コーチングを勉強し始めたきっかけ
今週の月曜日にTHE COACH Academyのプロ12期が修了しました。プロコースを進める中で自分の中で整理した、コーチングを学び始めたきっかけをnoteにも残しておこうと思い、書いてみます。
今思うと、焦燥感で動いていたな、と。
でも今はもっと素直な気持ちに変化している感じです。
コーチングを学び始めたきっかけは焦りがあったから。
「今の私には何もない。何かスキルを身につけなくちゃ」そんな焦りからさまざまな資格を見ていた中で、昔の上司に教えてもらった「コーチング」が目に止まりました。
その頃私は仕事でも育成に力を入れていて、「目の前の人の可能性に気づけたり、広げたりできるようになりたい」という想いが少しづつ大きくなるのを感じていた頃。この時はまだ、プロコーチを目指すなんて1ミリも思っていませんでした。
成長思考や課題解決に感じた限界と苦しさ。
私はどちらかというと、成長意欲が高く、課題発見や問題解決を必死に楽しくやってきました。何をしたらベストか。どうしたらもっと良くできるか。成長こそ正義であり、現状維持は後退である。最短距離のアンサーこそ目指すものだと信じていました。
しかしある時心身のバランスを崩し、長く仕事をお休みしなければいけなくなってしまったのです。成長や問題解決とは程遠い日々を過ごす中で、ギャップに苦しみ、なかなか自分を受け入れられない。活躍している同僚を見るのも辛く、人と比べてさらに落ち込む日々でした。
上昇志向だけでは登れない階段があるんだな、と気づいた出来事でした。運よく、相性のいいカウンセラーさんと病院と出会うことができ、今は元気にお仕事をしています。
私は自分の話を聞いていなかった。
学び始めて感じたのは、コーチングは自分との対話の時間だなと感じました。自分自身と対話するために、コーチがいる。まるでパーソナルジムのように、コーチと共に自分の感情を眺め、問いかけ、解いて、味わい、受け止めていく。その中で前に進んだり深まったり。時には後ろを振り返ったり。
私は、課題解決を目指すあまりに自分の違和感や痛みという「感情」を無視していたんだと自覚するようになりました。一時的には無視して割り切ってしまった方が楽だったのです。
見たくない自分の話も聞く。隠れていた願いに気づく。曖昧さを見つめていく。そんなプロセスの先に本質的な変容があるのだとTHE COACHのプログラムで体感していきました。
自分の話を聞く中で、心から望む選択が以前よりもできていると実感しています。プロコースへの投資や、仕事への向き合い方、家族との関係性…。スッキリ解決!なんてきれいにはまとめられませんが、素直だなあと、今は思えています。
信じることの可能性と、自分の在り方への問い。
人の可能性を丸ごと信じること。THE COACHでの経験で、これまで「できる・できない」のジャッジを自分にも相手にも重ねていたことに気づきました。そしてあるがままを信じてくれている人がいることのインパクトを知りました。
信じることはスキルではなく「在り方」。その土台があって初めて、話を聞く傾聴力や、本質を聞く問いができる。スキルが欲しかった私からの大きな変化でした。
葛藤を抱えながらも自分の意志を持って歩きたい人と伴走したい。
私はどうありたいのか。
今は「世の中にある曖昧なものの中に美しさを見出したい」と思っています。どうしてもわかりやすい正解を求め、正解が出たものだけが世の中に知れ渡る。それはそれで素晴らしいことですが、私が見ていたいのは、形も色も定まらず、何にでもなれる可能性を秘めた曖昧さ。
それは時に苦しく、自分を振り回すものだと思っています。曖昧さを味わい、今ここの手触りを感じる時、私自身が生きていることを実感できるのです。
それが私にとって、コーチングを通した人との関わりでした。変化することは、時に曖昧で先が見えないことだと思います。「葛藤を抱えながらも、自分の意志を持って歩きたい人と伴走したい」。私自身も働き方、暮らし方、それぞれで模索しています。当事者として、一緒にあなたの葛藤に伴走したいと思っています。
きっかけは人それぞれですね。これから、一緒に話してくれる方も募集したいと思っています。