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仙台の旅
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
久し振りに、九月のとある土日に、週末パスを使つて旅に出ました。タイトルは仙台ですが、実際はそれ以外のことの方が多いものです。ご寛恕ください。ただ、仙台を東北新幹線で往復するのが嫌だつたのがその理由です。私の人生同様、「遠回り」な旅です。
※前回の週末パスの旅と併せてお読みいただけたら幸甚です。
1、新潟へ
出発は上野駅。朝早い六時十四分。とき301号新潟駅行きに乗りました。車内はそれなりに乗客がゐました。単調な景色なので、しばらく読書をして過ごしました。
高崎駅を出たあたりで車窓右手に、『万葉集』東歌中でくろほの嶺ろと詠まれた赤城山がよく見えました。
浦佐駅では、山のふもとに霧が立ち渡り「いとあはれ」な景色でした。
魚沼の 山のふもとに 立つ霧は 恋しき人の 嘆きならむか 可奈子
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長岡駅のあたりで、陽は高くあがり、車窓から日差しのあたたかさが感じられました。浦佐駅とは駅前の景色が異なり、車内も空いてきました。
定刻に新潟駅に着きました。新潟県もゆつくりまはりたいのですが、今回はわづか十分の乗り換へ時間で、特急いなほ1号秋田駅行きに乗り換へます。E653系のいなほ1号は八時十六分頃に入線しました。ハマナス色です。以前、フレッシュひたち号として常磐線を走ってゐた車両でせうか。
自由席はそれなりに混雑してをり、なんとかA側に座ることができました。A側はいふまでもなく、海側です。
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できれば、新潟で「上善如水」(純米)を飲みながら、枝豆をたくさん食べてみたいのですが…。
なほ、「上善如水」は『老子道徳経』第八章に出典がありませう。
「上善は水の若し、水よく万物を利して争はず、衆人の憎むところに処る。故に道にちかし」
敢へて、私の言葉で解釈しますと、
「もつとも楽な、そして善い生き方とは、水のやうなものです。水は他の何かになるのでもなく、水のままで多くのものに利益をもたらして、決して水以外の何かと争ふこともなく、川の流れが下に流れるやうに自ら人の嫌がる低いところに降りて行き、そこに留まります。だから、道といふものに近いのです」
となります。私の好きな考へ方です。なほ、ここでいふ道とは儒教でいふそれとは異なります。『老子』のいふ道が何なのか、私にはわかりません。
『老子』のお陰で、私は救はれました。自身がASDであることを受け入れ、不器用で完璧ではない自分を許せるやうになりました。そのままの自分に目を向けることができるやうになつたのです。今では、ASDで良かつたとさへ思つてゐます(困り事は多いけど)。
儒教的な厳しい生き方も立派なものでありませう。しかし、ストレス社会をしなやかに生きることも決して悪いものではないと思ふのです。儒教は他者との比較ですが、『老子』は内面に目を向けた生き方だと思ふのです。
川を下り 流るる水は 諸人を 潤しにけり 何に成らずとも 可奈子
さて前回、この路線に乗つた時は、海里号で酒田駅から坂町駅まで行きました。坂町駅から米坂線に乗つたのですが、今回は、余目駅まで行きます。なほ、米坂線ですが、八月の大雨の影響で運休となつてゐました。
新潟の街並みを抜けて、豊栄駅、新発田駅を通り、田んぼの広がる平野をしばらく走ります。稲穂が色づいて、頭を垂れてゐました。秋の去り行くのを実感します。
2、湯めぐり
鮭で有名な村上駅を出ると、電源を切り替へるので一瞬真暗になります。そして間島駅あたりで海の近くを走ります。磯辺で、根魚を狙つてゐると思はれる釣り人の姿が目立ちます。
向かふに見えるのは飛島でせうか。
桑川駅のあたりでは有名な笹川流れを眺めて、日頃の疲れを癒します。
途中、鼠ヶ関駅は、古代から中世にかけてあつた関所である念珠関の跡の近くです。勿来関、白河関とともに奥州三関の一つでした。
しばらく海の景色を楽しみました。海の景色から離れると、今度は黄金色の田んぼが広がります。鶴岡駅が近づくと、雲がかかつた鳥海山が見えてきました。鶴岡駅から湯野浜温泉まで、庄内交通湯野浜線が通つてゐましたが、私が生まれる六年位前に廃止されたとか。
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余目駅に到着し、駅近くにある温泉に行きました。ここの温泉は以前から気になつてゐました。ムーンライトえちご号に乗り、北へ向かふ時、あつみ温泉駅で降りて温泉に入ることが多かつたのですが、余目駅にも梵天といふ温泉があることを知つてゐたので、いつか入らうと思つてゐたのですが、潰れてしまひました。しかし近年、その源泉を用ゐ、ギャラリー温泉町湯といふ名で復活したとの情報を得、行つてみたいと願つてゐました。駅前から徒歩七分ほどで着きました。
念願叶つて入つた温泉は琥珀色の湯で、香りもなく、さらさらでした。サウナもあり、少しの時間でしたが、サツパリしました。風呂上がりのお肌はしつとりすべすべです。入館料は480円で、施設内も綺麗で良い湯でした。
さういへば、朝から何も食べてゐません。
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余目駅から陸羽西線に乗りますが、前と同じくバス代行です。これはこれで良いです。十一時二十分出発。車内は私を含めて四名でした。
しばらく走ると、五月雨をあつめてはやき最上川の景色が見えてきます。さう、これはかつて芭蕉が眺めた景色です。芭蕉の古へから年は経りたれど、変はらぬ空の色、木々の翠は都会の喧騒を忘れさせ、日々の業務によつてすり減つた心に潤ひをもたらしてくれます。
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途中、清川駅あたりには、清河八郎を祀る清河神社とその記念館があります。彼はこのあたりの出身です。
ビッグボスならぬ新庄駅に着きました。ここで駅弁、牛肉どまん中(どまん中といつても長州力とは関係ないさうです)を買ひ、陸羽東線に乗り換へました。お待ちかねのキハ110系です。
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目的地は鳴子温泉駅です。途中、瀬見温泉はかつて訪ねたことがありました。透明のくせのない湯で、寂れた温泉街が記憶に残つてゐます。
封人の家がある堺田駅を経て、鳴子温泉駅に着きました。鳴子の由来は源義経にあるとか。
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今回もいつも通り、滝の湯に入りました。熱めの湯は、入るとジーンと全身に響いてきます。熱さとは異なる感覚です。三十分程度、滝の湯にゐました。風呂上がりは汗が止まりません。
駅に戻り、しばらく時間があつたので足湯に入つてゐました。血行が良くなつたのか、足首のあたりがかゆくなりました。
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十六時二分。鳴子温泉駅から、快速湯けむり号は仙台に向けて出発しました。車内は年配の乗客が目立ちました。目的地の数駅前にある西古川駅からは、かつて仙台鉄道といふ路線があり、北仙台までを結んでゐたとか。
四十分程度の乗車で古川駅に着き、列車を降りました。
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仙台で宿が取れず、今回は古川駅前のホテルで一泊しました。
草枕 旅のやどりに 床に伏し みやこの君し 思ほゆるかも 可奈子
3、宮城
さういへば、古川は吉野作造の出身地ださうです。私はあまり吉野作造についてよくしらなかつたのですが、倉山満さんの本を読んで、彼のことを理解しました。
次の日は、古川駅から九時七分発の新幹線やまびこ54号に乗り、仙台駅に行きました。
実方の墓と武隈の松
まづは仙台駅から、名取駅に向かひました。車内には、鉄道好きな少年がすれ違ふ列車などを見て、親に語りかけてゐました。
私は彼に、
「君は良い子だね。これからも鉄道のことをずつと好きでゐてね」
と声をかけました。
名取駅にはすぐに着きました。ここからタクシーに乗り、藤原実方のお墓に向かひました。タクシーの運転手の方のお名前には数字は入つてゐませんでした。無口な方でした。
実方のお墓は静まりかへつてゐて、ひつそりとしてゐました。私は、彼に導かれた心地がしました。
笠島の 奥津城見れば みやこ人の 嘆きの声を 聞く心地すれ 可奈子
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実方は、清少納言の元カレでした。そして、藤原行成の冠を殿上にて叩き落とし、それを見てをられた帝から後に「歌枕見て参れ」とて、陸奥守となり、この地にゐたのでした(諸説あり)。
後に、西行はここを訪れ、
朽ちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて 枯野の薄 形見にぞ見る
と歌つてゐます。後世になつて植ゑたものでせうが、「かたみすすき」もありました。
また、実方といつたら「百人一首」の次の歌がよく知られてゐませう。
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
実に巧みな歌です。
彼は当意即妙の歌を作る才にあふれてゐたことでも知られてゐます。
他にもさまざまなエピソードがありますが、今は省略しませう。
このことは、後で『芭蕉の俤』覚書に書きます。
ついでですが、実方の墓と伝はる実方塚は横浜市戸塚区にもあるさうです。
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さらに、中将実方のお墓から、いはゆる笠島道祖神である道祖神社(現在の佐倍乃神社)を参拝しました。
実方はその道祖神に対して非礼であつたから、神罰を受けて亡くなつたさうです。私はまだ死にたくなかつたので、道祖神社を参拝しました。
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芭蕉も、この時のことを『おくのほそ道』に次のやうに書いてゐます。結局、芭蕉は実方の奥津城に行くことはできませんでしたが。
鐙摺白石の城を過ぎ、笠島の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人に問へば、「これより遥か右に見ゆる山際の里を、蓑輪笠島といひ、道祖神の社、形見の薄今にあり」と教ふ。このごろの五月雨に道いとあしく、身疲れはべれば、よそながら眺めてやりて過ぐるに、蓑輪笠島も五月雨のをりに触れたりと、
笠島は いづこ五月の ぬかり道
次に、岩沼駅に行きました。駅から近いところに、武隈の松が生えてゐます。ここも歌枕であり、芭蕉が『おくのほそ道』で訪ねたところです。
写真を見ればわかるやうに、松の木は二つに分かれてゐます。芭蕉は『おくのほそ道』に武隈の松を次のやうに記してゐます。
武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木に分かれて、昔の姿失はずと知らる。まづ能因法師思ひ出づ。往昔、陸奥守にて下りし人、この木を伐りて名取川の橋杭にせられたることなどあればにや、「松はこのたび跡もなし」とはよみたり。代々、あるは伐り、あるひは植ゑ継ぎなどせしと聞くに、今はた千歳の形ととのひて、めでたき松の気色になんはべりし。
武隈の 松見せ申せ 遅桜
と、挙白といふ者の餞別したりければ、
桜より 松は二木を 三月越
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ところで、武隈といふと、元大関豪栄道関が思ひ出されます。現在、武隈親方として、後進の指導をされてゐますが、「武隈」に限らず大相撲の年寄名跡には歌枕にちなむものがたくさんあります。
横綱白鵬関の宮城野、大関貴景勝関が前に所属してゐた千賀の浦など、これらは歌枕であり、東北由来です。このことは機会があれば書いてみませう。
仙台
再び、仙台駅に戻りました。ホームを降りると、反対側になんとカシオペアが!たまげたナア。一度で良いから乗りたかつたですね。
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ところで、宮城野とはどこにあるのだらうと思つて調べてみると、仙台の東部にあつた原野ださうです。仙石線にも宮城野原といふ駅があり、東北楽天の本拠地である宮城球場や、今年の夏の選手権で優勝した仙台育英高校の最寄りです。かつては帝国陸軍の練兵場もありました。
歌枕としても知られてをり、その初出は『古今和歌集』にあります。宮城野といへば萩であり、併せて歌に詠まれました。しかし、その範囲は明確ではなく、青葉城一帯あたりもさうだつたと言はれてゐます。私は、あまり深く考へず、「マア仙台のあたりが宮城野だらう」としました。
なほ、芭蕉の『おくのほそ道』には「宮城野の萩茂り合ひて、秋の気色思ひやらる」とあり、句を作つてはゐません。
宮城野に 萩の花咲き 秋来ぬと 目にはさやかに 見えにけるかも 可奈子
るーぷる仙台(260円)に乗り、仙台の街を堪能しました。バスはとても混雑してゐました。駅を出発すると、しばらく青葉通りを走ります。
「青葉通り薫る葉緑」とは、さとう宗幸の「青葉城恋唄」の歌詞ですが、とても素敵な造語です。
ところで、表現をする者にとつて、造語はとても難しいものです。そして、それを使ふことはさらに勇気を必要とします。
井上陽水の「少年時代」における「夏が過ぎ 風あざみ」の「風あざみ」。
『万葉集』における天智天皇の「海神の豊旗雲」。
同じく高安王の「藻伏束鮒」など。
かうした表現に心を惹かれると共に、その勇気と発想に感嘆させられます。まさに、青葉通りは「薫る葉緑」です。
瀬音ゆかしき広瀬川の、早瀬躍る光は曇つてゐて見えませんでした。
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青葉城に着きました。伊達政宗像は夏休み(修理)のためありませんでした。なほ、「青葉城恋唄」には青葉城が出てきません。
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ところで、伊達政宗といふと、独眼竜と呼ばれてゐますが、どことなく厨二的な感じがしませう。
私は独眼と言つたら独眼鉄です。知る人ぞ知る、男塾ネタです。さう、私の中学高校での愛読書(漫画)は宮下あきら先生の『魁!男塾』でした。女性なら皆、飛燕をかつこいいと言ふでせうが、私が特に好きなのは大豪院邪鬼先輩と雷電でした。
また、「荒城の月」の土井晩翠も仙台に関係する人物なのですね。
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護国の英霊に感謝の祈りを捧げんがため、宮城県護国神社に向かへば、ちやうど結婚式をしてゐました。参道を通る夫婦。彼らの親戚・友人らが脇で祝福する中に交ざり、共に拍手をしました。
みやしろに ちぎりし人は 知らねども 末の末まで 幸くありこそ 可奈子
神酒すゑて いはひことほき とこしへに ちぎりし人は 羨しきろかも 可奈子
再びバスで仙台駅に帰り、お土産の萩の月を買ひました。
甘くて美味しいですよね。私は、人生も、恋愛も、お菓子も、甘いのが好きです。
目的は果たしたので、東京に帰ります。そのまま東北新幹線で帰るのは面白くないので、少し遠回りをします。
仙台駅から仙山線に乗り、山形駅に行きました。途中、山寺駅では、蒸気機関車の転車台がありました。山寺を車内から仰ぎました。また、機会があれば行きたいものです。
さらに山形駅から十五年振りの左沢線に乗車しました。キハ110系の四両編成はオールロングシートでした。単調な景色ですが、遠くの山々にかかる雲に感じるものがありました。
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左沢駅で折り返し、山形駅から十七時五分発の新幹線つばさ154号で、上野駅に帰りました。
仙台要素が少なめなのに、仙台の旅とは何事かと思はれた方。申し訳ありませんでした。それでも最後までお読みいただき、ありがたうございました。人生も旅も、寄り道、回り道は楽しいものですね。
以前、記しました「おくのほそ道をめぐる旅」と併せてお読みいただけたら幸甚です。