本当の意味で「違い」を知ること
寒いんだか暑いんだか。
お仕事柄、日中外にでることがほとんどないので、「最近、朝晩冷え込むなぁ」以上の情報が体感としてない。お休みの日に、まだ昼は暖かいことを知る。昨日は暑かった。相変わらずよぉ歩いて、また「はじめて」に触れる。自転車の波に乗るとたどり着く、広い敷地は、なぜか懐かしい。鮮やかないちょう並木に季節を感じ、自分の学生時代と重ねてみる。
友人に言わせれば、私はだいぶ丸くなったらしい。昔は尖っていたと。やだなぁー。(笑)でも確かに、そうかも。尖っているというか、トゲトゲしてる感じ。感情的になるとコントロール出来ないとか、言葉がキツイとか。虚勢をはって、どうにか弱々な自分を守ってたのかなぁ。残念ながら、今も大概そうだけど、「私そういうところあるよなぁ」と認識しているだけ前進したと思う(思いたい)。
他人のことは、よーく見えるけど、自分のことってなかなか分からない。五感は外にアンテナを張っているし、「こうありたい自分」が邪魔して、正確には自己評価できない。客観的に〜というのは、事実上不可能で、必ず主観が伴う。だって私の目を通して見ているのだもの。誰だって、その人の色眼鏡をかけて、世界を見ているし、生きている。その色眼鏡(認知)の違いが、個性と言える。昨晩は、そんな「個性」について考えてみた。
類人猿に分類してみると
人はみな違う。みんな違ってみんないい・・・なんて、そんなの当たり前じゃん!と、誰しも経験的に知っている。では、具体的に何がどのように違っているかは、どうだろうか。あの人のこういうところが理解できない!とか、なんで分かってくれないんだろう、とか。「違い」に翻弄されたことは、あなたにもあるかもしれない。その 違い=個性 を分かりやすく解説している方法のひとつに、“類人猿分類”というものがある。
分類の仕方はとても簡単。あなたは「感情を表に出す?それとも、出さない?」そして、重視するのは「達成?or 安定?」これだけである。この2つの質問に答えると、自分が4タイプのうち、何タイプなのか見えてくる。
↑ネットで拾ってきた。類人猿分類の詳細は、今回は割愛します。(これはこれですっごくい面白いのだけど、今日はエネルギー切れ!笑)。
というのも、大切なのは、分類そのものではないからだ。
違いを知るから「認める」へ
この中でいうと、私はボノボだと思う。もちろん、オランウータンやゴリラな部分も持ち合わせているが、ざっくりと、ボノボタイプ。「わぁ、すごい!」「楽しい!」と感情を表に出すし、目標達成に燃えるタイプではない。そんな私にとって、表情が変わらない人や、勝ち負けにこだわる人は、ちょっと怖く映ったりする。逆に、私がよかれと思った言動が、お節介だったり、理解しがたい、と思われていることは、大いにあると思う。当たり前だ。タイプが違うのだ。誤解して欲しくないのは、「違うのだ」と諦めるのではなく、それを「認める」ことが必要だということ。あなたに長所があるように、他の人にもあるし、それを見つけてほしい。あなたが不得意な部分をカバーしてくれているのは、もしかしたら苦手なあの人かもしれない。そうやって、個性の違いが組織や、はたまた世界を支えている。
自分は少数派だった
そして、もうひとつの揺るぎない事実。あなたのタイプ(感受性)は、常に4分の1、少数派なのだ。違いは分かったし、良さも知った。そこまではできても、自分が全てではない、どころか、全くのマイノリティだということは、頭で分かっていても、腑に落とすことは難しいかもしれない。(偉そうに言いながら、きっと私がそうだから。)この分類を生かしていくポイントだと思う。
自分を知り、他者を知る。違いを認めることで、それぞれの役割が見えてくる。そういう認識の人が増えれば、人間関係はさらにいいものになるはずだ。関係の質が、結果の質につながる。
今日の深夜徘徊はここまで。あなたは何タイプでしたか?
お読みいただき、ありがとうございました(*^^*)
#日記 #コラム #心理学 #生き方 #日常 #夢 #個性 #類人猿 #少数派
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?