沢庵の煮たやつ
昔は○○ならこの人といったようにカテゴリー別にいろんな名人がいた。「盆踊りの唄なら××の下駄屋の親父。年中仕事場で下駄を組みながら唄っていた。本番の盆踊りになると、喉に良いのか前に生卵を籠に並べて一晩中マイクもスピーカーもなしに朗々として、本当にいい声やった。」というような話がたくさんある。
食に関しても、「かきもちは観音堂のじいさん」「大根寿司ならあそこの母ちゃん」「小豆汁は死んだ△△のばあさん」など地域や世代が違っても語り伝えられるものもある。
私は坊さんなのだが、うちの檀家に”ぼたもち”作りの名人の爺さんがいた。若い時アンパンで有名な銀座の木村屋で働いていて、春秋の彼岸の時期に参りに行った際にふるまっていただいた。
中のモチ米は丁度いい感じの半殺しで、外側の小豆の粒も当たらず触らずの内外共に絶妙の触感である。小豆の甘さ加減が抜群で、これ以上甘味が少ないとあいそもないし(物足りないし)、もう少し甘くするとモチ米の美味しさが壊れるというこれしかないという塩梅である。
その時奥さんが出してくれたのが瓜の奈良漬けと熱い番茶である。甘いぼたもちを食べて合間に塩の効いた奈良漬けを挟む。一つ食べ終わったら熱い番茶をすすり、次の一個に進む。奈良漬けと番茶が切れると嬉しそうにおかわりを出してくれて、10個ぐらいは軽くいただいた。
奥さんが亡くなられて、その後施設に入られて亡くなられて数年経つが、今でも”ぼたもち”⇒”奈良漬け”⇒”番茶”⇒”ぼたもち”に戻る、の美味しい記憶は忘れようもない。
さて、今回冒頭の写真は金石の名人による「沢庵を甘辛くにたやつ」である。何度も茹でこぼし、湯水をその名の通りもったいないほど使うので「大名煮」「ぜいたく煮」とも言われている。
暑いこの時期になると沢庵が酸っぱくなってくる。極薄切りにして水にさらして生姜であえたりしていただくのも美味しいが、甘辛く煮て食べるのも選択肢の一つで各家庭で作られる。茹でこぼすとき酸っぱくなったヌカの臭いが家の外にまでするため(下水道ができる前まではなおさらである)、どこの家で何を作っているのか明々白々であった。
味は家それぞれで私の祖母が作ってくれたのは酸味とヌカの臭いを残すものでそれはそれで旨かったが、たいがいの家はそこからさらに茹でこぼし酸味と臭いを除いてから味付けするようだ。
味付けは醤油に酒と砂糖に唐辛子を加えるのがオーソドックスなもので、そこに昆布や味の素など好みで加える。クッキーみたいに甘い家もあれば塩気の強い家もある。
名人のものは優しい味で、これといった特徴を挙げるのは難しいのだが気が付けば無くなるまで食べ続けてしまう。甘いとか辛い以上に危険なものである。
作り方を聞いても特段変わったことをしているわけでもない。みんなと同じように作ってもひと味違う。私も何度かあの味を再現しようとトライしているがまるで違うのが料理の不思議で、個々のウデであり技術であり人そのものの違いであるように思える。
お話を聞かせてもらった時には元気だった名人だが、半年後お亡くなりになられた。味の再現にはまだまだ時間がかかりそうだが、金石にはこんな素晴らしいものが、人がいたということをとりあえず伝えたいのである。