生のお歌を見ると、決して世を捨てたやうな人とは思へません。

 いくつか挙げてみませう。

 正宗の 太刀の刃よりも 国のため するどき筆の 鉾揮ひみむ

 国を思ひ 寝られざる夜の 霜の色 月さす窓に 見る剣かな

 皇国の 御ためをはかる 外に何 する事ありて 世の中にたつ

 天皇に 身もたな知らず 真心を つくしまつるが 吾が国の道

橘曙覧先生の御歌



 かうしたお歌を見ると、景岳先生と同じ精神が曙覧先生には流れてゐることが感じられませう。
 曙覧先生と景岳先生に連絡があつたかはわかりませんが、両者が奇しくも同じ精神でゐることは歴史を考へる上で面白いことでせう。なほ、平泉澄先生は「歴史を貫く冥々の力」といふ御論文の中で、このことを述べてをられます。

 参考までに、橋本景岳先生については講談社学術文庫の『啓発録』が名著です。また『靖献遺言』も講談社学術文庫で読むことができます。ただし、一部割愛されてゐますので、完全版を読みたい方は、近藤啓吾先生が編纂されました『靖献遺言講義』(国書刊行会)をお読みください。
 橘曙覧先生については、岩波文庫より出てゐる『橘曙覧全歌集』が便利です。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。(続)

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