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モヤモヤを抱き続けることの正当化 | 小説『生殖記』(朝井リョウ)

この小説を読了した私は、
「自分の中で『考え続けること』『モヤモヤを抱き続けること』にも意味がある、肯定してもいい」と思えた。


・モヤモヤを抱き続けることの正当化

私は「考えすぎること」「モヤモヤを抱くこと」が多い。
考えすぎても、モヤモヤを抱き続けても良いことってあまりないのかもしれない。ネガティブになるし、イライラすることだってあるし。


でも、2年前から抱えていたモヤモヤがある日急にスッキリしたり、モヤモヤ同士の共通点がみつかって解消の糸口を少し掴めたりすることがある。


こういう出来事があると、「脱皮」したような感覚を得られる。

それまでの自分のようで、それまでの自分でないような。
ネガティブなものだった「モヤモヤ」のおかげで、ポジティブな「成長」が得られるような。そんな感覚。


きっと、モヤモヤや悩みを抱えていないと、世の中に対する「自分」がなくなってしまう気がする。

「モヤモヤを抱いた」と言うことは、ある出来事と自分との間に「違和感」を持ったと言うこと。
その「違和感」にこそ「自分」と言う、自分自身が一番分かっているようで分からないものを掴むヒントがあると思う。


だからこそ、「モヤモヤを抱くこと」を大事にしながら、考え続けていくことが案外大切なんだなって、「モヤモヤを抱えることを正当化」することができた。



そんな気づきを得たのが、朝井リョウさんの『生殖記』だ。


・『生殖記』(朝井リョウ)について

デビュー作『桐島、部活やめるってよ』で一躍脚光を浴びることになった、朝井リョウの『正欲』以来3年半ぶりの長編小説。
出版業界では常識外れな”ネタバレ厳禁”のプロモーションが行われた本書は、その内容も斬新なものだった。




以下は少しのネタバレを含みます!ご注意下さい🙇



・心地よさもある斬新で意外な「語り手」

この物語の語り手は、なんと、主人公:尚成の「生殖器」。
「だから『生殖記』と言うタイトルなのか!」と読書中、腑に落ちた。

「生殖器」の目線で語られる物語であるという斬新さがこの小説の「驚き」と言う面での「面白さ」だと思う。


人間社会を、「生殖器視点」で客観視していたからか、最近になってよく耳にするようになった「多様性」と言う言葉の「薄さ」を感じた。


また、普段から自分自身を客観視してしまう私にとっては、どこか「心地よく」この小説に没頭できた。


自身のセクシュアリティや、「世間」との距離感について悩み、「しっくりくる」状態を模索している主人公の尚成に、「答えのない問いだとしても、それに対してモヤモヤを抱えて、悩むことにも意味があるのだ」と教わった。


・まとめ

私はこの先も「モヤモヤ」を抱き続け、それに対する自分なりの答えをその都度導き出すことを繰り返し、「自分」と言う不確かなものを、少しずつ明瞭にしていく!



では!


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