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「過保護」と「甘やかし」

年末、実家に帰省してきましたー。2年ぶり。

いよいよ自分が住んでた家、ていう感覚が薄れてきてる。。。
次女に「え、ままここに住んでたの?!」なんて
びっくりされても、そうだよといいつつ
カメレオン気質の私は心のどこかでとんちんかんに
アレそうだったっけ、となってた。

そのくらい、結婚して実家を出てからの12年は
濃い経験だったなー。

特にここ1、2年は長女の不登校をきっかけに

母親である私自身の「歯を食いしばって、踏ん張る」
根性スタイルが
「当然(すべきこと)でない」し
「必ずしも子供をしあわせにするものではない」ことに
気づき、これまでの生い立ちで自らすすんではめてきたウエイトを一個一個外していく、という作業を
日常のなにより優先してきた日々でした。

ーそんな進捗状態の中の帰省で暮れに気づきが。

出発予定の日に帰省先が大寒波になる、というニュースで心配したのであろう母からの
「日にちを延期しないか」というLINEがありました。
なるべく早めに出発して気をつけていくね、と軽く
いなして出発したものの中間地点でチェーン規制の
発令。
下道に降りながら状況をLINEしたら
「どうする?」との返事。
半分まで来て、どうするって…

普通の返事なのかもしれないけど
私は実家を出るまでの29年間、さまざまな局面で
こんな選択を迫られて小さな可能性を潰し、
引きずりおろされてきたのかと自分の境遇を思うと
無性にかなしくなってしまいました。

そこは「気をつけてゆっくりおいで」でいいんじゃないの??

そして無事についたら、母はその選択を迫ったことすら
忘れていました。
そういうもん。
そうなんです。過保護は無意識に潜んでいる。
心配に心配するあまり、先回りして最大の防御である
「何もかもやめる」を差し出す。
これって、子供が自身で成し遂げると信じてあげられてないから手が、口が出ちゃう。

よく父親に言われていたけど
そのとおり「過保護」だったー。

それと似て非なる「甘やかし」とは。
子供の意思に沿って、手助けすること。
子供が自発的に「やりたい」と言ったことに対して
頼まれたら、よろこんで手伝う。

見分けポイントは「子供を信じているか否か」。

母は「甘やかし」もたくさんしてくれたけど
区別がつかなかったのだろうな。無理もない。
私も今回やっと身をもって気づいたばかりだから。


不登校なんていうマイノリティーな情報だって
死に物狂いで検索すれば真理らしいものに
ぶち当たる、のは今の話で
20年以上前なんて、そもそも情報を手軽に得る手段が
なかった。その違いもあるし、なんとなくそれらしく
育ててたんだろうなー。
こどもがすすんでがんばり出したから、
ヨシヨシ、って思っちゃった。
多少コケても、またがんばりだしたから
そうかそうか、って。
それは今もそうか。


とにかく私は知識を得て、もっとラクになって
勇気を出しつづけて楽しい人生を送っていきたいなー。

そこまで連れてきてくれたのは、やっぱり子どもたち。

今年も頭上がりません。よろしくね。








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