私の悲しみの波動が、ある命を奪った話 #1|お茶飲み友だちの先生
私には、落ち込んだり、悲しい気持ちになったりすると、思い出すことがある。
以前、一晩で枯らしてしまった、神棚のお榊のことだ。
あのとき、私は例えようもなく悲しかった。
その気持ちが悲しみの波動となって、お榊を枯らした。私はそう思っている。
お茶飲み友だちの先生
2019年4月。会社を早期退職した私は、神道を学ぶため、國學院大學に入学した。47歳のことだ。
会社で5時まで働いた後、急いで大学に向かい、6時前から9時まで授業を受ける。土曜日や祝日も授業。課題が多く、休日には神社実習もあった。
想像以上に忙しい日々。だが、楽しくて仕方がなかった。
好きなことを学べる喜びもあったが、何より人との交流が楽しかったのだ。
子供でもおかしくない年齢の若者たちと、同じ学生の立場で授業や実習を受け、助け合う。
先生方ともよく話をした。現役時代は先生と交流するタイプではなかったのに、変わるものである。
中でもX先生の研究室によく行っていた。入学試験の面接官だった先生だ。
ひょんなことから、お菓子を持って遊びに行くようになった。話していると、あっという間に時間が経つ。まるでお茶飲み友だちである。
初めは私が勉強について相談することが多かった。だが、次第に先生の話を伺うことも増えていく。
雑談だけでなく、仕事の愚痴、ご家族のこと、将来への不安など、立ち入った話をするときもあった。
大学の先生には、孤独な面がある。
職員室で机を並べて働いている訳ではない。各々が個室をあてがわれ、自分の研究をしている。
人との関わりはあっても、仕事に関係のない話をする機会は少ない環境だ。
学生だが、歳が近く、一般企業で働いてきた社会人でもある私には、話しやすいのかもしれない。そう思っていた。
人の話を聞くのが好きな私は、その時間が好きだった。だが、突然絶たれることになる。
1年目の大学生活が終わる頃、新しいウィルスが日本に上陸したからだ。
コロナ禍の大学生活
2020年の夏。私は本格的なコロナ禍の中、2年目の大学生活を送っていた。
期待に胸を膨らませて入学してから、1年あまり。早いもので、半年もすれば卒業である。
だが、大学にはずっと行ってなかった。すべてオンライン授業になっていたからだ。
降って湧いたような災禍。先生方は、その対応に追われていた。
しかも、神道の授業には、祭式(神社祭祀の作法)や衣紋(装束に関する知識と着付けの方式)など、実技を伴うものが多い。
本来オンラインで教えるには限度がある。
それでも、先生方は「いつもと同じレベルの学びを提供する」という思いの詰まった対応をされた。
例えば、急ごしらえとは思えないほど充実した内容の動画を、驚くほどすぐに作ってくださったのだ。
使ったこともなかった機材やツール。その操作を覚えるところから始めているのに、妥協のない対応をされる様は鬼気迫るものがあった。
私たちは、講義をオンラインで受けながら、実技はその動画を使って自習する。さらに、前期の終わりには、大学で集中授業を受けることになった。
半年ぶりのキャンパス
半年ぶりにキャンパスへ向かう。前回来たときは冬だったのに、すっかり夏になっている。
楽しかった日々を思い出して嬉しい反面、私は少し緊張していた。
仕事も完全在宅のため、もう何ヶ月も、週の大半は一人暮らしの家から一歩も出ない生活をしている。
これから一週間あまり、大勢の若い学生に囲まれて授業を受けると思うと、どこか気圧されてしまうのだ。
少し時間があった私は、X先生の研究室へ行ってみることにした。あのお茶飲み友達のような先生である。
いま思うと、大学の空間に自分を馴染ませてから、集中授業に臨みたかったのかもしれない。
研究室のある棟に向かう。教務課など職員の方がいるフロアもあり、本来は人がたくさん集まる場所である。
だが、このときは静まりかえっていた。私の足音が響き渡るように感じるほどだ。以前とは全く違う様子に、突然心細くなる。
この日は他の先生の集中授業だった。X先生はいないかもしれないのに、なぜ行こうと思ったのだろう。
後悔しながら、目指す階に到着する。中をのぞき込むと、X先生の研究室から明かりが漏れていた。
緊張しながらも、久しぶりの光景にほっとする。
しかし、私はこの後、思いがけない体験をすることになるのだ。
つづく
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★40代独身女性が先を決めずに早期退職したら、不思議な体験をして、自分の使命に気づく話
★神社実習の話なども書いています。神社の向こう側の世界をぜひ。