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祈ること

数年前、慣れない子育てと仕事との両立に毎日ヘトヘトだった頃。
土曜日になると逃げ込むように子供を連れて実家へ出かけていました。

祖母が亡くなってからは実家に着くとお線香をあげて手を合わせるのが私のルーティーン。

ある日いつものように手を合わせ目を瞑ると、一瞬時が止まったような、自分にスーッと還っていくような感覚があったのです。
時間にしたらほんのわずかだけれど、力が抜けてく心地良さ。

その時思ったのです。

そうか、手を合わせるこの時間は誰のためでもなく、自分のためにあったんだって。(ちょいと語弊がある言い方かもしれない‥!でもそういう感覚が染みてきたの。)

立ち止まって、手のひらを合わせ、自分の体温や温もりを感じる。
目を瞑ると外側の喧騒から遠ざかって、自分の呼吸の音が聴こえてくる。

そしたら、ただただ“感謝”の気持ちでいっぱいに。

凄く凄く疲れてたのに、“ありがとう”ってあったかい気持ちに包まれていく。

忙しさの中で感じられなかったものが自然と込み上げてくる。
苦しみさえも人生を彩る“豊かさ”だったのかもしれない。

自然に出来たこのルーティーンは、“ちょっとあなた。立ち止まって。今この瞬間を味わってみなさい。”って、ご先祖さまからのギフトだったのかもしれない。

ヨガでは“祈ること”は全ての人ができる“貢献”と言われています。

自分と他者、自然やそこに生きる全てに祈りを捧げること(幸せを願うこと)はカルマヨーガの一つでもあります。

行為は結果の原因です。

自分のためと他人のためは同時に起こっています。
心理学の面では、貢献者になる、与える人になる事で自ずと自己肯定感も上がると言われています。

時々手を合わせて、眼を瞑ってみる。
立ち止まって、全ての平和と幸せを祈ってみる。

込み上げる感覚をそのまんま受け入れて、
また目を開けて、
そしてこの世界を楽しんで行く。

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