玉川可奈子の夏休み 鹿児島・熊本編
いつもお読みいただき、ありがたうございます。過酷な労働環境で、傷だらけ(火傷に切り傷)の玉川可奈子です。メンタームがとても役に立つてゐます。
苦しい日々を乗り越えて、やうやく夏休みとなりました。今回の夏休みは、かねてから計画してゐた、九州私鉄乗り潰しの旅を実行に移しました。
気分は「冒険者たち」です。
空の旅
旅のはじまりは、ジェットスターの飛行機です。京成線の日暮里駅から、スカイライナー1号に乗り、成田空港へと向かひます。
スカイライナーについては、以下の記事も併せてお読みいただけたら幸甚です。
家の前からタクシーに乗り、日暮里駅に着いたのが、五時十分。ただちに、スカイライナーの指定席を購入しました。幸ひ、指定席はそれなりに空いてゐましたので、無事に確保できました。
ホームに行くと、多国籍な感じです。カップルも目立ちます。ホームの真ん中で、揃つて撮影してゐる邪魔なカップルを尻目に、列車を待つてゐました。
今回の旅も、前回と同じ一澤信三郎帆布です。
ところで、表示板のハングル案内、あれやめてほしいのですが、さう思つてゐるのは「偏狭なナショナリスト」といつもレッテル貼りされて育つた私だけでせうか。
スカイライナー1号は、定刻に日暮里駅を出発しました。
隅田川、荒川を渡り、スカイライナー1号は成田空港に向けてひた走ります。隣の席の支那人女性は、テレビ電話で会話してゐます。ヘッドホンをしてゐたので気が付きませんでしたが。
私は、支那のことは支那といつも表現してゐます。あんな野蛮な国を「中華」(世界の中心にあつて最も文化の進んでゐる国)と認めるつもりは死んでもありません。
朝日に照らされた印旛沼を見て、十分も経たない間に、空港第2ビル駅に着きました。ここで列車を降り、歩いて第三ターミナルに向かひます。
空港第2ビルに来るのは、二十年振りでせうか。
「阿呆列車 ひだ13号」に書いた友達が、オーストラリアに留学する際に、見送りに来た時以来です。
保安検査場前はものすごい混雑で、早めに来て正解でした。
すぐにチェックアウトを済ませ、搭乗口近くに移動し、さらにドナドナのやうなバスに乗り目的の飛行機まで行きました。
客室乗務員のお姉さんが手を前にして、間違つたお辞儀をしてゐるのが気に障ります。本当にやめてほしい。
私の席は、三人掛けのド真ん中です。左隣には家族連れの父親が、スマホのゲームに興じてゐます。右隣の若者はイヤホンを着けて寝てゐます。肘を私の席にはみ出してきて邪魔です。
私は機内で読書をして過ごしてゐました。とても良い本で、多くの国民に読んでほしいと感じた一書でした。
今朝から何も食べてゐないので、空腹です。さすがに辛いので、カフェセット(500円)を注文し、マフィンをいただきました。
さういへば、職場のパートさんから、さだまさしの手ぬぐひをいただきました。そのパートさんが、手に持つてをられた手ぬぐひが目に止まり、聞いてみたところ、さだまさしのソレだと。
私は、
「風に立つライオンですね」
と応へたら、とても喜ばれ、
「たくさんあるから玉川さんにもあげるね」
といふことでありがたく頂戴しました。
さだまさしといへば、私は「関白宣言」の歌詞のやうな男性が好きなのです。
「忘れてくれるな 俺の愛する女は 愛する女は 生涯お前ただ一人」
こんなに胸に響く歌詞はさうあるものではありません。一度で良いから、そのやうなことを言はれてみたいものです。
LDHやジャニーズのやうな薄つぺらいジャリタレの愛だの恋ひだの中身のない歌よりも、はるかに優れてゐます。
しかしながら、その関白も失脚しますが…。
女性相手なのだから、関白ではなく摂政の方がよかつたのでせうか。
男を立てられない女もダメですね。
ひさかたの 天つ空行く 大船は 筑紫の果ても ふたときばかり 可奈子
鹿児島巡り
九時二十一分に、着陸。二時間ほどで、鹿児島空港に着きました。にはかにテンションが上がります。
ヘッドホンを着け、剛のヘビロテです。なほ、空港周辺の天気は曇りでした。
空港には足湯もありますが、すぐにリムジンバスに乗り、鹿児島市内を目指します。九時四十分発のリムジンバス(1,400円)に乗り込みました。車内は満席です。通路側に座りました。
車窓にはしばらく茶畑が目立ちました。
けふのこれからの目標は、
一、鹿児島市電を完乗する。
二、南阿蘇鉄道を完乗する。
三、ホテルでマッサージをしてもらふ。
の三本です。
剛の唄にもある「観覧車」が見えてくると、鹿児島中央駅に着きました。
ここから市電に乗り込み、郡元駅、そして谷山駅をまづ目指します。
車内で一日乗車券(600円)を買ひました。
唐湊といふ興味深い駅名の駅を経て、郡元駅で谷山駅行きに乗り換へました。
涙橋駅を見て、鹿児島にも涙橋があるのを知りました。私の思ひ浮かべる泪橋は「あしたのジョー」のソレです。
なほ、私は「あしたのジョー」のキャラでは、白木葉子が好きです。
車内はそれなりに混んでゐます。進行方向右手に、JRの南鹿児島駅が見えました。
のんびりしてゐたら終点、谷山駅に着きました。
ただちに折り返して鹿児島駅前行きに乗ります。
列車に揺られること三十分あまり、鹿児島駅前に着きました。駅から桜島が見えるのですが、けふは雲がかかり、そのふもとのあたりしか見えず、頂の煙は見えません。
船出する 浜にし来れば 燃ゆる火の けぶり立ちたつ 桜島見ゆ 可奈子
ここからしばらく歩いて、南洲公園、さう西郷隆盛の奥津城へ行きます。
途中、交通事故で亡くなつた方へ花が手向けられてゐました。思はざる事故で亡くなられた方を思ふと胸が痛みます。
ところで、西郷さんは心の中「ぬくぬく」の人です。月照と共に死なうとしたこと、戊辰戦争での酒田藩士へに対応をはじめ、理性では理解できない逸話が数多くあります。実に人間臭く、あたたかい人です。
酒田でのことはこちらにも書きましたので併せてお読みいただけたら幸甚です。
特に中津藩士であつた増田宋太郎のいふ西郷さん評は、西郷さんがぬくぬくの人である証でせう。
曰く、
「一日接すれば一日の愛が生まれ、三日接すれば三日の愛が生まれる」。
彼は当初、福沢諭吉の弟子でしたが、やがて福沢から離れ西郷さんに従ひ、西南戦争を戦つたのでした。
父の部屋には、某書家による「教育勅語」、そして左から乃木将軍、西郷さん、東郷元帥の肖像画が飾られ、さらに吉田松陰先生の萩焼の像が置かれてゐました。それゆゑ、西郷さんは私にとつて身近な偉人でした。
また西郷さんについては、平泉澄先生の以下の書が白眉です。お読みいただけたら幸甚です。
鹿児島駅前から歩いて十分ほどで、南洲公園に着きました。
炎天下、汗まみれになりながら南洲神社を参拝し、西郷さんや桐野利秋、そして増田宋太郎のお墓を拝しました。
ますらをの 命果てたる 城山に 国もとどろに くま蝉の鳴く 可奈子
もののふの 八十氏人の 悲しみを 見る心地する 君の奥津城 可奈子
南洲顕彰館を手短に見学し、次の目的地、かごっま温泉に向かつたところ…休みでした。
仕方がありません。みたび市電に乗り鹿児島中央駅前まで行き、鹿児島市交通局の路面電車を完乗しました。
目標の一つ目を無事に達成しました。
城山に登つたり、鹿児島県護國神社や照国神社の参拝、鹿児島水族館など、行きたいところは他にもありましたが、けふも先を急ぎます。
次、来る機会があつたら、なべしまで焼肉を食べます。
汗だくのままですが仕方ありません。鹿児島中央駅から、さくら558号で熊本駅に行きます。
JR九州の新幹線は、座席が他社の新幹線に比べて豪華です。フカフカで座り心地がとても良いです。
さくら558号は、定刻に鹿児島中央駅を出発しました。車窓は、と言ひたいところですが、トンネルばかりです。
車内で昼食の駅弁(鹿児島県産黒毛和牛カルビ焼肉と黒豚角煮弁当)をいただきました。
甘口のタレが効いたお肉が硬いながらも、とても美味しいです。
川内駅を経て、次の出水駅を通過して行きました。
出水は鶴の飛来してくる地として知られてゐます。そして、剛が父・邦治亡き後に、父を偲んで唄になしたことでも知られてゐます。
奇しくも、同じ時期に私の父も身罷りました。
冬にならば 数多のたづの 天かけり 出水の原に 春を待つらむ 可奈子
出水駅を出てしばらく行くと八代海が見えてきます。その海の先には、『万葉集』にある歌の中で最南端で詠まれた歌の地である黒の瀬戸があります。
隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くも我は 今日見つるかも (巻三・二四八)
長田王の歌です。
阿蘇へ
新水俣駅、新八代駅を経て、さくら558号は熊本駅に着きました。ここから豊肥本線に乗り換へます。
豊肥本線には、十八年振りの乗車です。
2番線ホームで待つてゐると、来ました。キハ185系の九州横断特急3号(二両編成)です。
車両、古いですね。自由席に乗りました。熊本駅を出発した時点で、一割程度しか自由席車両にはゐませんでした。
十五時五分、列車は熊本駅を出発しました。新水前寺駅、水前寺駅などちよこちよこ停車して行きます。さすがに朝が早かつたのと、疲れてゐたこともあり、少し寝てしまひました。肥後大津駅を出たあたりで目を覚ましたのですが、景色が雄大なものになつてゐました。
十五時四十七分、立野駅に着きました。私が乗つてゐた九州横断特急3号は、スイッチバックして大分方面へと駆けて行きました。
ここから、南阿蘇鉄道に乗るのですが、二時間近い待ち時間があります。駅周辺を散策しようにも、何もありません。本当に、何もありません。
駅前に、ニコニコ饅頭なるお店があつたので、立ち寄り、一つ購入しました。
400円でした。円満さうなお婆さんが、
「できたてだよ」
と言つて渡してくれました。
確かに、ぬくぬくなお饅頭で、美味しい。創業明治四十年といふ歴史の重みも感じられました。
ちやうど、TVでは、花巻東高校と仙台育英高校との試合が始まらうとしてゐました。
南阿蘇鉄道は、熊本大地震により不通になつてゐましたが、今年の七月十五日に全区間復旧しました。
昭和六十一年に、国鉄高森線受け継いで開業しました。
虫の鳴く音のみが聞こゆるホームで、ニコニコ饅頭をいただき、列車が来るのを待ちました。
さういへば、十数年前、地獄温泉に行く際に乗つた時と駅の感じが違ひますね。また、あの時の記憶も定かではありません。
地獄温泉は、別府保養ランドほどきめ細かいものではありませんが、泥湯の温泉です。混浴です。
ホームに数名の地元民が現れ、人の声も聞こえるやうになりました。すると、そのうちの老婆が私の隣で煙草を吸ひ始めました。臭いので場所を変へましたが、かういふマナーの悪い地元民がゐて、傍若無人に振る舞ふから鉄道離れが進むのでせうか。しかし、若者はすでに列車には乗りません。
十七時九分、二両編成の列車が入線して来ました。よく知らない漫画のラッピングがされてゐます。
これから、この列車に乗り、高森駅を目指します。
車内は、子供が随分と乗つてきました。次第に騒がしくなり、席も埋まつてきたところで、立野駅を出発しました。
さて、前回乗つた時は阿蘇下田城ふれあい温泉駅まで行きました。けふは終点の高森駅まで乗ります。
出発して間もなく、車窓左手にダムが見えました。鉄道土木遺産である第一白川橋梁を渡ると、車内の子供が騒ぎ出しました。
最初の停車駅、長陽駅は木造の素敵な駅舎でした。列車も撮影に数名の若者がホームにゐました。
車窓の阿蘇山ですが、雲がかかつてゐてよく見えないのが残念です。
すぐに次の加勢駅に着きました。乗客が一名ゐました。
続いて、阿蘇下田城ふれあい温泉駅に到着。ここから先が未乗区間です。車内の子供はもう飽きたのか、あと何駅か親に聞き出してゐます。
南阿蘇水の生まれる里白水高原駅で、数名の地元民が降りて行きました。なんだか珍奇な長い駅名がいくつかあります。水が綺麗なのでせう、田んぼも目立ちます。
中松駅で上り列車と交換しました。子供が去り行く列車に手を振つてゐました。そして、いつの間にか雨が降つてゐました。
阿蘇白川駅も、素敵な駅舎でした。喫茶店になつてゐるんですね。
白川水源駅は、田んぼが目の前に広がる風情ある景色が楽しめる駅です。終点の手前である見晴台駅を経て、高森駅に着きました。駅前は民家も多く、生活のにほひがします。
そして南阿蘇鉄道、完乗です。
来た列車で折り返します。帰りの車両は、MT-3000形気動車、平成五年に製造されたものです。
高森駅にもありましたが、行く先々の駅で、南阿蘇鉄道の復活を喜ぶ垂れ幕や看板がありました。どうか、地元の人がたくさん利用してくれることを願ひます。
立野駅、肥後大津駅を経て、新水前寺駅まで戻りました。
けふは、ここから熊本市電に乗り換へ健軍町駅まで行きます。
新水前寺駅前で、何とか目的の市電に乗れました。ここから、健軍町駅まで行きます。疲れて車内でボーッとしてしまひました。とりあへず、終点の健軍町駅まで到着し、折り返して辛島町駅まで行きました。玉川、フラフラです。
動植物園入口駅や、味噌天神駅など、興味深い駅名が続きますが、疲れ切つた私は一路けふの宿を目指します。
辛島町駅に着きました。すぐに、東横イン桜町バスターミナル前に投宿し、部屋に入るなりマッサージをお願ひしました。
シャワーを浴びて、しばらく待つと現れたのは一人のおばちやんでした。
マッサージは、いはゆる按摩で、肩から腰、足までよく揉んでくれました。スッキリです。お話し好きのおばちやんで、九割が野球の話しでした。読売は嫌ひといふ真人間で、話しがとても盛り上がりました。
印象に残つてゐることを以下に挙げませう。
などなど。楽しかつたです。
施術後、すぐに寝ました。さすがに疲れました。
今回はここまでです。次回をどうかお楽しみに。(続)