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私の悲しみの波動が、ある命を奪った話 #3|私という存在の重み
私には、落ち込んだり、悲しい気持ちになったりすると思い出すことがある。
大学で神道を学んでいた頃、一晩で枯らしてしまった、神棚のお榊のことだ。
***
コロナ禍のある日。私は久しぶりに再会した先生から、あまりに思いがけない言葉を告げられた。
その言葉は、私の心を突き刺した。
悲しみのあまり涙を止められないまま、眠れない夜を過ごす。
すると、翌朝、取り替えたばかりのお榊が枯れてしまっていたのだ。
「私がお榊の命を奪った」
とすぐに思った。それには理由があったのである。
▼この話の続きです
身代わりに枯れるお榊
神棚のお榊は、玄関側の方が早く枯れると聞いたことがある。外からの悪い気を代わりに祓ってくれるというのだ。
これには諸説あり、真偽のほどは明らかではない。だが、少なくとも私の神棚のお榊は、いつも玄関側が先に枯れてしまっていた。
「この家を私の代わりにお守りくださっている」
そう受け止めてきたのである。
ところが、この日は違った。
玄関側のお榊は生き生きしているのに、反対側のお榊だけ、一晩ですっかり枯れてしまったのだ。
数日前に取り替えたばかりのお榊。寝床につくまで元気だったとは信じられないほどだった。
反対側には寝室がある。
「私が悲しむあまり、お榊が身代わりになってくれたのだろうか」
そう思うと、自分のことが急に恐ろしくなった。
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人間には恐ろしい力がある
私が強く悲しめば、生き物の命を奪いさえする。
もしそれが本当なら、まるで自分が悪霊になってしまったようで、怖い。
だが、この考えが正しいのか分からないという気持ちもあった。にわかには信じられなかったのだ。
この時の私は、当時お世話になっていた山伏の方に、お榊の写真を撮って送っている。
本当なのか確かめたいという気持ち。同時に、思い違いであって欲しいという気持ちもあった。
ところが、彼女は写真を受け取るや否や、心配して、すぐに私の家に駆けつけて来てくださった。
その事実に、やはりそれだけのことなのだと痛感する。私のせいでお榊が枯れたのだと受け止めざるを得なかった。
「人間には恐ろしい力がある」
そう思い知らされたのだ。
私という存在の重み
神道では、神様には穏やかな状態(和魂、和御魂)と荒々しい状態(荒魂、荒御魂)があるとされる。
神様はいつも穏やかで人々に恵みを与える存在とは限らない。同じ神様でも、災害など、そのお力(神威)を荒々しく現すこともあると考えるのだ。
例えば、伊勢神宮の内宮には、荒祭宮という、天照大御神の荒御魂をお祀りする別宮がある。
人の手に負えない大きな力への畏怖が、その背景にはあるのだろう。
だが、本当は人間にも恐ろしい力がある。
この体験で、ようやく心から分かった。
私が悲しんだだけで、お榊が枯れる。それだけのエネルギーを、知らず知らずのうちに発している。
もちろん、私だけではない。誰もがそうだ。
もしも、世界中の人々が強い悲しみに包まれたとしたら、一体どうなるのだろう。
一人ひとりの気持ちが、一瞬ごとに強いエネルギーを発し、地球に大きな影響を与えている。
そう思うと、私という存在の重みを強く感じて、打ち震えた。
***
だが、今回分かったのは、それだけではない。
この体験を通じて、私の避けがたい宿命を知ることにもなった。
つづく
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★40代独身女性が先を決めずに早期退職したら、不思議な体験をして、自分の使命に気づく話
★神社実習の話なども書いています。神社の向こう側の世界をぜひ。
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